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早く結婚して出産するのが夢…慟哭の真実が明らかになる感動ミステリ #1 罪の境界

「約束は守った……伝えてほしい……」。それが、無差別通り魔事件の被害者となった、飯山晃弘の最期の言葉だった。みずからも重症を負った明香里だったが、身代わりとなって死んでしまった飯山の言葉を伝えるために、彼の人生をたどり始める。この言葉は誰に向けたものだったのか? 約束とは何なのか?

薬丸岳さんの最新刊『罪の境界』は、決して交わるはずのなかった人生が交錯したとき、慟哭の真実が明らかになる感動ミステリ。謎が謎を呼ぶ、本作の冒頭をご覧ください。

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ホテルに入ってロビーを見回すと、吹き抜けの階段の下に色とりどりのドレスを着た一団を見つけた。

浜村明香里は自分が着たドレスの胸もとをちらっと見た。ちょっと地味だったかなと思いながら彼女たちに近づいていく。
 
「明香里、遅いー」
 
水色のドレスを着た千春が最初に明香里に気づいて大声を上げ、他のふたりもこちらに顔を向けて手を振る。
 
「ごめん」別に時間に遅れているわけではないが明香里はみんなに詫びた。
 
それにしても、美紀はピンク、葵は黄色、そして自分は紺色と、別に示し合わせて選んだわけでもないのに、見事にかぶっていないことに感心する。
 
この四人と今日の主役の恵梨は静岡市内にある清光高校の同級生だ。みんながみんな同じクラスではなかったが、テニス部だった。明香里は東京の大学を出て現在は練馬区内にある小学校の事務員をしているが、恵梨も含めた四人は地元の大学に進んで静岡市内で働いていた。
 
「じゃあ、行こうか」
 
葵の言葉に頷き、みんなに続いて吹き抜けの階段を上っていく。二階にある会場の入口付近はたくさんの人で賑わっていた。
 
「ちょっと待って」と明香里は言って、ウエルカムボードの前で足を止めた。みんなも寄ってくる。
 
まわりにきれいな花をあしらったボードに、新郎新婦それぞれの時代を切り取った写真を貼りつけている。その中には高校のテニス部の写真もあった。部を引退するときに撮った三年生五人の写真だ。
 
新郎の名前は招待状で知っていたが、年齢や職業やどういうきっかけで付き合い始めたのかは知らない。三ヵ月前に届いたLINEでいきなり結婚すると知らされた。今年の正月に実家に戻ったときにみんなで食事をしたが、そのときには恵梨はたしか彼氏はいないと言っていたはずだ。
 
「新郎の中谷さんって何をしてる人なの?」恵梨と特に仲のよさそうな美紀に訊いた。
 
「あ、聞いてない? 弁護士だよ」
 
明香里が言葉を返す前に、「えっ、そうなの?」と千春が反応した。
 
「旅行会社のOLと弁護士っていうのが結びつかないんだけど」
 
「今年の三月に中谷さんが恵梨の勤める旅行会社を客として訪ねて、それで見初められたって本人は言ってたけど。でも、わたしの勘だと逆ナンだね」
 
「それにしても、三月に出会って十一月に式とはなかなかのスピード婚だね」
 
「ここだけの話、デキ婚ってやつ」
 
明香里は驚いて、「本当!?」と訊き返した。
 
「うん。今、六ヵ月だって。子供が生まれる前にどうしても式を挙げたいって、ふたりでそうとう式場を探し回ったみたいだよ」
 
「それで今日なんだ」千春が納得したように頷く。
 
土曜日であるが今日は仏滅だ。
 
「今どきそんなこと気にする若いカップルはいないでしょう。恵梨は年内で仕事を辞めて、専業主婦になるんだって」
 
美紀の言葉に、千春がうっとりとした眼差しで口を開く。
 
「いいなあ、弁護士夫人なんて。じゃあ、今日の式にも弁護士先生がけっこう来てるってことだよね」
 
「まあ、何人か来てるんじゃない? さすがに向日葵のバッヂはつけてないだろうけど」
 
「わたしの嗅覚で何としてでも探し出す! 歓談の時間になったら一緒にお酌して回ろうよ」千春がそう言いながら美紀の腕をつかんでせがむ。
 
「何言ってんのよ。あんたのまわりにだってお医者さんの先生がごろごろしてるでしょう」
 
「病院に勤めてるっていったって、管理栄養士だから先生と接する機会なんてほとんどない。入院してるおじいちゃんやおばあちゃんから、うちの孫の嫁にどうだとよくスカウトされるけどさ」
 
千春と美紀のやり取りを聞きながら、明香里は少しばかりのショックを受けていた。
 
恵梨から妊娠したことを知らされていなかったのもそうだが、それ以上に先を越されてしまったということに対してだ。
 
学生時代から常々、自分の夢は早く結婚して出産することだと友人に話していた。もちろん恵梨にもそうだ。
 
子供の頃から明香里は母のことが大好きだった。自分の親だからそう思うのは当たり前のことだが、好きという以上の憧れを抱いていた。
 
明香里を産んだとき、母は二十三歳と若かった。専業主婦だった母は家にいるときにはいつも明香里や四歳年下の弟の涼介の相手をしてくれ、手作りのお菓子などもよく作ってくれた。家に遊びに来た同級生たちは、若くて気さくで料理好きできれいな母を自分の親と比較して羨ましがった。自宅の近くで建築事務所を営む父も、仕事よりも家族を第一に考える人で、明香里と涼介とよく一緒に遊んでくれた。中学生になっても高校生になっても明香里には反抗期は訪れず、休日には家族で旅行するか、母とふたりで買い物に行ったりお茶したり映画を観に行ったりしていた。
 
