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野村克也が目撃した、王貞治と長嶋茂雄のひそかな「怪物的努力」 #5 プロ野球怪物伝

昨年、惜しまれつつ逝去した、日本プロ野球史に燦然と輝く名将・野村克也さん。晩年の著書『プロ野球怪物伝』は、大谷翔平、田中将大などの現役プレイヤーから、イチロー、松井秀喜など平成を彩った名選手、そして王貞治、長嶋茂雄など往年のスターまで、38人の「怪物たち」について語り尽くした一冊。まさに野村さんの「最後のメッセージ」ともいえる貴重な本書より、読みどころをご紹介します。

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並外れた集中力だった長嶋茂雄

記録でいえば、長嶋より上のバッターはたくさんいる。私だって、通算ホームランをはじめ、かなりの部門で長嶋を上回っている。にもかかわらず、どうして長嶋が「ミスタープロ野球」と呼ばれたかといえば、やはり無類の勝負強さがあったからだろう。「燃える男」と異名をとったように、その点で長嶋は、誰も敵わない怪物であった。

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1959年の初の天覧試合で放ったサヨナラホームランが最たるものだが、とにかく派手な場面、印象に残る場面でよく打った。皇室観覧試合での成績は35打数18安打、7本塁打。日本シリーズでは出場12回で打率4割を超えること4回、通算打率 .343、25本塁打、66打点、MVP獲得4回。16回出場したオールスターでも、.313という記録を残している。

こうした勝負強さは、どこから生まれるのか。「並外れた集中力」だと私は思う

たとえば、「球場に連れてきた息子の一茂を置き忘れて帰った」「片方の足にソックスをふたつ履いてしまい、『もう片方がない』と大騒ぎした」といった数々の伝説が長嶋にはあるが、これらは彼の集中力が生み出したと考えている。いったん野球に入り込むと、それ以外のことはいっさいどこかに行ってしまうのが長嶋という男なのだ。

だから、バッターを動揺させるために私がよく使った「ささやき戦術」も、彼にはいっさい通用しなかった。とにかく私の話をまったく聞いていないのだ。こちらが「最近銀座行ってる?」と訊ねても、「ノムさん、このピッチャーどう?」などとトンチンカンな答えが返ってくる。それだけ打席に、目の前のピッチャーに集中しているのだろう。

しかも、チャンスになればなるほど、プレッシャーがかかればかかるほど、長嶋の集中力はより研ぎすまされる。だからこそ、あれだけの勝負強さを発揮できたのであり、長嶋が打ったシーンはファンの心に深く刻まれる。そうした数々の記憶が長嶋を「ミスタープロ野球」にしたと私は思うのである。

彼らは「ただの天才」ではなかった

王も長嶋も天才と呼んでいいだろう。しかし、「努力しない天才はいない」という。ONも並の選手以上に努力をしたからこそ、その才能を最大限に伸ばすことができた。これは間違いない。

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私もその一端を垣間見たことがある。銀座で飲んでいたら王がやってきて、しばらく一緒に過ごしていた。だが、9時を回ったころ、「お先に失礼します」と私に耳打ちした王は、私が引き止めるのも聞かず、帰っていった。荒川さんと練習をするためである。

いったい王の練習とはどんなものなのか気になった私は、あるとき頼んで見学させてもらった。王は天井からぶら下げた紙を真剣で斬る練習をしていた。すさまじい殺気が伝わってきた。彼に較べれば、私の素振りなど遊びのようなもので恥ずかしくなった。

荒川さんによれば、「帰ってくるまで一本足で立っていろ」と命じて外出し、30分ほどして戻ったら、足を上げたまま待っていたということもあったという。それほどの猛練習があの一本足打法をつくったのだ。王以外、一本足を完成させた選手がいないのも当然だ。並の選手がおいそれと真似できるような代物ではないのである。

長嶋の努力も王に決して負けていない。あるとき、私は直接訊ねたことがある。

「自分を天才だと思うか?」

長嶋は言った。

「いや、そうは思わない。世間が『天才』と言うから天才のふりをしているだけで、自分は人から見えないところで努力している

立大で長嶋と同期だった杉浦からも、「長嶋はものすごく練習をしていた」と聞いたことがある。なにより、巨人から南海にトレードされてきた選手がこう話していたのが忘れられない。

「ONは練習でも目いっぱいやる。だからわれわれもぼやぼやしていられない。ふたり以上にやらなければいけないと思った」

しかも、ONはめったなことでは試合を休まなかった。公式戦はもちろん、オープン戦であっても休まず出場した。ファンが待っているからだ。日米野球の際、私は長嶋に「大変だね。オフでも休めないで」と言った。すると、彼はこう答えた。

休もうなんて思ってないし、休むわけにはいかないんだ。お客さんはおれたちを観に来ている。これは義務なんだよ」

あのころの巨人が強かったのは、たんにONが打ったからではない。「チームの鑑」として手本になっていたからだ。ほかの選手も彼らを見習おうとしたから、巨人は空前絶後の9連覇を成し遂げられたのである。

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『プロ野球怪物伝』野村克也

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