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有頂天家族 #3

東山丸太町、熊野神社西の町内に玉垣で囲われた「魔王杉」という古木がある。

そんな名がついたのは、古来その木の股が天狗の腰かけとして広く活用されてきたからである。天狗の休憩所として一般に屋上が使われる時代になっても、その古くからある魔王杉は変わらずに親しまれ、京都在住の多くの天狗が小粋な休憩所として足を休めたり珈琲を飲んだり連れの乙女と睦言を交わしたりした。赤玉先生もその例に漏れない。先生はしばしばその杉を足場にした。まだ出町柳でまちやなぎへ追い落とされる前であり、先生は如意ヶ嶽で己の縄張りを守っていたので、街中へ出てゆくときには吉田山や大学の時計台や魔王杉を点々と伝って足を延ばした。

当時、西の方で大きな地震があった。

先生は魔道に生きる者としての責務を果たすべきだと考えた。自分で起こした災厄でもないのに、わざわざあちらへ足を延ばして人間たちが苦しむさまを笑ってやらねばならぬと考えたのである。先生は講義を休んで出かけた。

先生の視察の話を聞いて、私は憤った。

天狗がそもそも人間を歯牙しがにもかけない存在であるということは私だって重々承知していた。狸も人間も、天狗にはこれまでひどい目にわされている。しかしすでに起こってしまった大災厄の尻馬に乗って人間たちを嘲笑あざわらいに出かけるという先生のやり口は、じつにぶざまに思われた。天狗という肩書きに忠実であるためだけの空々しい残酷さが、天狗の名にかえって泥を塗るもので、先生の沽券に関わると若かりし日の私は断じた。

ここへ弁天が登場する。

その頃の弁天は着々と天狗的な力を腹に溜めて、言うなれば人間からよりいっそう天狗らしく一皮剥けようとしていたところであった。自分で言うのも何だが、私がうっかり惚れたのも無理はない。先生に対する憤りを弁天に漏らすと、彼女はしきりに感心して、自分も賛成である、一緒に先生を懲らしめてやろうと言った。私は俄然やる気になった。「一緒に」というのがじつにいいと思った。

魔王杉に化けて先生の帰りを待つというのは弁天の考えであり、それは図に当たった。長旅で疲れていた先生は、夜の街を大きく弧を描いて飛んできて、本物の魔王杉と偽物の魔王杉の見分けがつかなかった。哀れ、如意ヶ嶽薬師坊は、どちらの魔王杉へ降りるべきか思い迷っているうちにそのきっちり中間へ墜落し、民家の屋根に大穴を開けた。

それから後、先生の転落は桜が散るように早かった。

先生は腰をいためて寝こんでしまい、それがきっかけでほとんど飛ぶことができなくなった。わずかに残っていた神通力も失われた。天狗同士の陣取り合戦にも大敗を喫し、鞍馬の天狗たちに如意ヶ嶽から追い落とされ、やがて狸相手の教職も退いて、出町柳へ逼塞することになった。

先生が絵に描いたような没落の運命を辿る一方、まるで天秤の反対側が持ち上がるようにして弁天は力をつけていった。彼女はあたかも先生という桎梏しっこくをようやく振り払えたというように元気溌剌、先生のもとへも帰らず、縦横無尽に飛び廻るようになった。私が彼女にいいように使われたのは一目瞭然であるが、もはや何も言うまい。

「狸であったらだめですか」というまったく工夫のない台詞は、その頃の私が口にしたものだ。弁天は「だって私は人間だもの」と応えた。

さらば初恋。

人間の前には、狸も天狗もかたなしである。私はあまりの恥ずかしさと情けなさに先生のもとへふたたび顔を出すことができず、自分で自分を破門にした。

ほとぼりが冷め、私が先生のもとへふたたび出入りするようになるには、数年の歳月を要した。下宿でくすぶっている先生に、私が滅私奉公するようになったのには、そういういたたまれない経緯がある。

河原町今出川からバスに乗った。久しくバスには乗らなかったけれども、夜の街を滑り抜けていくのはたいへん気持ちが良かった。北から南へ下って、御池おいけ通を過ぎると燦然さんぜんたる街の明かりが、賑やかに両側を流れてゆく。

バスの座席に腰かけて、先生が書いた手紙を盗み読んだ。思いの丈を恋文にぶつけたにせよ、先生にもある程度の節操はあるだろうと思っていた。ところが目を通してみると、夢見る阿呆高校生が書いたような、まるで蜂蜜のように甘くとろけた文章には手綱を引き締めた跡もなく、あまりの恥ずかしさに最後まで読み通すのは骨が折れた。

私は憤りを感じた。

いったいどうなっておるのか。かつて我らが尊敬の念を惜しみなく捧げた赤玉先生は、老いらくの恋の甘みにめろめろになるあまり、天狗としての矜持きょうじも何も一切合財、便所に流してしまったか。しかも先生は「逢い引き」の場所として四条南座を指定していた。腐りかけたあの万年床から抜け出して、どうやって南座までやって来るつもりか。

ぷりぷりしながら四条河原町でバスを降りて、私は賑わう街を抜けて鴨川へ向かった。何やかや、今宵は妙な男どもが声をかけてくるなといぶかしく思っていたら、今の私はうら若き乙女姿なのであった。

