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47都道府県の歴史と地理がわかる事典 #5

都道府県は、存在そのものが日本人の心のよりどころだ。各都道府県の歴史・地理をコンパクトながら深掘り解説した『47都道府県の歴史と地理がわかる事典』は全都道府県に足を運んで集めた「鉄板ネタ」「地雷ネタ」まで盛り込んだ、読んで楽しく役に立つ画期的な事典。

※本記事掲載の情報は、書籍刊行当時のものです。

◇  ◇  ◇

2 歴史→旧国名は陸奥

(1)県の成立まで

県南部に日本最北の前方後円墳である角塚つのづか古墳があり、ヤマト政権支配の北限と考えられる。

奈良時代末期以降、阿弖流為を中心に朝廷の蝦夷征討に激しく抵抗したが、桓武天皇から征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂に平定された。北上川沿いに城柵が築かれ、胆沢城には宮城県の多賀城から鎮守府が移され、朝廷の東北支配の新たな拠点となった。この時、蝦夷は各地に強制移住させられ、残った者は「俘囚」として支配体制に組み込まれた。逆に東北には、関東など各地の農民が「柵戸」として入植した。

平安時代後期、県南部の奥六郡おくろくぐんを中心に、安倍頼時が陸奥国の「俘囚の長」として独立的な勢力を誇ったことから、朝廷は清和源氏の源頼義を陸奥守・鎮守府将軍に任命し、これをいったん従わせた。しかし、1051年に戦いが始まり、源頼義・義家〔八幡はちまん太郎〕父子は苦戦の末に安倍氏を平定したが、これは出羽国の「俘囚の長」である清原武則たけのりの加勢を得てのことであった(=前九年合戦)。

父の後を継いだ源義家は、1083年以降、清原氏の内紛に乗じて清原清衡きよひら〔藤原清衡〕に加勢して出羽国を平定、これにより関東を含む東国武士団全体の棟梁とうりょうとなった(=後三年合戦)。しかし、その頃に院政が始まり、下り坂となった主家の藤原摂関家のためにも帰京せざるを得なくなった源義家は、関東はさておき東北の支配権を事実上放棄することになる。藤原清衡は、そのことに運命や恩義を感じつつ、ここに奥州藤原氏の支配が確立した。

拠点となった平泉は、金と良馬の産出を背景に京に次ぐ繁栄を見せ、西方極楽浄土〔仏国土〕の阿弥陀如来を信仰する浄土教文化が花開いた。奥州藤原氏は、初代清衡が中尊寺、2代基衡が毛越寺、3代秀衡が無量光院を建立して全盛を誇り、12世紀後半に平清盛が平氏政権を確立した時も、「北の王者」と呼ばれた3代秀衡の勢力は堂々と維持された。しかし源平合戦で平氏が滅亡した後、4代目候補であった泰衡やすひらが、かくまっていた源義経を裏切り源頼朝に服属するも、1189年に征伐されて奥州藤原氏は滅亡した。東北には奥州総奉行が置かれ、鎌倉幕府の支配下に入った。

室町時代を経て、群雄割拠の安土桃山時代に、陸奥国は伊達政宗が統一し、天下人の豊臣秀吉、のち徳川家康に服属した。

江戸時代には県南部が仙台藩伊達氏と一関藩田村氏、県北部が南部藩〔盛岡藩〕南部氏の支配下にあった。しかし、幕府滅亡後の戊辰戦争(1868~69年)で、仙台藩と南部藩が、旧幕府方の奥羽越列藩同盟の中心となったものの、新政府軍〔官軍〕に敗れ、1871年の廃藩置県を迎えた。当初は盛岡県だったが、すぐに旧藩名を奪われ岩手県と改称された。

(2)県名の由来

鬼が石の神に叱られ、反省の証拠に巨大な岩に手形を残したという伝説など、諸説ある。

(3)その後

戊辰戦争の敗戦側にもかかわらず、原たかしや後藤新平などの政治家、米内光政よないみつまさなどの軍人、新渡戸稲造にとべいなぞう、石川啄木たくぼく、宮沢賢治などの文化人をはじめ優秀な人材を多数輩出した。また、兵庫県出身の「日本民俗学の祖」柳田国男は、カッパ・座敷わらし・天狗・山姥やまうばなどが登場する民話を現地を訪れて調査し、『遠野物語』を著した。

太平洋戦争後は、交通の不便さ、所得の低さなどから、あえて「日本のチベット」と自称し、政府の振興策を求めたこともあるほど地方意識が強かった。しかし、花巻空港の開設、東北自動車道や東北新幹線の開通を受け、首都圏とのつながりも増え、徐々に発展していった。

