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麻婆豆腐「発祥の地」成都で一日三食、飽きるまで食べ続けてみたら #5 世界一周ひとりメシ

昔からひとりの外食が苦手。なのに、ひとりで世界一周の旅に出てしまった。握り寿司をおかずに出すスペインの和食屋、アルゼンチンの高級ステーキハウス、マレーシアの笑わない薬膳鍋屋……。旅行作家で、現在は岐阜県安八町の町議会議員としても活動するイシコさんの『世界一周ひとりメシ』は、ガイドブックに載っていない、ユニークなお店ばかり集めた「孤独のグルメ紀行」。海外に行けない今のご時世、ぜひ本書で旅気分を味わってください!

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精神状態ががらりと変わった!

食べ物の力で人は活力が湧く。一見、当たり前のことを初めて実感した。大好物の麻婆豆腐を食べるようになってから摩耗していた好奇心は、水がぐんぐん満たされるように湧いてきたのである。

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人生の中で興味を一度も持ったことのない「三国志」の諸葛亮や劉備玄徳を祀った武侯祠や学生時代に習ったのだろうが一つも漢詩が思い浮かばない杜甫の暮らした杜甫草堂、挙句には中年男に似合わぬパンダ専門の動物園(正確には研究所)なる場所まで意欲的に出掛けて行く。

カンボジアやタイ、インドのホテル籠りの日々はいったい何だったのだろう。そう思わせる程、精神状態ががらりと変わってしまった。

最終目的地だったインドから日本に帰ろうと思っていたが、好奇心が摩耗したままこの旅を終えるのは後味が悪くて嫌だった。悶々としながら、デリーの街を歩き、店内が見えないことで何日も入りそびれていた中華料理店に意を決して入った。カレーのような色をした麻婆豆腐を食べながら、美味しい麻婆豆腐を食べたいと思ったのである。

ふと、麻婆豆腐は、どこが発祥なのだろうと疑問が湧いた。ホテルの部屋に戻り、すぐにノートパソコンを開き、ネットに繋いで調べてみる。発祥は四川省成都市と書かれていた。正確には成都市郊外の小さなお店。

十九世紀半ば、清の時代、陳さんという顔にあばたがたくさんあるおばさんがいた。あばたのことを中国語で「麻点」と言い、彼女は「陳麻婆」と呼ばれていた。この「陳麻婆」は豆腐料理が得意だった。そこで彼女が作る唐辛子と山椒をたっぷり使った豆腐料理を「陳麻婆豆腐」と呼ぶようになったのである。それが「麻婆豆腐」の始まりのようだ。

その話を読んだ途端、無性に成都で麻婆豆腐を食べてみたくなった。すぐにインターネットで上海経由成都便の飛行機のチケットを探して購入し、ついでに成都市内のビジネスホテルを探し、予約を入れていた。料理を食べることを目的に旅先を決めたことなど人生の中で初めてである

数日後の昼には成都に到着していた。中国の地方都市に金髪の東洋人は目立つようで空港から市内に向かうバスの中では、遠慮のかけらもない視線を全身で受け止めた。窓に映る一千万人都市の街の人混みに欧米人の姿が全く見当たらない。少なくとも金髪の欧米人を一人も見かけなかった。僕の金髪は店に入る際の客の視線を覚悟しなくてはいけなさそうだ。

チェックインを済ませ、部屋に荷物を置くと、さっそくホテルの隣の食堂に躊躇なく向かった。デリーから麻婆豆腐に対する気持ちの勢いは全く衰えていない。地元の中国人の客の視線を浴びるのを感じながら、中央の空いているテーブル席に座った。

「来るなら来い。四川の視線よ!」

心の中でダジャレが思いつくくらいのテンションの高ささえあった。

店内の壁には赤いメニュー表が貼られている。その中に白い文字で担担面(麺は中国語では面と書く)や麻婆豆腐の文字があった。

ポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、「麻婆豆腐」と書くと小柄な中年女性の店員は無表情でうなずいた。ついでに「ウィズライス」と発音する。

「はぁ?」

喧嘩ごしに聞こえる返しをされた。しかし、彼女にそのつもりはなく、これが中国人独特の聞き返しなのである。しかし、この「はぁ」という音は僕に対する客の視線を再び集めた。

僕の英語の発音が悪いこともあるのだろうが、それ以前に英語が全く通じないのかもしれない。「麻婆豆腐」と書いた脇に「白飯」と書く。彼女は、

「あぁ」

といった感じでふてくされたように相槌をうち、厨房へ注文した料理を伝えに行った。今後、「麻婆豆腐」と「白飯」のメモが役に立ちそうなので、そのページを表にしてポケットにしまいこんだ

