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イスラムの国なのに豚の丸焼き? インドネシアの地元グルメ「バビグリン」 #4 世界一周ひとりメシ

昔からひとりの外食が苦手。なのに、ひとりで世界一周の旅に出てしまった。握り寿司をおかずに出すスペインの和食屋、アルゼンチンの高級ステーキハウス、マレーシアの笑わない薬膳鍋屋……。旅行作家で、現在は岐阜県安八町の町議会議員としても活動するイシコさんの『世界一周ひとりメシ』は、ガイドブックに載っていない、ユニークなお店ばかり集めた「孤独のグルメ紀行」。海外に行けない今のご時世、ぜひ本書で旅気分を味わってください!

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田園に囲まれたウブドの村で

ほんの数メートルの移動で、ずぶ濡れになる程の激しい雨。その雨は十分程度で嘘のように上がり、雲の隙間から鮮やかな青空が見える。雨季の空である。

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雨が上がると同時に観光地の一つウブド王宮で僕と同じように雨宿りしていた外国人観光客をぬうようにして、数十メートル先にある豚の絵が描かれた看板に向かった。豚の丸焼き料理「バビグリン」を出す店である

本来、インドネシアは豚を食べることを禁じるイスラム教徒が大半を占めている。しかし、この店にはバリ島の住民が毎日、押し寄せる。彼らはイスラム教徒ではない。島民の九割以上がヒンズー教徒というインドネシアの中では特別な島なのである。よって豚を食べる。四世紀頃、ヒンズー教がこの島に伝わり、それ以来、様々な変遷を経て、バリヒンズーなるこの島独特の宗教文化ができあがった。

田園に囲まれたウブドという村に滞在している。オランダがこの島を支配していた一九三〇年代、欧米から様々な芸術家が、この島に渡ってきた。彼らが住む場所として選んだのは海辺の町ではなく、ウブドという海から離れた、小さな村だった。風習や芸術など、ウブド独特の不思議な世界観に魅せられたのだろう。

それは欧米人だけではない。僕が宿泊していた一つ一つの部屋が独立した家屋のコテージ型ホテルは、まさにウブドに魅せられてバリ島に移住した日本人の溜まり場だった。コテージを経営しているバリ人の奥様が日本人ということもある。おかげで僕も日本語を思う存分、話すことができ、次第にウブド在住の日本人とも仲良くなり、気づいたら一カ月滞在していた。

チヂミとオムレツを足して二で割ったような卵料理「フーユンハイ」は店によって味付けが違うこと、鳥のダシで煮たチキンライスに焼いたチキンを添えた「ナシアヤム」の有名な店は午後には売り切れてしまうこと、円錐状にした紙の中にご飯を入れ、その上に卵、サテ(焼き鳥)、茹で野菜、鶏肉の煮込みなどおかずを放り込むインドネシア版弁当の買い方など様々な現地の食事について教えていただいた。

中でも気に入ったのが王宮近くのバビグリンの店だった。丸焼きの豚肉と聞くとバーベキューなど網で焼く肉に近いイメージがあるかもしれないが、遠火でじっくり焼き上げるせいか、まるで蒸したかのような柔らかい肉に仕上がっている。一緒に添えられるカリカリに焼かれた豚の皮や揚げた内臓も香ばしく、こちらはインドネシアのビール「ビンタン」によく合う。

地元の客に人気の店だが、観光地に近いこともあり、外国人観光客も多い。一人で来店する方も多いので、ひとり飯の店としても入りやすかった。一カ月も滞在していた僕は肌がいい具合に焼け、元々、顔のつくりが濃いこともあり、バリ人と間違えられることさえある。そうなると更に調子にのり、バリ島在住の住民のように一人で堂々と店に入って行くことができるようになっていた。単純な性格なのだ。

テイクアウトもできる店なのでレジのある入口近くはいつも人で溢れ、人をかき分けるようにして奥に入っていく。大広間のような場所でサンダルを脱いで上がり、ずらりと並ぶ長机の空いている空間に座る。立ち食いそば屋のカウンターのように全てが相席といった雰囲気に似ている。四人掛けの椅子席も外にあるが、僕はサンダルを脱いで、あぐらをかいて食べる方が好きだった。

メニューは普通か大盛り、後は飲み物しかないので、優柔不断な僕には楽である。注文をとりに来た女性に「ビンタン」と「バビグリン」と言って指で数字の1を表すだけ。それでビールと普通盛りのバビグリンを注文したことになる。

