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《ずる賢さ》ってなんだろう? #3 ずる賢く幸せになる

第一章 ずる賢さとは


ずる賢さってなんだろう

この本の題名にもある《ずる賢さ》という観念が、あたいは人生をより良くするものの一つだと考えているんだけれど、きっとみんなの考えるずる賢さと、あたいの考えるそれには大きなギャップがあると思うので、それを埋める説明から始めるとするわ。

まず、この社会は否が応でも《競争を強いられる社会》というのはみんな知っての通りよね。

最初に出会う分かりやすい競争は学校だと思う。

6歳の頃から同年代の集団の中で、学業の成績やテストの点数という目に見える指標で優劣がつけられてゆくわ。しかも最低でも年3回は通知票が渡されるから、毎回バチバチに争うことができちゃう。みんなも心当たりない? クラスメイトと点数の勝負したり、最近ではないみたいだけどクラス内順位を競い合ったり。罪なことするよね、学校って。

とにかく、そんな年齢の頃から友達やクラスメイトと実力を比べるという環境に馴染んでいくの。

なんなら人間って不思議で、家庭や学校以外の社会をほぼ知らない幼少期から《点数のつかないものですら人間は競争できる》と知っているわ。

容姿や特徴、個性や立ち位置、キャラクターに交友・交際関係、様々な物事に箔や上下があることを、子どもたちは驚くほど気づいている。

テレビや親兄弟を通して覗くことができる大人社会から、いかに目敏く学んでいるかが分かるわよね。

あたいたち大人は慣れてしまって気づきづらいけれど、世の中にある広告や宣伝、バラエティ番組や報道などの媒体からは、人が標準や普通というものから外れた時に非難されてしまうシステムや、他人より劣ると蔑まれたり、人と違うことでぞんざいに扱われてしまう現実を平気で扱っている様子が窺える。例えば「痩せなきゃ」とか「髪を増やさなきゃ」とか「歯を白くしなきゃ」「成績をあげなきゃ」「人と上手く話さなきゃ」のような能力不足を錯覚させて不安を煽るような広告や、マイノリティが偏向的に扱われる番組などね。

そういうのを見て、子どもたち含め人間は社会に馴染むように矯正されてゆく。それから、むしろ逆にそのシステムの中で勝ち進められれば、他人に優位性を感じられることも学んでいく。いわゆる高学歴で見た目が良く、お金持ちになれば人より人間という種として優秀なんだと気づき目指し始める。あるいは自分には不可能だと思えば、敵視して対立し始める。

子どもにとってこの環境は健全なんだろうか、とも感じたりするわ。下ネタばっか言ってる不健全なあたいが言うなって感じなんだけど。

例えば兄弟ですら親から比べられたりすることがあるのだから、この環境から逃れることは社会に属する限りは不可能だろうしね。家庭内外問わず行われるしつけや教育を通して、競争と優位性そのメリットデメリットをメキメキと学習してゆくわ。もちろん社会性とは協調性も含むから悪いことばかりじゃないんだけれども。

世の中競争社会

でもそれが行き過ぎると、協調性を逸脱したはみ出しものに対する制裁──いじめや差別を生む。社会性が暴力性の原因になるのは、戦争を歴史で学んだみんなもご存知の通りだと思う。

そして集団に属し始めた時からずっと、人は様々な物事の基準に自身を順応させる必要に迫られる(例で言うと校則や地域の常識、世間体など。生まれつき髪が明るいのに学校で黒く染めさせられたりなど)。

また、そんな風に他人と歩調を合わせながらも競争からは逃れられないという矛盾に身を置く。「人より勝りなさい。だけど人から変わってると思われないようにしなさい」だなんて変な話だ。これは学校を抜け出しても、何か集団に属するとなればなかなか避けられないことだと思う。

さらに新たな集団に属せば、その度に違った比較対象の人間と出会い、違った比較基準(どういう優劣の付け方なのか。その指標や成績評価のこと)を突きつけられる。一度成功を収めた人間でも時と場所が変わればそこでも勝者でいられるわけではない。誰だって何度も挫折する苦しみや、優位に立たなければならない焦燥感や、あるいは結果として他人に敗北を与える瞬間にも出くわす。競争に参加したくなくとも《結果》というものは生きている限りどこでも何をしていても生まれてしまうのだ。

だからきっと、読者のあなただって今までの人生のどこかの機会で、

《勝者の気持ち》も、《敗者の気持ち》も、どっちも味わったことがあるんだと思うの。

上には上がいるように、下には下がいるものだから。すべて勝つ人間も、すべて負けている人間も存在しないし、勝ち負けを100対0で経験してきた人間などいないはずよ。

人との競争に勝った時どう思った? 勝敗の結果が勝利に終わったことで安心できて、肩の荷が下り、さらには後から自信や満足感がついてきてくれたかもしれない。あるいは勝ち誇って、相手を見下してしまうような気持ちも降って湧いてきたかもしれない。

そして敗北を喫した時、どう感じた? 素直に負けを受け入れたり、半ばヤケクソでも結果に妥協することもあったかもしれない。それとも「もう負けたくない」って感じてリベンジを誓い、勝者たちを恨みこそしないものの、薄暗い感情を覚えたかもしれない。

よくある勝敗良い勝敗

でも安心して。もし何かに比較されて嫌な思いをしたり、敗北によって人や世界、さらには自分までも嫌いになってしまっても、その感情は《それだけ負けたくなかった》という気持ちの裏返しに過ぎないから。あんまり気に病まないで欲しいの。そういった気持ちは今後の努力のための推進力に絶対なるから。

だからね、あたいは勝ち負けがつくことも、勝者も、敗者も、みんな悪いとは思わないの。

この世界は競争社会だから発展してきたし、競争自体は人を進化させる火種にもなる。

良くないのは《勝敗の付け方》。

つまり悪い競争を煽って得る、禍根の残った勝敗だと思う。

それだけが競争社会でクローズアップされて、《気持ちのいい勝敗の付け方》を話し合わないから、こういったギスギスした競争社会を生み出してしまうんだと思ってるの。

勝ちの価値が、どんどんと重くなりすぎて、誰もが勝ち続けないとすぐに無価値になる世界だなんて生きやすいだろうか。

勝ち負けをなくすことなく、息の詰まった社会をもっと生きやすくできないだろうか。

◇ 次回はあさって22日(火)公開予定です! ◇

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