早く結婚して体力のある若いうちにたくさんの子供を作って幸せな家庭を築きたい。
 
いつしかそれが明香里の夢になっていた。
 
居心地のいい実家を離れて大学からひとり暮らしを始めようと思った理由のひとつは、あまり家族とべたべた仲良くし過ぎていると、いい相手を見つけられずに婚期を逃してしまうかもしれないと危惧したからだった。
 
もしかしたら妊娠していることを伝えなかったのは、恵梨なりに明香里に対する気まずさがあったからかもしれない。

ひとしきり恵梨の話に興じると、明香里たちはウエルカムボードから離れて受付に並んだ。ご祝儀袋を渡して芳名帳に記入するとチャペルに向かう。
 
中に入るとすでにたくさんの人たちが着席していた。空いていた後方の席に四人並んで座る。明香里はバージンロードに近い内側の席で式が始まるのを待った。司会者の声に全員が起立すると、外国人の神父が現れて開式の宣言をする。
 
黒いタキシードを着た新郎がチャペルに入り、反対側の席に座る友人たちに茶化されながら聖壇前に向かう。パイプオルガンの音色とともに白いウエディングドレスを着た恵梨が現れ、父親に伴われてゆっくりとした足取りでバージンロードを進む。
 
まわりの人たちと同じようにスマホで写真を撮りながら、まだ見たことのない燕尾服姿の父とバージンロードを歩くときを想像する。
 
そのときの父も、今の恵梨の父親のように涙ぐむのだろうか。それともやはり、自分が好きな優しい笑みを浮かべるだろうか。
 
聖壇前で神父を挟んで新郎と新婦が向かい合う。神父による誓約の言葉が始まり、「はい、誓います」と新郎が答える。続いて神父が恵梨に目を向ける。
 
「恵梨さん。あなたは広志さんと結婚し、夫としようとしています。あなたはこの結婚を神の導きによるものだと受け取り、その教えに従って、妻としての分を果たし、常に夫を愛し、敬い、慰め、助けて、変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死がふたりを分かつときまで、命の灯が続く限り、あなたの夫に対して、堅く節操を守ることを誓いますか」
 
「はい、誓います」と告げる恵梨を明香里は羨望の思いで見つめた。
 
 
二次会を終えて家に着いたときには夜の十時を過ぎていた。
 
鍵を外してドアを開けると、その音を聞きつけたように母がすぐに玄関にやってきた。
 
「なかなかセンスいいじゃない」
 
玄関口に立つ娘を見て開口一番に母が言った。
 
「ありがと。でも、まわりに比べてえらく地味だったよ」明香里はそう返しながらハイヒールを脱いで玄関を上がった。
 
「人の結婚式で目立ってもしょうがないでしょう」
 
「それもそうだけどさあ」
 
リビングに入ると、誰もいない。
 
「ふたりは?」明香里は母に訊きながらソファに座った。
 
「お父さんは珍しく依頼主のかたと打ち合わせついでに飲みに行ってる。涼介は友達と飲み会だって」
 
弟の涼介は地元の大学に通う四年生だ。
 
「ねえねえ、早く恵梨ちゃんの写真を見せてよ」母がそう言いながら明香里のスマホをせがむ。
 
恵梨を含めてテニス部の同級生は何度か家に遊びに来たことがある。母はいまだに全員の顔と名前を覚えている。
 
明香里はバッグから取り出したスマホを操作して母に渡した。「素敵ねえ」と連呼しながら母が目じりを下げて写真を見ていく。
 
「東原さんとはどうなってるの?」ふいにスマホからこちらに視線を移して母が言った。
 
「どうって……普通だよ」
 
会わせたことはないが実家に帰るたびに恋人の航平の話はしている。
 
「結婚の話とかは出ないの?」
 
「今のところは……ね」
 
「今度うちに連れてらっしゃいよ」
 
「うん……まあ、でも、今は忙しそうだからしばらく難しいかも」
 
航平は自分よりもひとつ年上で、市谷にある大手出版社に勤務している。入社してしばらく営業部にいたが、昨年の春に文芸部に異動になってからそれまで以上に忙しくなったと、会える時間が少なくなっていた。
 
航平とは大学在学中に友人を介して知り合った。いわゆる合コンというやつだ。他の男性に比べて取り立てて話が面白いわけでもなく、ルックスもいたって普通だったが、きちんと人の話を聞こうという姿勢や、他の人たちに料理を取り分けたりするなどのさりげない気配りに好印象を抱いて、帰り際にLINE交換をした。
 
数日後にLINEに誘いのメッセージが届き、その週末にふたりで映画を観に行った。それから定期的に一緒に出かける仲になったが、すぐにお互いの趣味や好みが合わないことに気づいた。明香里は恋愛小説が好きで、映画を観るといえばだいたいがラブコメか、もしくは文芸大作と謳われる感動できるものだ。かたや航平はミステリー小説がこよなく好きで、ひっきりなしに車が横転したりビルが爆発したりするアクション映画か、戦争映画を選ぼうとする。食事に関しても明香里がイタリアンかあっさりとした和食を好む一方、航平は焼き肉や胸焼けしそうな豚骨系のラーメンを食したがる。
 
お互いに好きなものを譲歩しつつの交流だったが、それでも航平と一緒にいる時間が心地よく感じられた。

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罪の境界


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