改めて周囲を見渡すと何人かの客と視線が合う。麻婆豆腐を食べている人はいなかった。炒飯らしき物は見かけるが、たいていの人は麺をすすっている。スープは赤く見た目からして辛そうだ。さすがは辛い料理で知られる四川省である。

毎日、麻婆豆腐を食べ続ける

白い皿に載った麻婆豆腐と白い器に盛られた白飯が現れた。最初に一口食べた印象は「美味い」だったが、その数秒後には、「美味辛い」に変わる。そして、その数分後には、「しびれ辛い」に変わった。

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原因は山椒の量である。中国では花椒と言い、厳密には山椒とは違い、花椒の方が香りは多少強い。この花椒が入っている量が多いため、舌をしびれさせることになる。それでもやはり来てよかったと心の底から思った。このしびれる程、辛い麻婆豆腐が僕に活力を呼び戻したのである

こうして麻婆豆腐三昧の日々が始まった。朝、昼、晩と三食とも麻婆豆腐を食べるなどということも人生で初めてのことだった。それでも飽きることはなかった。陳婆さんの名前がついた老舗の陳麻婆豆腐店の麻婆豆腐、露店に近い食堂の麻婆豆腐、日本で言う喫茶店のような茶楼で出す麻婆豆腐と、目につく店の麻婆豆腐を片っ端から食べ続けた。

麻婆豆腐を食べる目的であれば、どこの店でもひとり飯独特の気後れもなく、ずんずんと店に入っていった。そして初日に書いた「麻婆豆腐」と「白飯」のメモを見せれば、みんなうなずいて出してくれた。

どの店の麻婆豆腐も美味しかった。どの店もしびれ辛かった。そして、どの店も最後まで食べきることができなかった。麻婆豆腐を半分食べたあたりで唇がしびれ、それ以上、食べられないのだ。店を出る頃には唇だけではなく口全体がしびれている。ちょうど歯医者で麻酔をうって治療が終わって病院を出た時の口の感覚のようだ。

食べ続けて三日目には花椒と唐辛子の量に慣れていないせいか胃がやられてしまったようで口内炎までできてしまった。それでも僕は食べ続けた。

ホテルの隣の食堂にも一日に一度は通った。初日には無愛想だった客席を切り盛りする中年女性は何日か通っているうちに顔を合わせると笑ってくれるようになった。とはいえ相変わらずお互いが言葉を交わすことはないけれど。

麻婆豆腐に飽きたのは四日目の朝だった。周囲を見渡すと相変わらず、皆、赤いスープの麺類を食べている。初めて麺類を食べてみようと思った。よく見ると中に入っている麺が違うようだ。緑豆春雨のような麺をすすっている人もいれば、刀で削ったような刀削麺をすすっている人もいる。

いつも混んでいる店だったが、朝の出勤時間は特別だった。客席に一人しかいない中年女性の店員は動きっぱなし。客は駅の立ち食いそばのように入れ替わり立ち替わり入ってくる。

テーブルの上をかたづけながら客からオーダーを取り、厨房へ伝えに行く。その帰りにできあがった料理を持って戻ってくる。テーブルに料理を置くと、食べ終わった客のもとに行き、お腹に巻かれたウエストポーチから釣銭を出しながら会計をする。そして、またテーブルの上をかたづけるという最初のルーティンに戻る。彼女なりのリズムができあがっている。

「担担面」と書き、彼女のリズムを壊さないように見せる。彼女は笑顔を見せる余裕もなく、素早くうなずいて、厨房に向かう。五分後、目の前に置かれた料理に唖然とした。客が食べている料理のどれかは担々麺だとばかり思っていたが、どれも違ったのである。

僕の器の中にスープは見当たらず麺が盛られて入っているだけ。麺は太く、まるで、ざるうどんのようだ。麺の上には、そぼろ状のひき肉が載っている。不思議そうに見入っていると中年女性が僕の様子に気づき、テーブルの上をかたづけながら、こちらを向いてかき混ぜる仕草をした。

箸で恐る恐る麺を持ちあげる。すると下の方に真っ赤なスープが少しだけ入っている。どうやら下のスープと絡めて食べるらしい。持ちあげるようにかき混ぜる。あっという間に白い麺はラー油をまぶしたような赤い麺に変わっていく。日本で馴染みのある担々麺とは違い、油麺とつけ麺を足して二で割ったような料理である。これがまた美味辛い。

ちょうど客足が一旦、落ち着き、中年女性は、ほんの束の間の休憩に入ったようだ。空いたテーブルの一つの席に座って肘をつきながら僕を見ていた。僕が親指を立て「グー」のサインをして笑うと彼女は笑った。笑顔の関係性は保たれているようだ。それにしても口内炎が痛い。

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世界一周ひとりメシ イシコ

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