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愛する人が向こうで待っている…そう思えると安らかに逝ける #4 「ありがとう」といって死のう

いつか誰にでも訪れる「死」。いざというときジタバタしないために、死とはどういうものなのか、どうすれば穏やかに逝くことができるのか、元気なうちに考えておきたいものです。終末緩和医療の最前線で働くシスター、髙木慶子さんの『「ありがとう」といって死のう』は、死を考えるうえでの座右の書になりうる一冊。髙木さんが看取ってきた人たちの実話に、思わず涙がこぼれる本書、その一部を抜粋してお届けします。

*  *  *

「主人が私に会いに来てくれた」


医学の進歩で、がんなどの病気による肉体の苦痛は、98%以上取り除けるようになったといわれています。

私がターミナルケアを始めた三十年ほど前は、痛みを取り除く薬や手法は確立されておらず、苦痛でのたうち回る患者さんを目にすることは珍しくはありませんでした。ですから、患者さんの訪問は痛み止めをした直後に行うことがしばしばで、時間も三十分から一時間程度に制限されていました。
 
患者さんの苦痛を取り除く「ペインコントロール」が確立されたのは、いまから十五年ぐらい前でしょうか。そのおかげで以前ほどには、タイミングや時間を気にせずにターミナルケアが行えるようになりました。
 
もちろん例外もあります。体質や病気の種類によってうまく苦痛を取り除けない場合もあるのです。61歳ですい臓がんで亡くなったFさんという女性もその一人でした。
 
Fさんはペインコントロールを行っても痛みが取れず、いつも苦痛に顔を歪ませていました。お話をしている最中に「うーん」と声を出して我慢する場面も頻繁に見られました。
 
ところが、亡くなる二週間ほど前だったでしょうか。私が「こんにちは」と彼女の病室をのぞくと、すごくにこやかな表情をしていらっしゃる。もしかしてペインコントロールがうまくいったのかと思い、「痛みが取れたんですか?」と尋ねると、「いや、痛みはまだ残っているんですよ」とおっしゃいます。
 
「では、どうして、こんなに晴れやかなお顔をされているんだろう」と不思議に思って彼女の話を聞いていくと、理由がわかりました。
 
「数日前、主人が私に会いに来てくれたんですよ」
 
Fさんは30歳の時にご主人を亡くされています。以後、女手ひとつで二人のお子さんを育て上げられました。

「お迎え現象」はありがたいもの


Fさんの話は続きます。

主人はあの頃(30代)のままでした。あの頃に着ていた服で私が眠るベッドの横に現れました

「あら、そうだったのね。それはうれしかったでしょうね」と私。
 
「そうなんですよ。でもね、私は年を取ったでしょう。だから、ちょっと恥ずかしかったんです」
 
「それでお話はされたの?」
 
「ええ、向こうで待ってるよと言ってくれました。そのあとすぐにいなくなってしまったんです」
 
ご主人との再会を機に彼女の顔つきは変わりました。おそらく痛みに勝る希望と喜びを持つことができたのでしょう。
 

次の週に訪問した時、Fさんはかなり衰弱されていて、小さな声で話すのが精いっぱい。それでも前回と同じぐらいに穏やかな顔をされていました
 
がんで亡くなられる方は、最期まで意識がある方が多いものです。多くの方が息を引き取るまで意識がはっきりしています。
 
それが患者さん本人にとってはある意味で苦痛であり、また遺族にとっては最期まで意思の疎通ができるのでうれしいことでもあります。
 
私は彼女を看取ることはできなかったのですが、お医者様と看護師さんにご挨拶に行った際、「あの方は見事でしたよ。嫌な顔もしないで、『先生、ありがとうございました。看護師さん、ありがとうございました』とおっしゃって、最期の最期まで穏やかな顔をされていました」と教えてくださいました。
 
お通夜でご遺体とお別れした時も「ああ、いいお顔だな」と思いました。
 
ご家族の方にもお会いして、「ご主人が迎えにきてくださったから、お喜びだったでしょうね」とお伝えしたら、「ああ、そうだったんですってね」とみなさんたいへん喜んでくださいました。
 
こうした愛する人が向こうで待っていてくれるという「お迎え現象」は、死を迎える人にとっては非常にありがたいものなのです。

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「ありがとう」といって死のう

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