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名将・野村克也の名語録「マーくん、神の子、不思議な子」が生まれたワケ #4 プロ野球怪物伝

昨年、惜しまれつつ逝去した、日本プロ野球史に燦然と輝く名将・野村克也さん。晩年の著書『プロ野球怪物伝』は、大谷翔平、田中将大などの現役プレイヤーから、イチロー、松井秀喜など平成を彩った名選手、そして王貞治、長嶋茂雄など往年のスターまで、38人の「怪物たち」について語り尽くした一冊。まさに野村さんの「最後のメッセージ」ともいえる貴重な本書より、読みどころをご紹介します。

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「マーくん」と気安く呼べない存在に

楽天に入団してきた時点で、田中将大は高校を卒業したばかりの新人としては怪物以外の何物でもなかった。

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「これが18歳の投げる球か!?」

キャンプではじめて目の当たりにした彼のピッチングに、大いに驚いたのを憶えている。

田中のストレートは、たとえば大谷に較べればそれほど速くはない。少なくとも豪速球というタイプではなかった。では、どこに驚いたのか――。

スライダーである。ふつう、監督がピッチャーを見て、どこにほれるかといえば、たいがいはストレートだ。ところが、田中を見て私がほれたのは、なによりスライダーだった。スライダーにほれたのは、田中以外では伊藤智仁だけだ。

田中のスライダーは、数々のピッチャーのスライダーを見てきた私から見ても、まさしく一級品。私が「史上最高」と評価する伊藤のそれに匹敵した。

甲子園の決勝で田中は、早稲田実業の斎藤佑樹(現・日本ハム)と投げ合って敗れた。その試合を私はテレビで見ていたが、勝った斎藤にはそれほど興味をひかれなかった。秀でたボールがなかったからである。

斎藤はたしかに好投手だった。しかし、全体がまとまりすぎていた。プロでやっていくには、それでは大成は難しい。ほかの選手にはない「何か」を持っていなければならないのである。

田中にはスライダーという「何か」があった。だから私は斎藤より田中のほうがプロ向きだと思ったのである。じつはスカウトの評価はそれほど高くなかったが、楽天の新監督に就任した私はなによりピッチャーがほしかったので、なかば強引に指名したのだった。

スライダーにはカーブに近いものと、真っ直ぐに近いものの2種類がある。たいがいのピッチャーが投げるのは前者。曲がりの少ないカーブといった印象で、早い段階から曲がってくる。だからバッターは比較的対処しやすい。

しかるに田中のスライダーは、真っ直ぐと同じ軌道で向かってきて、ホームベースを通過する直前で鋭く曲がる。曲がるタイミングが遅いから、ボールを捉えるのが非常に難しいのである。

ほかの球団だったら二軍からスタートさせたかもしれない。だが、前述したように楽天にはローテーションを形成するピッチャーが足りなかった。加えて、できたばかりで何の特長もないチームだったので、スターがほしかった。

それで、私自身も迷ったが、最初から一軍に置いたのだった。私は憶えていないのだが、ピッチングコーチだった紀藤真琴によれば、「開幕投手をまかせる」とまで私は言ったらしい。

「マーくん、神の子、不思議の子」

田中のデビュー戦は、2007年3月29日の福岡ソフトバンクホークス戦だった。田中は6安打を浴び、6点を失って2回もたずにKOされた。

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新人ピッチャーがKOされたとき、私はベンチに帰ってきてからの表情に注目するようにしていた。「しかたがない」と諦めていたり、「やっぱりダメだったか」と意気消沈したりしているピッチャーはそれまでだ。悔しさを前面に出しているピッチャーは見込みがある。果たして田中は悔し涙を見せた。

「この子は球界を背負って立つピッチャーになる」

私はあらためて確信した。

実際、4試合目の先発で、デビュー戦でKOされたソフトバンクにリベンジして初勝利をあげた田中は、11勝をあげて新人王を獲得し、高卒の新人としては堂々たる成績で1年目のシーズンを終えた。

田中は先発すると必ず完投を目指した。これも私が彼を大いに買っていたところだった。「無理をするな」と止めても、「いや、行かせてください」と直訴することもしばしばだった。そういう態度を見せれば、周りも発奮する。「あいつががんばっているのだから、助けてやろう」と意気に感じるものなのだ。

田中が投げると必ずといっていいほど打線が奮起し、負けなかったことから私は「マーくん、神の子、不思議の子」と呼んだが、じつはこれは決して不思議なことではなかった。「絶対に完投してやる」という田中の強い気持ちが、打線に伝播した結果だったのである。

ヤンキースに移籍してからも、田中は5年連続2ケタ勝利をあげたように、つねに安定した成績を残し、開幕投手を4度務めるなど、メジャー屈指の名門チームでエースといっても過言ではない存在となっている。もはや私ごときが気安く「マーくん」などとは呼べなくなってしまった。

ただ、こんな話を聞いた。田中はヤンキースで背番号19をつけている。私と同じだ。何か関係があるのか気になっていたのだが、最近知らされたことには、ヤンキースからいくつか番号を提示されたとき、楽天でつけていた18に似ていたことに加え、やはり私の存在を「少なからず意識した」のだという。悪い気はしなかった。

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『プロ野球怪物伝』野村克也

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