バビグリンは「神聖なる料理」

一度だけバビグリンを作る過程を拝見したことがある。宿泊していたコテージのオーナーの弟の結婚式があり、準備から参加させていただいた時のことだった。バリ島では結婚式の準備は村の人の手作りでまかなわれる。儀式を行う舞台でさえも自分たちで組む。料理も村の男たちによって作られ、そのめでたい席の料理にバビグリンは欠かせないらしい。

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結婚式前日の夕暮れ、敷地内に三匹の豚が軽トラックで運ばれてくる。一旦、庭につないでおき、結婚式当日の午前三時頃、村の男衆が集まる。四名程で豚を押さえつけ、四本足を紐でひとくくりに縛る。念仏のような文言を唱えながら聖水をかけ、躊躇なく喉にナイフを入れる。

滴る血をたらいに受ける間に豚は徐々に目を細め、絶命していく。たらいに受けた血も一滴残らず、料理に使う。絶命した三匹の豚は軽トラックに積み込まれ、近くの川へと向かう。川べりに降ろされた豚に油を塗り、ライターで火を放つ。表面の毛を全て焼き払う。豚は一気に炎に包まれ、丸焦げになっていく。あまりにも衝撃的な光景が儀式のように淡々と行われていく様は、僕から感情と思考を奪い取っていった。

豚から炎が消え、身体から煙があがっている間に、今度はひっくり返して、仰向けにする。豚の腹がナイフで引き裂かれ、腸などの内臓が引きずり出される。絶命して間もないため体温がまだ高いのかそれとも毛を燃やした熱が伝わっているのか内臓から湯気があがる。

血にまみれた内臓を川の水で洗い流す。これらも全て料理に使われる。徐々に僕の感情と思考が戻り始め、最初に浮かんだ言葉は「神聖」だった。これが何世紀にもわたって、この島で受け継がれてきた食文化なのである。

この光景を思い出すとバビグリンが食べられなくなるかもしれないと思ったが杞憂だった。「いただきます」に込める感情が増えたくらいで、結婚式で出されたバビグリンを何の抵抗もなくいただき、それから三日も経つと再びバビグリンの店までやってきている。

僕の前に座った地元の人は右手でご飯と豚肉を混ぜ合わせながら、慣れた手つきで食べていた。隣に座る外国人観光客はスプーンで食べている。手で食べる現地の人とスプーンで食べる観光客が同じ空間、同じテーブルの中に存在するのは面白い

彼らが食べ物をつかむ時の独特の指先の動きが好きだ。まるで、それぞれの指が意思を持ったようにご飯を引きよせ、すくい上げるようにして口に持っていく。

手で食べる習慣は、イスラム教もヒンズー教も共通している。ご飯は神からいただいたものであり、それをスプーンやフォークなどで食べることは不浄とする考えがあるそうだ。ただ、そうは言いつつも、「ナシゴレン」と呼ばれる焼き飯の場合、普段、手で食べている現地の方がフォークとスプーンを使って食べるのを見かけたことがある。

日本語を話すインドネシア人に手で食べる場合とスプーンで食べる場合の違いを尋ねたことがあるが、彼も首を傾げ、結局、納得のいく理由は見つからなかった。時が流れる間に、自然に、これは手で食べる物、これはスプーンで食べる物と分かれてきたのではないだろうか。僕たちが刺身は箸で食べるのに、握り寿司は手で食べるように。

僕は周囲が手で食べる時は、ぎこちないが手を使い、スプーンで食べる時は、スプーンを使っている。郷に入っては郷に従えというよりは、場の空気に従うといった感じである。よって、本日は目の前の人が手で食べているので僕も手で食べることになるだろう。

ただ、手で食べようと思っている時にビールを飲んでいると厄介なことが起きる。料理がやってくるまで無意識にビールは右手で注ぎ、右手でコップを持って飲む。

そこへ料理がやってくると今度は右手でご飯を食べ始めるため、右手は油まみれになる。となるとビールは左手で飲まなくてはならない。自然に注ぐのも左手になる。たかだか手をスイッチするだけなのだが、これが面倒に思えることがある。気にしなければいいと言われそうだが、気になり始めると気になるのだから仕方がない。

効率から考えるとビールを右手で飲んでいるのなら、左手で食べればいいのかもしれない。しかし、これはスプーンやフォークで食べることが不浄というレベルではないくらい不浄な行為らしい

僕たちはトイレで用を足す際、トイレットペーパーを使用するので関係ないが、彼らは水を使いながら、左手でお尻を拭くという風習がある。よって左手は不浄と考える。ならば最初から左手でビールを注げばいいのか。いや、それも不浄なのか……などと様々なことを考えていくと頭が混乱する。

結局、考えることが面倒になり、スプーンで食べることにした。

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世界一周ひとりメシ イシコ

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