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孤独な時間がなければ、人は何かを成し遂げることはできない #2 言語が消滅する前に

いまもっとも注目される哲学者といえば、國分功一郎さんと千葉雅也さん、この二人をおいて他にいないでしょう。『言語が消滅する前に』は、そんな二人がコロナ禍で加速した世界の根本変化について語り合った対話集。情動、ポピュリズム、安全至上主義、エビデンス主義、グローバル資本主義、弱体化する言葉……。いま世界で起きていることが見えてくる本書から、一部を抜粋します。

*  *  *

「孤独」と「寂しさ」は違うもの


國分 ズレるということに関して違う観点から話すと、僕はいま「孤独」がすごく必要だと考えています。ハンナ・アレントが、孤独と寂しさの違いについて書いているんですね。

孤独とは何かというと、私が私自身と一緒にいられることだ、と。孤独の中で、私は私自身と対話するのだとアレントはいう。

それに対して寂しさは、私自身と一緒にいることに耐えられないために、他の人を探しに行ってしまう状態として定義されます。「誰か私と一緒にいてください」という状態が寂しさなんですね。だから、人は孤独になったからといって必ずしも寂しくなるわけじゃない
 
千葉 それはいい区別ですね。
 
國分 ところがいまの世の中を見ると、孤独がなくなっている。孤独な経験がないから、人はすぐに寂しさを感じてしまう。

そして、孤独はズレているときに起こるんです。世の中からズレているとき、なぜ自分が考えていることと感じていることを周りの人はわからないんだろう、と思う。それはまさしく自分自身と対話するということです。
 
つまり、勉強することがズレることだとすれば、それは最終的に、孤独をきちんと享受できるようになることだと思うんです。
 
千葉 そう。独学というのも、まさに孤独に生きることをいかに肯定するかを学ぶことなんですね。
 
國分 実存主義が流行った頃は孤独という言葉がかっこよく使われたけど、いま、あまり孤独って言わない。若い人はすぐに「ぼっち」とか言うでしょう。
 
千葉 「ぼっち飯」は恥ずかしいとか。
 
國分 何がぼっちだ、と思う。いまは「仲間」とか「つながり」ばかりが強調されている時代で、孤独の重要性は本当に忘れられてしまっている。だから『勉強の哲学』から孤独のことを考えてもらいたいと思うんですよ。勉強は孤独と切り離せない。

孤独な時間がなければ何も成し遂げられない


千葉 僕のイメージでは、孤独な人ってものを作る人なんですよ。僕はもともと美術をやっていて、そこから言語のほうの仕事に移ったという経験もあるんですけど、僕がこの本でイメージしている勉強は、ある種のものづくりなんです。

ノートに書きためていくとか、独特の仕方で知識を自分の中で組み合わせていくというのも、自分の中に言語彫刻を作っていくようなイメージで書いている。それは孤独な作業です。
 
その点から先ほどの教師の話に戻ると、僕が教師を強い他者ではなく、半他者みたいなものとして考えるのも、孤独にものを作ることを本質的な場面と捉えているからです。

その場合、教師はモデルにする人というイメージです。つまり、教師は教師で何かコチョコチョとものを作ることを通じて、孤独に生きることの模範を示してくれる存在なんですよ。
 
目の前に現れたそういう存在に影響されて、自分も孤独な作業を始める。そのとき教師は、あるシステムを自分を飲み込むようにインストールしてくる他者ではなく、こちらから離れた自己充足的な存在としてあるわけです。
 
國分 なるほど。ドゥルーズも『アベセデール』でそういうことを言っていましたね。教師のとても大事な機能というのは、孤独な時間がなければ人は何かを成し遂げることはできないと教えることだって。
 
千葉 たとえば、何も教えてくれない先生に影響を受けることもしばしばある。逆に、こうしたらわかるだろうと、手取り足取り教えている教師は、学生を信用していないことになる。親切に接すれば接するほど、教師の権威性が下がるというより、学生の自己信頼が下がる可能性がありますから。
 
もしかしたら、あまり親切にしないほうが学生の自己信頼を高めるかもしれない。教師と学生のあいだにはそういうパラドックスがありますね。

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言語が消滅する前に


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