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有頂天家族 #1

桓武天皇の御代、万葉の地をあとにして、大勢の人間たちが京都へ乗りこんできた。

彼らは都を築き、産み増え、政権を争い、神を畏れ、仏にすがり、絵を描き、歌を詠み、刃をきらめかせて合戦し、ついに火を放って街を焼いたかと思えば、飽かずに再建し、また産み増え、商いに精を出し、学問をたのしみ、太平の世を満喫し、四隻の蒸気船に仰天したとたん、うっかり火を放ってまた街を焼き、「文明開化」を合い言葉に懲りずに再建し、やがて来たる戦争の時代を乗り越え、笑ったかと思えば泣き、泣いたかと思えば笑い、色々あって現代に至った。

桓武天皇が王城の地をさだめてより千二百年。

今日、京都の街には百五十万の人間たちが暮らすという。

だが待て、しばし。

平家物語において、ミヤコ狭しと暴れ廻る武士や貴族や僧侶のうち、三分の一は狐であって、もう三分の一は狸である。残る三分の一は狸が一人二役で演じたそうだ。そうなると平家物語は人間のものではなく、我々の物語であると断じてよい。皆の者、誇りをもって高らかに宣言しよう。人間の歴史に狸が従属するのではない、人間が我らの歴史に従属するのだ。

という大法螺を吹き、偽史を書き散らす長老がいた。

言うまでもなく狸である。

彼はあまりにも毛だらけで、もはや長老というより、知恩寺阿弥陀堂ちおんじあみだどう裏に転がったふはふはの毛玉であった。先年、誰も気づかぬうちにまがうことなきホンモノの毛玉になっており、いつの間にか白玉楼中の狸となっていたことは記憶に新しい。

平家物語云々は老い先短い毛玉の見た夢にすぎないとしても、今日もなお、洛中には大勢の狸たちが地を這って暮らしている。ときには人間に交じって右往左往する。かつて平家物語の端役を演じたように、狸はいつだって人間をまねたがる。

狸と人間はこの街の歴史をともに作ってきた――そう語る狸もある。

だが待て、しばし。

王城の地を覆う天界は、古来、我らの縄張りであった。

我らは天空を自在に飛行し、その天狗的威厳を発揮して下界へ遍く唾を吐き、地を這って暮らす有象無象どもを手玉に取ってきた。人間というものは己が功績を大げさに吹聴し、まるで己の腕一本で歴史を練り上げてきたようなツラをする。ちゃんちゃらおかしい。笑ってやる。たとえ狸たちの毛深い手を借りたとて、吹けば飛ぶような人間風情に何ができよう。いかなる天災も動乱も、魔道に生きる我らの意のままである。国家の命運は我らが掌中にあり。

街を取り囲む山々の頂きを仰ぎ見よ。天界を住処とする我らを畏れ敬え。

ということを傲然と言ってのける者がいた。

言うまでもなく、天狗である。

人間は街に暮らし、狸は地を這い、天狗は天空を飛行する。

平安遷都この方続く、人間と狸と天狗の三つ巴。

それがこの街の大きな車輪を廻している。

天狗は狸に説教を垂れ、狸は人間を化かし、人間は天狗を畏れ敬う。天狗は人間を拐かし、人間は狸を鍋にして、狸は天狗を罠にかける。

そうやってぐるぐる車輪は廻る。

廻る車輪を眺めているのが、どんなことより面白い。

私はいわゆる狸であるが、ただ一介の狸であることを潔しとせず、天狗に遠く憧れて、人間をまねるのも大好きだ。

したがって我が日常は目まぐるしく、退屈しているひまがない。

◇  ◇  ◇

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