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「釈迦の教えを信じていますか?」物理学者が仏教学者に聞く #3 真理の探究

「仏教」と「近代科学」。一見、正反対のように見えますが、アプローチこそ違うものの、共通する部分がたくさんあることをご存じでしょうか? 『真理の探究――仏教と宇宙物理学の対話』は、仏教学者・佐々木閑さんと物理学者・大栗博司さんが、釈迦の教えから最先端の科学まで、縦横無尽に語り尽くしたスリリングな対話集。その一部を抜粋してご紹介します。

*  *  *

釈迦が完璧な人間だとは思っていない


大栗 ここまでのお話で、佐々木先生の仏教学者としてのお考えはよく分かりました。学者として仏教を研究なさっているわけですが、その一方で先生は僧侶でもあられますよね。つまり、仏教学者であると同時に仏教徒でもあると考えてよろしいのでしょうか。

佐々木 私自身は僧侶や仏教徒とは言わず、「仏教者」と呼んでいます。「仏教徒」の場合はある特定の組織の教義に従うメンバーというニュアンスがありますが、私はどこの組織にも属していないつもりなので。
 
大栗 キリスト教でも、「キリスト教徒」と呼んだり、「キリスト者」と呼んだりするようですが、そのような違いでしょうか。
 
佐々木 それと同じようなものです。もちろん、ひとくちに「仏教者」と言っても、仏教のとらえ方によって意味合いは違うでしょう。たとえば比叡山で千日回峰行の修行をしている人たちは、天台宗という宗派を自分のよりどころとする仏教者なのだろうと思います。
 
しかし私は後世にできた宗派ではなく、釈迦のつくった宗教的な理念をよりどころにしています。私が僧侶の資格を持っている理由は、たまたま寺院に生まれたという、それだけのことです。
 
大栗 単刀直入にお聞きします。釈迦の教えを宗教として信じていらっしゃいますか
 
佐々木 「宗教として」という言葉の意味が難しいですね。私は、釈迦が絶対的で完璧な人間だとはまったく考えていません。私たちと同じ人間だから間違ったことも言うだろうし、先入観や偏見も持っていただろうと思います。
 
ただ、当時のインドでは考えられないほどの合理的な精神の持ち主だったことは確かでしょう。そういう人物が示した生きる道筋が、私にとってはひじょうに魅力的なんです。だから、それを抽出して自分のよりどころにしたい。
 
しかし釈迦の世界観がすべて私のものになるとは思っていませんし、そんなことはしたくもありません。

たとえば釈迦の教えには、「輪廻」や「業」など、現代の私たちから見ると不合理な要素がたくさんあります。仏教学者としてはそれも研究対象のひとつですが、仏教者としてはそれを除外して考えるのです。

生きる辛さは自分の知恵で解消する


大栗 佐々木先生は、釈迦の教えの中で現代人として受け入れられる部分をよりどころとなさっているわけですね。では、そのように現代人がよりどころにできるのは、仏教のどの部分でしょうか。

佐々木 まず、一般的な宗教とは違って、外的な力による救済を一切認めないところですね。「神に救ってもらう」といった思いをまったく含みません。その一方で、「生きることは絶対的な苦だ」という世界観の上に立つ。これも私は同感です。
 
生きることは本質的にすべて苦しみであって、楽しみはその上に浮かぶ儚い泡のようなもの。その生きる辛さを自分の知恵で解消しろと釈迦は言うわけです。

自分の心の中に苦しみを生み出すシステムがあるから、それを自分の力で変えなければいけない。釈迦はそのための方法まで教えてくれました。それは「よく考えろ」ということです。
 
大栗 よく考えて、自分の苦しみの根源は何かを理解しろと。
 
佐々木 それは別の言い方をすると「世の中の本当のあり方を見る」ことなので、そこに科学との共通性を感じるんですね。もちろん、科学は私たちの苦しみを消すために存在するわけではありませんが。
 
大栗 おっしゃるように、科学も、この世界をよく見て、その仕組みをよく理解する方法のひとつです。
 
佐々木 また、私は無条件に神秘的な力に頼るという考え方が嫌いなので、苦しみを消す方法が毎日のトレーニングだという点にも惹かれます。
 
大栗 なるほど。そういう方法によって苦から救われることを保証するところが、仏教という宗教のいちばんコアな部分だとお考えなのですね。
 
佐々木 そうです。そういう保証に対する信頼です。だから私は日頃から仏教の「信仰者」ではなく「信頼者」だと言っています
 
大栗 苦から救われることは何によって担保されるとお考えなのでしょうか。
 
佐々木 それはもう、自分の体験しかないですね。
 
大栗 実際に釈迦の教えに沿って自分の苦しみの根源をよくよく考え、その苦しみのもとを理解することによって、苦しみから逃れることができた?
 
佐々木 できるだろうと思えるんですね。できてしまったら、悟ったことになりますから(笑)。しかし実際に最後のゴールに行かなくても、そこに到達できるという期待を持って生きているだけでも、苦を消す作用はたいへん強いと私は思っています。

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真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話


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