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アルゼンチンの高級ステーキハウスでひとり「孤独のグルメ」を堪能 #3 世界一周ひとりメシ

昔からひとりの外食が苦手。なのに、ひとりで世界一周の旅に出てしまった。握り寿司をおかずに出すスペインの和食屋、アルゼンチンの高級ステーキハウス、マレーシアの笑わない薬膳鍋屋……。旅行作家で、現在は岐阜県安八町の町議会議員としても活動するイシコさんの『世界一周ひとりメシ』は、ガイドブックに載っていない、ユニークなお店ばかり集めた「孤独のグルメ紀行」。海外に行けない今のご時世、ぜひ本書で旅気分を味わってください!

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ひとり客は自分だけだった……

アルゼンチンの人々は、どんなに経済状況が悪くても、アルゼンチンワインを飲みながらステーキを食べるという習慣だけはやめられないらしい。僕の偏見だろうが、アルゼンチンの肉と「アルゼンチン」という言葉がつくだけで、どこかおしゃれな雰囲気が漂う。南米のパリと言われたブエノスアイレスの肉となればなおさらのことである。

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まぁ、パリにたとえられるだけあって、この街も飼い犬が多く、犬の糞も多いのだけれど。ちなみに犬を預かって散歩させる職業「犬の散歩屋」はこの街が発祥らしい。

チリ在住の知人は、僕がブエノスアイレスに向かうことを告げるとアルゼンチンタンゴの鑑賞付きステーキツアーなるものがあると勧めてくれた。街中のあちこちにあるカフェの安いステーキも美味しいが、高級店のステーキハウスの肉も一度、味わっておくといいということだった。しかもツアー料金なので日本円で1万円程度と値段も手頃だったので、インターネット上で予約してもらった。

しかし、ブエノスアイレスに到着するとその予約が重荷になり始めた。誰かと一緒に行くならともかく、高級店にスペイン語もできない輩が一人で乗り込むことが、かなりのハードルに思えてきたのだ。

普段はジーンズにタートルで街を闊歩しているが、さすがにそんな格好で行くわけにはいかない。チノパンにはき替え、旅の間、ほとんど袖を通していない襟つきのシャツを着て、コットンのストールを首元に巻いた。

ロビーには細身で神経質そうな中年男性が、ツアー客名の書きこまれた名簿の紙を挟んだクリップボードを持って立っていた。ちょうど老夫婦の客が手続きしているところ。その老夫婦の服がゴージャスだった。

「肉」という文字が似合いそうな大柄の男性は映画「ゴッドファーザー」に出てきそうなダブルのスーツで、首からカシミヤらしき質のよさそうなキャメル色のストールを巻き、ピカピカに磨かれた革靴を履いていた。旅の途中で購入した折り畳めるほどの薄い白いスリップオンタイプの革靴を履いた僕とは対照的だった。

奥様は更にゴージャスだった。胸元には金色のネックレスをして、上からは毛皮のコートを羽織っていた。初冬のアルゼンチンには似合わない薄いジャケットを羽織った僕とは天と地程の差があった。

ホテル前に停まっている迎えの小型バスに乗り込むと別のホテルでピックアップされた方々が既に何名か乗っていた。年齢層は高いが、ロビーにいた老夫婦ほどゴージャスでもなさそうで、ポロシャツの人もいれば、カジュアルジャケットの方もいて、少し気が楽になった。

次に向かったホテルではジーンズにダンガリーシャツにテンガロンハットという、西部劇に出てきそうなアメリカ人の中年男性たちが乗り込んでくるのを見て、もっと気が楽になった。ただ、みんなカップルかグループだった

高級ステーキハウスというよりは小さなビジネスホテルのような建物の前には様々なホテルから小型のバスやワゴン車が次々に到着し、客は続々と中に入っていった。ツアー客専用の入口が別にあり、蝶ネクタイの男性が笑顔すぎない微笑みで迎えてくれた。

彼の脇の階段を二階へと続々と上がっていく。一階は一般客が使用しているようだ。二階は小さな宴会場のようになっており、机がびっしり並べられている。そのびっしり具合に高級感が少し薄れ、再び気が楽になった。それぞれの席は決まっていて、ウエイターは一名分のセッティングがされているテーブル席まで僕を案内してくれた。

椅子に座り、改めて周囲を見渡すと一人で来ている客は僕だけのようだ。しかも僕の隣には八名グループのテーブルがあり、一名分しかセッティングされていない僕の机が異常に目立っている。もちろん気にしているのは僕だけで、周囲の客もウエイターも全く気にしていない。それはわかっているのだが高級店でひとり飯の経験がない僕は落ち着かなかった。

この旅の間に機内で観たディズニー映画「レミーのおいしいレストラン」を思い出して自分に言い聞かせる。映画に登場する料理評論家は、いつも高級店へ一人で食べに行っていたではないか。しかし、その後にもう一人の自分が現れる。あなたは料理評論家じゃないけどねと。

食べるペースが自分だけ速い!