その名を口にするのもおぞましい金曜倶楽部は、今宵は鴨川沿い納涼床で開かれると聞いている。私は四条大橋を渡って、藍色の夜空に明るく照らし出されている南座の大屋根を眺めた。蒸し暑い粘ついたところへ涼しい夜風がときおり吹きこんでくるのがありがたい。ビルの屋上ではビアガーデンをやっていて、並んだ提燈ちょうちんが熟れた果物のように赤く光っている。なんだかみんな可愛く楽しげである。

どうしたものかと思ったけれども、ひとまず弓の用意もしてきたことだし、弁天の御尊顔をせめて対岸から拝もうと考えた。

私は四条大橋のたもとから鴨川の土手へ下りて、向こう岸でぽつぽつと橙色だいだいいろの明かりを灯す納涼床を眺めた。土手を北へ歩いて橋から遠ざかるにつれて、だんだん街の賑わいが遠のいて、暗い水の向こうに街の光だけが浮かび上がる。対岸に連なる宴席はまるで夢の景色のようだし、電燈に照らされて杯を手にする人間たちもまるで芝居の役者のようだ。

一つだけ落ち着いた、ひっそりとしたゆかがあった。六人の男がまるで福の神のようにふかふか笑っている。その中に交じる、ひやっと冷たそうな紅一点が弁天である。

あれが金曜倶楽部だと分かった。高い悪名のわりには暢気のんきそうであった。

金曜倶楽部とは大正時代から続いている秘密の会合で、ひと月に一度、金曜日に開かれることからその名がついたといわれる。七人の会員が祇園や先斗町ぽんとちょうの料亭などで一席設けて飲み喰いをする。大学教授や、作家や、ささやかな金持ちやらが集まる。会員には交代があるものの、必ず席数は七つと決まっていた。七つの席にはそれぞれ七福神にちなんだ名前がつけられている。

弁天はこの倶楽部の一席を陣取り、紅一点としてずいぶん楽しくやっている。先生や我々が口にする「弁天」という渾名あだなも、もとはといえば彼女が金曜倶楽部の一席を占めていることに由来する。弁天にその由緒ある席を譲り渡した先代の「弁天」は、髭面の大男だったそうな。たしかにそれならば弁天の方が「弁天」の席にはふさわしかろう。

ひっそりと集まっているからといって、その席上で何か太平の眠りをさますような企みが練られているという証拠があるわけではないし、案外、たんなる仲良し同士の気楽な集いなのかもしれない。それならそれでよいのであって、問題はほかにある。

金曜倶楽部は忘年会で、ある残虐無比なことをする決まりになっていて、それゆえに我々の仲間内では蛇蝎だかつのごとく嫌われていた。

彼らは毎年、狸鍋を喰うのだ。

きゃーッ。と、絹を裂くような女の悲鳴を私は上げる。

およそ信じられないことである。この文明開化の世の中で、今さら好きこのんで狸を喰う必要はないはずだ。野蛮である。世間に向かって自分たちの独自性を声高に主張したいというのであれば、蝦蟇がまでも五位鷺ごいさぎでも八瀬やせの猿でも亀の子束子たわしでも、奇抜なものは幾らでもある。なにゆえ狸なのかと私は問いたい。

目の前を鴨川がどうどうと流れて、そこへ街の明かりが跳ね返ってきらきらする。

先生の恋文を矢にくくりつけて、私は金曜倶楽部に狙いをつけた。ぷりぷりに膨らました乳房が邪魔をするので、しゅんと縮めてしまった。甲冑かっちゅうそ身につけておらねど、我こそは現代版那須与一なすのよいちなりと一人狸芝居。対岸に連なる納涼床の下には鴨川の土手が続いて、笑いさんざめく人々が歩いているけれども、矢がれるようなことは万に一つもないという満腔まんこうの自信がある。

床で弁天が、つと立ち上がった。彼女は何やら真っ白な背広めいたものを着ているが、私には何というのか分からない。そうして床を歩き廻りながら、派手なふさのついた飾り扇を持って、宙をくねくね掻き廻している。踊り歩いているようにも見える。扇の黒い骨がてらてら光っている。あの扇は赤玉先生が「愛の記念」として贈ったもので、幾度か弁天に自慢されたことがある。描いてあるのは風神雷神である。あんな大事なものを弁天にくれてやったということで、赤玉先生の評判はますます落ちた。

歩き廻る弁天に狙いをつけているうちに、興趣が湧いてきた。かの平家物語の弓の名手よろしく、あの扇を射貫いてやろう。こういうことばかりしているから長兄には説教され、赤玉先生にも怒られるのだと思ったけれども、いったん思い立つと抑えがきかない。

怖じ気づく前にやっつけてしまえと思って、ひょうふつと矢を放った。

矢は柔らかに弧を描き、目論み通りに弁天の手にある扇を貫いた。それを見て、男たちがワッと立ち上がる。川のこちらに立っていると、まるで自分がしでかしたことでなく、芝居を見物しているがごとく暢気なものだ。えらく騒いでいるなあと感心して突っ立っていると、弁天が納涼床の欄干に手をかけて、こちらをまっすぐ見据えた。彼女は嫣然えんぜん微笑ほほえんだ。腹の底がヒヤッとした。

金曜倶楽部の男たちが弁天のとなりに並んで、下手人を捜して目を走らせている。私はむくむくと胸を膨らませるひまもなく、ひょいひょいと土手を伝って逃げだした。

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