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どうしても生きてる|健やかな論理 3|朝井リョウ

なつきたかはし @natsuki___TKHS 9月26日

今日あやと撮った動画まじウケたけどたぶん乗せたら怒られるやつっぽいからやめとく笑 見たい人いいねしといて学校で見せるわ笑 てかDAMやったらアニマルボーイズの新曲入っとったー!!!

 27日午前3時半ごろ、○○県××市△△町の15階建てマンションの住民から「音がしたので見てみると、女の子が倒れていた」と110番通報があった。○○県警××署員が駐車場で全身から血を流して倒れている県立高校2年の女子生徒(17)を発見。女子生徒は頭などを強く打ち、搬送先の病院で約1時間後に死亡が確認された。

 同署によると、女子生徒はこのマンションの14階に家族と住んでおり、自室のベランダの手すりには女子生徒のものとみられる手の跡があった。同署は飛び降り自殺を図った可能性があるとみて調べている。遺書などは見つかっていない。

 入社して二つ目の部署が、営業部の管理課だった。同期は何度か異動を経験しているみたいだが、私は二つ目の部署にずっといる。主にオフィスや店舗を対象としたスチール家具全般や産業機械などの製造、販売を行っているこの会社は、最近アジア圏に販売網を拡げており、その業務に関係する人たちは忙しそうにしているものの、老舗かつ業界最大手ということもあり基本的に労働環境はかなり良い。

「以上の問題については継続して調査しておりますので、また何かありましたらご連絡ください」

 月に二度聞いているお決まりの文句が出たところで、会議室内の空気がふっと緩む。社内で使用している決済システムのメンテナンスに関する定例会議。管理課は営業部にまつわる数字を扱うためこの定例会議にも参加するよう言われているが、主に社内のシステム課とメンテナンスを外注している会社とのやりとりに終始するため、ほとんど月に二度ある一時間の休憩時間と化している。
木曜の午前十一時からということで、溜まっているメールを返したり、と前半三十分ほどはやることがあるが、後半三十分はほとんどそこにいるだけの存在になる。優先度が低いが解決されていないトラブルが延々と引き継がれており、「継続して調査しておりますので、また何かありましたらご連絡ください」という呪文によって引き続き解決されないことが明らかになるだけの会議。何の意味があるんだろうと思いつつ、その時間にも給料が発生しているという幸運を絶対に手放すもんかと強く誓っている自分もいる。

 デスクに戻り、部ごとに掲げているホワイトボードに書いていた文字『システム会議 9F⑥』を消す。営業部は地味な色のスーツ姿の男が大半を占めているため、島の景色がひどくシンプルだ。担当役員が「会社の顔となるセールス隊は男でないと」という考え方らしく、営業部営業課に女性はいない。恭平にその話をすると、「そんな古い考えの会社って今でもあるんだ、セクハラじゃんセクハラ」なんて憤っていたけれど、私は蔑ないがしろにされた側であるはずなのに、全く怒りを感じていなかった。むしろ、今から会社の顔になれと言われ、外回りや出張に駆り出されることのほうが嫌だ。

 管理課は基本的に社外へ出る機会がない。はじめは気分転換ができないことが辛かったが、慣れてくるとコーヒーを買いに出たりコンビニに行ったりすることでオフィスから出られない閉塞感を払拭できるようになった。毎月の締めの時期でもなく、予算や収益予想などの資料を頼まれているわけでもない時期は、イレギュラーなトラブルが発生しない限り定時で帰れる。

 スリープ状態になっていたパソコンを立ち上げる。定例会議中に届いていたメールは全部確認し終わっているし、今日の夕方にある会議用の資料は昨日のうちに上長の確認をもらってプリントアウトもホチキス留めも済ませている。緊急でやらなければならないことは、ない。

 よし。

 私は、ダブルクリックでデータフォルダ内の奥深くへと突き進んでいく。この作業は一週間以上ぶりだろうか、と考えているうち、【引き継ぎ書】というタイトルがマウスポインタの先に現れる。

 差し当たってやるべきことがなくなると、私は、引き継ぎ書を最新版に更新する。いずれ絶対に必要となる書類であり、丁寧かつ細やかであればあるほど資料としての完成度が上がるため、意外と作業に終わりがないのだ。システムの使い方など、段階ごとに画面をプリントスクリーンして説明文を添えていくだけで、かなりの時間を要する。何かを学んで新しい知識や技術を会得したいという気持ちにはならないが、ネットサーフィンで時間を潰すという行為を許せるほど不誠実へ振り切ることができない自分にとって、引き継ぎ書の精度を上げるという作業はとてもちょうどいい。