テーブルの上に置かれているアルゼンチンワインを開けるかどうかを聞かれていることに気がついたのは「シー(はい)」と答えた後だった。相手の言っていることがわかっていないにもかかわらず、何か聞かれるとついつい「シー」と言ってしまうのである。

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僕が「シー」と言ったため、ウエイターはワインのフォイルを手際よくナイフで切り、コルクを抜き、大振りのワイングラスに少しだけ注ぐ。ワインのテイスティングである。グラスを回し、ワインに呼吸させて、匂いを嗅いで口に含み、うなずく。ぎこちないマニュアル通りの作法を終えると、ワインをなみなみと注がれた。

ウエイターがいなくなってから改めてワインの匂いを嗅いでみる。よくわからない。きっと誰かと一緒にいれば、そう正直に言って笑うだろうが笑う相手もいない。かといって、やみくもにきょろきょろする訳にもいかない。この時空間にどう身をゆだねていいのかつかめないままワインを飲む。グラスのワインが減るとすかさずウエイターが注ぎにきてしまう。この調子ではアルゼンチンタンゴを観る前に酔っぱらってしまいそうだ。

かぼちゃのスープが運ばれてきた。確かに美味しいが、皿のスープが少なくなるにつれ、「あれ? どっちだっけ?」と思い始めた。残り少なくなったら器を斜めにしてすくう仕草を普段は何気なくしているはずなのに、改めて考えると手前に傾けるのか向こうに傾けるのか、どちらの作法が正しいのか、わからなくなってしまった。

いつも書いている漢字を、手書きし、いざ眺めた時に、これで合っているのかどうか不安になるのと似ている。結局、皿を斜めにすることはなく、すくえるところまですくって残してしまった。

先程のかぼちゃのスープ程、大きい器ではないが、中華料理店でチャーハンについてくるスープよりは大きい器に入ったスープのようなものが机の上に置かれた。無意識にスプーンを手にとる。いや、待てよ。スープが二種類も出てくるだろうか。頭の中で映像を巻き戻すように注文の際のやりとりを思い出してみる。

予約のコース料理なので、それぞれの料理を選ぶことはなかったが、ステーキの焼き具合を聞かれた際、ソースを聞かれ、マッシュルームと書かれたソースを指した記憶がある。確かに目の前にあるスープには刻んだきのこらしき物体が浮かんでいる。しかも器は僕の正面から少しずらして置かれている。

パンやサラダを口にして、様子をうかがっていると皿に載ったステーキが運ばれてきた。肉の上にはソースらしき物は何もかかっていない。やはりソースだったのだ。ソースをスープとして飲んでいる自分の姿を想像し、背筋がぞっとした

ソースをスプーンですくって少しかけ、肉にナイフを入れ、フォークに刺して口に放り込む。美味しいことは美味しいが、感動する程、美味しいとは思えなかった。きっと、口の中でとろけるような最高級の肉を想像していたからだろう。ひょっとするとそれは日本人の好みであって、このくらい弾力のある肉がアルゼンチン人の好みなのかもしれない。

肉、ワイン、肉、ワインと休まずに口に運んでいるとあっという間にステーキがなくなり、早々に皿が下げられ、デザートのケーキが運ばれてきてしまう。

そこでハッと気がついた。全員に運ばれているわけではなく、僕だけにデザートが運ばれてきていたのである。僕の食べるペースが異常に速いのだ。そういえばフォークやスプーンをほとんど休みなしで動かしていた。もう少し落ち着こう。今さらながら、一旦、休憩し、椅子の背もたれに自分の背中をくっつけ、細く長い息を吐いた。

ここまで食事で疲れたことが人生の中であっただろうか。披露宴で挨拶を頼まれた時の食事……いや違う、寿司屋のカウンターに生まれて初めて座った日……う~ん違う。ワインを口に含みながら、いろいろ考えるが、どれも違う。

既に半分以上のワインがなくなっていた。いかに黙々と飲んでいたかである。身体も、かなり火照ってきた。

「デザート気に入らなかった?」

デザートにほとんど手をつけていない僕にウエイターが気を使って、声をかけにやってきた。

「いやいやそうじゃないんです」

思わず日本語で言ってしまい、すぐにスプーンを持って食べ始める。アルゼンチンタンゴまで気力は持つのだろうか。不安に陥りながら、温かいケーキに添えられ溶けかかったアイスクリームを口にした。僕は生まれ変わっても料理評論家にだけはなれないだろう。

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世界一周ひとりメシ イシコ

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