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長谷部誠のマイルール…「努力」と「我慢」は人に言わない #3 心を整える。

ワールドカップ日本代表をつとめ、現在はドイツのアイントラハト・フランクフルトで活躍する長谷部誠選手。東日本大震災直後に刊行し、多くの読者に勇気を与えた著書『心を整える。』は、150万部突破のベストセラーとなりました。あれから10年、私たちの社会はふたたび大きな困難に直面しています。だからこそ今、読み返したい本書。中身をほんの少しご紹介します。

*  *  *

言い訳の「種」を植えない

努力や我慢は秘密にすべきだ。なぜなら、周囲からの尊敬や同情は自分の心のなかに甘えを呼び込んでしまうから。

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たとえば、大事な試合の前に足を痛めてしまったとしたら──。

監督はその選手がケガを負った状態でも(もちろん状態にもよるが)、チームに欠かせないと判断したなら先発メンバーに入れるだろう。選手はその信頼に応えるためにたとえ痛みがあったとしても、それを感じさせないようなプレーをしなきゃいけない。

しかし、試合前にケガをしていることをたとえばメディアの人たちに知られたら、絶対にミックスゾーンで「ケガの具合は?」と聞かれるだろう。親しい人たちからは「大丈夫?」と電話がかかってくるはずだ。

そういう同情や心配は心を乱す雑音になってしまう、というのが僕の考え方だ。

「痛いけど、頑張ります」と答えるのは、

『100%のプレーができないと思いますけど、許してくださいね』

と言い逃れをしているようだ。

自分が発する言葉というのは自分自身に語りかけているところがある。

口にした言葉は自分の耳を通じて、自分の心に届く。

だから、みんなの前で痛みを認めるのは、自分自身で自分のなかに言い訳の「種」を植えつけるようなものだ。いざ試合が始まって、ギリギリの勝負をしているときに、その「種」がみるみる成長して、勇気をがんじがらめに縛りつけてしまう。そんな選手がピッチでいいプレーができるはずがない。

自分だけがわかっていればいい

チームメイトにも、ケガをしていることは当然知られたくない。

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「あいつは足を痛めている」とまわりに気を遣わせてしまうからだ。そういう余計な同情はまわりの判断を鈍らせて、足を引っ張ってしまう。練習でもガツガツ来られないだろうし。

サッカーというスポーツにケガはつきもので、プロであれば多かれ少なかれ、身体のどこかに故障を抱えていて、痛みと付き合っている。それなのに、自分だけが「痛みを我慢してプレーしていたんですよ」と言うのはズルいし、試合に出場していない選手に失礼だとも思う。自分の実力をカムフラージュする言い訳でしかない。

努力に関しても同様だ。

もちろんすべての努力を隠すわけじゃなく、聞かれたら答えるけれど積極的に人には言わないようにしている。

「そんなに努力していて、すごいですね」

と褒められると、これもまた言い訳の「種」ができてしまう。試合に向けてどんな準備をしてきたかは自分自身だけが分かっていればいい

周囲からの尊敬や同情は、気がつかないうちに自分のなかに甘えを作ってしまう。甘えができたら、楽な方に流れてしまう恐れがある。特に自分が追い込まれて、ギリギリの判断を迫られたときに。だから、これは賛否両論あると思うがケガについて僕は嘘をつくことがある。

「コンディションは問題ありません。いけます!」と。

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