 ワードが開くまでに数秒かかる。大量の画像が貼り付けられているので、データはなかなかの重さになっている。基本的なパソコンスキルがあればあっというまに身に付いた、一日、一週間、一か月、三か月、半年、一年、それぞれの大きさで波打つ業務の数々。今ではもう、目を瞑つぶっていたって乗りこなせるような文字の羅列を見つめながら、恭平や、恭平が目指している〝団体ではなく自分の名前で仕事ができる〟ような人たちがいかにもバカにしそうな仕事たちだな、と思う。

 いつからだろうか。体の内側から湧き出てくる泉というか、細胞の隙間から何かが滴るほどの豊かさのようなものが、どんどん喪われている感覚がある。

 団体ではなく自分の名前で仕事ができるようになりたいなんて一切思わないし、土日も働いて複業、なんて全くやりたくない。起業も海外経験も外国語の習得も、人間を成長させると言われているあらゆることが、自分にとってはどうでもいい。適度に働いて、税金も納めて、そのまま日々を過ごし続けたい。それがひどく怠惰なこととして数えられるようになったのはいつからなのだろう。

 チャイムが鳴った。

 エレベーターホールへと出て行くと、同期の実加(みか)に会った。久しぶりだったので、昼食を一緒に摂ることにする。気心の知れた仲なので、各テーブルにティッシュ箱が置いてあるような、安くてボリュームのある定食屋へと向かう。

「なんか久しぶりな気がする」

 メニューを見下ろす実加のアイラインはしっかりと濃い。一企業の広報という立場上、見た目にはしっかりと気を遣うよう上長から言われているみたいだ。人の親となった同期も増えてきた中、結婚はしているものの子どものいない実加は会話の内容がかなり合うほうだ。

 生姜(しょうが)焼き定食を二つ頼み、御冷に口をつける。この定食屋にはテレビがあるので、気心の知れた関係だからこそ生まれる沈黙も、なんとなくごまかされる。

「最近さ、社員証変わったじゃん」

 実加がふいに、私の胸元にぶら下がる長方形を見ながら言う。

「なんかちょっと派手になりやがったよね」

 社員証のくせに、と笑いながら、私は、鮮やかな水色の社章がプリントされたカードを指で弄もてあそぶ。セキュリティを強化するとかで、新たにICチップが組み込まれて、デザインもより明るくなった。清涼感あふれるそれを手にするたび、地味な服装が多い自分の胸元になんかぶら下がりたくないだろうな、と思う。

「そのせいもあるのかなって感じなんだけど、最近、こういう投書が来たんだよね」

 実加が、社用携帯を私に向かって差し出してくる。

「ゾッとするよ」

 私が読み始める前にそう言うと、実加はぼんやりとテレビを見つめた。携帯電話がなくなった途端、視線の行く先をなくしてしまうような私たちにとって、テレビは結局数あま多たの視線を引き受ける受け皿となる。

 広報部広報課のチームリーダーを務める実加の社用携帯には、会社の公式ホームページにある【お問合せ】に寄せられたメールが自動転送される。名前や年齢、性別、メールアドレスなどのあとに、本文、が表示される。

 本文:私はたまにこの辺りに用事で来るのですが、毎回、ビルの外の喫煙所で御社の社員の方々が長々と休憩をしておられます。安くない飲み物を片手に談笑されるのはいいのですが、近隣の飲食店などにご迷惑なのではないか、と案じます。特に今日はわりと夜遅かったにもかかわらず、何人もの社員の方々が煙草を吸いながら談笑しておられました。安くない残業代をその間にも稼ごうという算段なのでしょうか。先月××が発表した平均年収ランキングにも入っていた御社なのですから、だらだら休んでいる姿よりも、てきぱき働いている姿を見せていただきたいものです。

「こういうのって」

 画面の向こう側から、実加の声が届く。

「どんな人が送ってきてんのって感じじゃない? やばくない? そのへんの知らない人が休憩してる姿見て、社員証から社名特定して、その公式サイトにアクセスして、問い合わせページ探して、わざわざそんな長文送ってくんだよ?」