以前からたびたび地震や津波に襲われてきたが、2011年の東日本大震災では、三陸海岸を中心に特に大きな津波被害を受け、現在も復興を進めている。

3 学校

(1)有名高校

[公立]盛岡第一、盛岡第三、一関第一、大船渡おおふなとなど。[私立]花巻東など。

(2)大学

[国立]岩手 [公立]岩手県立 [私立]岩手医科、盛岡、富士など。

4 経済

(1)交通

[鉄道]JR東日本だが、在来線は一関と平泉駅以外Suicaが使えない。東北新幹線「はやぶさ」「はやて」「やまびこ」(「はやぶさ」に連結される秋田新幹線「こまち」を含む)が走る第一北上川橋梁きょうりょうは、日本一長い鉄道橋(3868m)。他に、第三セクターのIGRいわて銀河鉄道と三陸鉄道(冬のこたつ列車で有名)がある。[空港]花巻空港〔いわて花巻空港〕。

(2)企業

[新聞]岩手日報、岩手日日にちにちなど。[金融機関]岩手銀行、東北銀行、北日本銀行など。[百貨店]パルクアベニュー・カワトク(盛岡)、さくら野百貨店(北上市) [その他]いわてグルージャ盛岡(Jリーグ)、三田商店(商社)、岩鋳いわちゅう(南部鉄器)、東山堂とうさんどう(書店・音楽教室など、泣けるCMで有名)、薬王堂(ドラッグストア)、みちのくプロレスなど。

(3)行事・祭り

チャグチャグうまっコ(滝沢市の鬼越蒼前おにこしそうぜん神社、6月、鈴をつけた100頭ほどの馬に子どもを乗せ盛岡八幡宮まで行進)、盛岡さんさ踊り(盛岡市、8月)など。

5 出身有名人

[過去]藤原清衡、基衡、秀衡(奥州藤原氏3代)、高野長英(蘭学者)、原敬(首相)、後藤新平(政治家)、斎藤実(首相)、新渡戸稲造(思想家・教育者)、米内光政(首相)、金田一京助(言語学者)、石川啄木(歌人『一握の砂』)、宮沢賢治(作家『銀河鉄道の夜』)、鈴木善幸(首相)、佐々木七恵(マラソン)など。[現在]千昌夫(歌手)、藤原敏男(キックボクシング)、藤原喜明(プロレス)、新沼謙治(歌手)、三田紀房(漫画家『ドラゴン桜』)、吉田戦車(漫画家『伝染るんです。』)、ザ・グレート・サスケ(プロレス)、八重樫あきら(ボクシング)、菊池雄星(野球)、大谷翔平(野球)、佐々木朗希(野球)など。

6 ご当地の話題

[方言]「おしずかに、おしずがに」(気をつけて)、「~がんす」(~ございます)、「おもさげながんす」(申し訳ない)、「いだまし」(もったいない)、「かまる」(匂いをかぐ)、「とのげる」(取り片付ける)、「はっかはっか」(ドキドキ)、「じぇじぇじぇ」(驚いた時に発する)など。[鉄板ネタ]「盛岡三大麵」のわんこそば、盛岡冷麵、じゃじゃ麵。大半の国民は話題先行でどれも食べたことはないが、正直に言い出身者に解説してもらうとよい。[地雷ネタ]本州最北端「日本のチベット」はあくまでも自称・自虐なので他県出身者が言うことではないし、そもそもチベット民族に失礼。ちなみに筆者が現在通う早稲田大学教育学部の16号館は北門付近(=本部キャンパスの隅)にあり、他学部生から「早稲田のチベット」と呼ばれる。失礼である。

7 ガイチの目

[一言]奥州藤原氏3代+1の清衡、基衡、秀衡+泰衡は「キ・モ・ヒ・ヤス〔肝冷やす〕」と覚える。3代ぶんは中尊寺金色堂の須弥壇しゅみだんに全身ミイラが残るが、滅亡要因となった泰衡は首のみ。[好き]岩手山は圧巻。地元では、全員で一斉登山する学校行事もあるとのこと。県全体に、宮沢賢治が「イーハトーヴ」と理想郷に見立てた美しい風景が広がる。漫画『六三四むさしの剣』(小学館、村上もとか)を読めば、岩手県や盛岡市が好きになること請け合い。[岩手県に提案]平均6時台前半に起きる「早起き日本一」県の事実をもっとアピール!

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