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名将・野村克也が見抜いた、晩年のイチローの「ある変化」とは? #2 プロ野球怪物伝
昨年、惜しまれつつ逝去した、日本プロ野球史に燦然と輝く名将・野村克也さん。晩年の著書『プロ野球怪物伝』は、大谷翔平、田中将大などの現役プレイヤーから、イチロー、松井秀喜など平成を彩った名選手、そして王貞治、長嶋茂雄など往年のスターまで、38人の「怪物たち」について語り尽くした一冊。まさに野村さんの「最後のメッセージ」ともいえる貴重な本書より、読みどころをご紹介します。
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走・攻・守、すべてにおいて超一流
イチローの天才ぶりはバッティングにとどまらない。そこがすごい。走・攻・守、すべてにおいて超一流――こんな選手は、イチローをおいてほかにいない。しかもイチローは、メジャーリーグにおいても超一流であることを証明したのである。怪物というしかないだろう。
イチローがメジャーリーグに残したものは、記録だけではない。メジャーリーグの野球そのものに影響を与えたと私は思っている。
イチローが海を渡ったころのメジャーリーグは、マーク・マグワイアやバリー・ボンズといったホームランバッターたちがパワーを競い合っていた時代だった。なかにはステロイドで筋肉を増強させた選手も少なくなかった。豪快ではあるが、単純な野球がはびこっていたのである。
そこにイチローが登場した。卓越したバッティング技術、内野ゴロをヒットに変え、果敢に次の塁を狙うスピード、広い守備範囲と強肩を誇る守備……。これらの能力を最大限に駆使してグラウンドを駆け回るイチローの姿に、いまは見られなくなってしまったベースボールをファンや関係者は見出したのではないかと私は思う。
その結果、個人の力頼みのパワーベースボール一辺倒から、機動力やチームプレーを重視するスモールベースボールに再び脚光が当たるようになったのだ。
ただ、彼の天才ぶりや業績は十二分に評価していたものの、正直、私は感心しなかった。イチローのプレーを見ていると、私にはこう感じられてならなかったからである。
「自分のことしか考えていない」
「勝負とかけ離れたところでプレーしていた」と言い換えてもいい。チームの勝利より、自分のヒットを大事にしているように見えたのである。
チームを優先するようになった晩年
イチローは「1番」を打つことが多かったが、好球がくればどんな状況でも打ちにいった。球数を投げさせてピッチャーの情報をベンチに伝えるとか、フォアボールで出塁するといった、1番バッターの大切な役割にはまったく興味がないようだった。
見逃せばフォアボールになるときでさえ、ヒットを打てると思ったらバットを出したし、いいボールが来るまでカットして粘ったりした。
マスコミへの対応もお世辞にもいいとはいえず、ロッカールームでもほかの選手と打ち解けようとしなかったという。移動もチームとは別だったそうだ。
当然、こうした姿勢はチームメイトの不興を買う。なかには我慢しかねたのか、「なぐってやる」と公言した選手もいたと聞く。私がイチローの実力と技術向上に対する努力は大いに認めつつも、手放しで称賛できない理由は、こうしたイチローのふるまいにあった。
イチローが加入した2001年こそマリナーズは地区優勝を飾ったが、イチローの在籍中、プレーオフに出場できたのはそのシーズンだけだった。
しかし、2009年の第2回WBCを契機にイチローに変化が見られるようになった。連覇を目指す日本代表のチームリーダーとして期待されたイチローだったが、本戦に入ってもこれまで見たことのないような不振が続いた。しかし、ほかの選手が一丸となって戦い、日本は苦しみながらも決勝に進出した。そのとき、イチローは思ったのだろう。
「野球はひとりでやるものではない。自分がヒットを打ってもチームが勝たなければ意味がない」
あの劇的な決勝タイムリーが生まれた背景には、こうしたイチローの変化が影響していたと私は見ている。実際、2012年に名門ヤンキースに移籍してからは、「チームの勝利優先」という趣旨の発言が増えていった。
現役晩年になって意識が変わったのは、イチローの今後にもいい影響を与えるのではないかと私は想像する。引退したイチローが今後、どのようなかたちで野球に関わっていくのか、注目して見守りたいと思う。
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