 軽蔑の感情がたっぷりと織り込まれている声が、店内の空間を滑らかに巡る。

「最近ご飯食べてる消防士とかにクレームが届くってのあったけどさ、民間企業にもそういうの来るってほんと世も末だよね。平均年収ランキングにも入っていた御社なのですからとか、今後いろんなところで使えそうな名フレーズすぎるわ」

 実加の声に重なるようにして、テレビ画面の中で繰り広げられている昼のワイドショーが、先週発生した連続通り魔事件の犯人の詳細を報道している。

「私、どんな嫌なことがあっても喫煙所で休んでる人の会社にクレーム送るとか絶対やらない自信ある。ネットニュースのコメント欄で芸能人に向かって死ねとか言いまくってる人とかもそうだけどさ、マジでどんだけ満たされてなかったら人間こういうことしちゃうんだろって感じだよね」

【連続通り魔事件の犯人なのですが、中学校の同級生によりますと、当時からスプラッター映画などを好んでいた、自分でもノートなどにそのような絵を描いて友人に見せていた、ということらしいんですね。自宅からも、いわゆる、暴力描写の多い作品が多数見つかったとのことですが、この点コメンテーターの皆さんはどう──】

 どんだけ満たされてなかったら、人間、こういうことしちゃうんだろ。

 自宅からも、いわゆる、暴力描写の多い作品が多数見つかった。

「お待たせしました」

 テーブルの上に生姜焼き定食が置かれたと同時に、私は、自分のスマホを実加の社用携帯の隣に並べた。

 本文と同時に社用携帯に転送されている、名前、年齢、性別、メールアドレス。

 ダメ元だが、まず、名前で検索をかけてみる。こういうときの〝名前〟や〝年齢〟はウソの情報である可能性が高いが、今回は文面的に投稿者が高齢者な気がする、となると、もしかしてワンチャンあるかも──なんて甘い期待はすぐに打ち砕かれる。めぼしい検索結果はなし。となると──私は、表示されているメールアドレスをそのまま自分の携帯に打ち込んだ。めぼしい成果はなし。ヤフーメールの場合、メールアドレスを検索すればヤフオクなど別のサービスにまつわる頁ページが出てくる可能性があり、そこに出品しているものから趣味や居住地など様々な情報を読み取れるのだが、今回は残念。じゃあ──私は、メールアドレスの@以降の部分を消し、アルファベットと数字の部分だけでもう一度検索をかける。アルファベットと数字を組み合わせているということは、初期設定から意思をもって変更しているということだ。数字が入っている場合、おそらく生年月日だったり普段クレジットカードなどでも使っているお馴染みの番号だったり、本人にとって何かしら意味がある可能性が高い。その場合、ツイッターなどのアカウント名にもそのまま流用している人が結構たくさん──

 ビンゴ。

 私は、検索結果に現れたアカウントをクリックする。ツイッターのアカウント名が、メールアドレスの@以前の部分と一致している。プロフィールを読むに、一男一女の母親で、ある俳優のファンみたいだ。いわゆる追っかけ活動用の〝ファン垢〟として、四年ほど前に登録されたアカウント。過去の投稿をいくつかチェックすると都内在住であることが確認でき、この会社近くの商業施設によく出入りしていることもわかった。本人と断定して間違いないだろう。

 問い合わせ内容が社用携帯に転送されている時刻は、昨日の二十一時四十二分。私は、昨日の投稿を確認する。ファン垢らしく、投稿数は多い。

 やっぱり。

「ほら、見て」

 私は、自分の携帯の画面を実加に差し出す。

「この人、別に、満たされてないわけじゃないんだよ」

 昨日の二十一時四十二分。その人は、確かに、会社の問い合わせページからクレームを送っていた。だけど昨日は、一男一女の食事を夫が担当する日で、俳優ファン仲間の友人たちと外食を楽しんでいたようだ。十九時三十二分に投稿されているのは、テーブルいっぱいに広げられたタイ料理の写真。会社の向かいにある商業施設の中に入っている、いま人気のレストランだろう。二十二時五十四分に投稿されているのは、〈今日の夫は後片付けまでしてくれておりました。よしよし。次のファン会楽しみ! 今日はありがとう~〉という書き込みと、食事をしたメンバーとの集合写真。そして、きれいに片付いたダイニングテーブルと、子どもたちがピースをしている写真。

 人気のレストランでの会合を終え、駅へと向かう間に、ビルの外にある喫煙所を通りかかったのだろう。そしておそらく、仲間と別れ、電車の座席に腰を下ろしたあとなどに、問い合わせページにアクセスした。

「満たされてないから休憩してる人の会社宛にクレーム送るわけでも、暴力描写の多い漫画が好きだから通り魔になるわけでもない」

 生姜焼きの甘辛い香りが、ゆっくりと鼻び腔こうを刺激する。

「自分にも見えないものが、ずっと積もってるんだよ。最後の一滴が何なのかは、誰にもわからない」

 ○○だから××、という健やかな論理は、その健やかさを保ったまま、やがて、鮮やかに反転する。

「満たされていないから他人を攻撃する」「こんな漫画を読んでいたから人を殺した」はやがて、「満たされている自分は、他人を攻撃しない側の人間だ」「あんな漫画を読んでいない自分は、罪を犯さない側の人間だ」に反転する。おかしいのはあの人で、正しいのは自分。私たちはいつだって、そんな分断を横たえたい。健やかな論理に則って、安心したいし納得したい。だけどそれは、自分と他者を分け隔てる高く厚い壁を生み出す、一つ目の煉れん瓦がにもなり得る。

 再配達を頼んだのだから、自殺なんてしない。

 離婚を申し込まれたのだから、かわいそう。

 新しい恋人ができたら、もう大丈夫。

 満たされていないから、クレームを言う。

 暴力描写のある漫画を好んでいたから、人を殺す。

 そんな方程式に、安住してはならない。

 自分と他者に、幸福と不幸に、生と死に、明確な境目などない。

「すごいね」

 実加が、私の手元にある社用携帯を自分のもとに引き寄せる。

「え、特定したの? このクレームの人のツイッターを? 今の、二、三分で?」

 実加は、笑っていた。だけどその表情は、必死に笑おうとしているように見えた。

「やっば、びっくりしたんだけど。ていうか佑季子すごくない、探偵とかできんじゃん。顔めっちゃ怖かったからね特定してるときの」

 指もめっちゃ速かったし、と、おそらく私の動きの真似をしながら、実加は社用携帯を鞄の中に仕舞う。そして、いつの間にか半分以上食べ終わっていたらしい生姜焼き定食に手をつけながら、また、テレビ画面を見上げて言った。

「ていうか私、あの司会者めっちゃ嫌いなんだよね」

 私は、自分の分の生姜焼き定食の盆を、ず、と鳩みぞ尾おちに引き寄せる。味噌汁も豚肉も白飯も、どれもすっかり冷めてしまっている。

「毒舌で斬るとか言ってるけど、自分の主張と違うこと言い出した人の話ガンガン遮るしさ、毒舌じゃなくて高圧的なだけだよね」

 テレビの中では、司会の男性が「表現の自由と規制、難しい問題ですね。では次のニュース」と、難しい問題だと認識しているとは思えない速度で話している。

「昼から人心掌握ショー見せられてる感じで気分悪いわ」

 人心掌握ショー。

 そうだね、と呟きながら、私は、箸を割る。

 じんしん。

*   *   *

(次回は10月9日公開)

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『どうしても生きてる』刊行記念
朝井リョウさん サイン会実施決定!


10月18日(金)丸善 丸の内本店にて、本作の刊行を記念して、著者の朝井リョウさんによるサイン会が実施決定!
こちら、ご参加には整理券が必要になりますので、詳しくは下記をご確認ください。

丸善 丸の内本店 サイン会情報ページはこちらから

■概要
日時:10月18日(金)19:00~
場所:丸善・丸の内本店 2F特設会場
定員100名様
要整理券(電話予約可)

■参加方法
○丸善・丸の内本店和書売場各階カウンターにて、対象書籍をご購入でイベント参加ご希望の先着100名様に整理券を配布いたします。
○発売前はご予約にて承り、書籍ご購入時に整理券をお渡しいたします。
○ご予約およびお取り置きいただいた方には、3Fインフォメーションカウンターにて書籍と整理券をお渡し致します。
○整理券がなくなり次第、配布終了といたします。

■注意事項
○整理券はお一人様1枚までとさせていただきます。
○写真撮影・録音・録画等は、ご遠慮下さい。

■対象書籍
『どうしても生きてる』(朝井リョウ著/幻冬舎刊/1,600円+税)

■ご予約およびお問い合わせ
丸善・丸の内本店 和書グループ 
03-5288-8881(営業時間 9:00~21:00)

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