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人も自分も傷つかずに済む、気持ちのいい勝敗 #4 ずる賢く幸せになる

本当のずる賢さは
《人》が好きな人間のもの

気持ちのいい勝敗ってのが、本書の最大のテーマである《ずる賢さ》によって得られるものであり、本当のずる賢さにしかなし得ないものだと考えてるわ。

そして何よりそれが一番《人も自分も傷つかずに済む》戦い方だと思ってる。重要なのはこれが戦い方の一つだってこと。勝負や勝敗から逃げる手段ではないことを留意してもらえると助かるわ。

まずこの《競争が欠かせない社会の構図》を一個人の力で覆すことができないってのは、悲しいけれど現実としてあるわ。一人だけテストを白紙で出しても周りの人間には点数がつけられるように、個人が持つ力はストライキにはなれない。よくてボイコット。

それに自分だけが勝負から離れて生きても、競争的な社会と関わらずに生きなければならないという《人生の選択の幅を狭める》時点で、それは競争社会の被害者とも言えるわ。例えば学校に通わないという選択も、覚悟と意志があるなら別にいいと思うの。義務教育は大人が子どもを学校に通わせなければならない義務がある、という意味で義務教育という名前を冠しているのであって、子どもが通わなければならない義務でも縛りでもない。だけど今の社会だと実際問題学校に通わないで社会に出ると職業選択などで幅が狭まることも多い。それが競争社会ゆえの《肩書きや実績主義》の在り方。少し悲しいけれど選択には当たり前にデメリットが付き纏う。

もちろん人と関わらないことの方が適性があるという人間もいるし、孤立は不幸な結末を迎えるということでは決してない。世の中には幸せな社会的孤立を選べる人もいる。

例えば都会から田舎に移住して晴耕雨読の生活をする人とかね。田舎でもある程度は人と関わらないとならないし、都市部と違った煩わしさもあるけれど、世相の反映が遅く、流行に流されない生き方はまた違った自由を得られるだろう。

あとは都市部でも、周りの何かと競争しなくてもいいくらい独自の立場を築いている人ももちろんいる。その人しかできないという独特な能力でセルフブランディングをして、周りと差別化できてる人とか。唯一無二の需要がある商売ができる人は、同業者との競争が少ないし、収入の多寡にかかわらず満足してることも多い。

だけどその人たちが取る、浮世離れした生活というのは簡単に真似できるものじゃない。めちゃくちゃ覚悟がいることだと思う。大抵の人はこの社会に馴染んじゃう方がハードルは低いし、成功率が高いわ。だから特に夢がない場合は進学するのが吉だという風潮があるんだと思う。何かと選択肢の幅を持つために学歴を得るのはそれまた一つの戦略だとあたいは考えてる。

そうなればやっぱり、ほとんどの人が嫌でも他人と関わって競争する社会に身を置かなければならない。進む度にゴールのない競争と、そこで生まれる感情の諍いに苦労してゆく方が安牌だなんて皮肉で、絶望的な現実に思えるだろう。

だけど、この本を手に取るということは、きっとみんな基本的には《人が好きな人間》なんだと思うの。

人が好きというとまるで接客やサービス業でお客様に奉仕するのが生きがいみたいなイメージが湧くかもしれないけれど、家族や友人、恋人や恩師、同輩や同僚、そういった身近な人たちを好きなだけでも人好きだし、人と人とが繋がる関係性に安心感や幸福感を覚えるのなら、結局それは人が好きってことでいいと思うの。コミュニティや人の集まる場所を求める気持ちは、人好きにしか生まれないし。

あとは自論だけど、自分という人間が好きってのも人好きだとあたいは思う。自分が好きって何も恥ずかしいことじゃなく、自分を認めて堂々と胸を張り、他人と対等に関わるための要素だと思っていい。

自分のことで手一杯じゃないからこそ人のことをよく見て、人のために自分には何ができるのか判断できる理知的な面も生まれる。だから自分を愛せる人間は他人を愛せる準備ができてるってことだと解釈しましょ。

色々な生き方

それに、孤独で自分を愛せる人なんてあまりいないから。人って孤独になると自分を責めてしまうか、孤独な自分を守るために自己愛を拗らせて自分を無罪化して、そして周りの人や環境を責めたりしやすくなるの。そういう風に陥らないようにも、できない不器用な自分も許して、健全に自己肯定感を持ち、人と関わって愛される生き方をしたいと願う方がいい。だから自分を好きになりたいと切望することは恥ずかしいことではない。

孤立しても堂々と生きてる人も、心の中にはきっとたくさんの愛が詰まってる。だからやっぱり人間ってみんな始めから強い人なんていないと思うの。

人がいる空間にいれば色々と考えることが多くて、しんどい思いもするけれど、それでも誰かと一緒にいる空間を知って、そしてそこに身を置くからこそ他人を通じて自分を愛せるようになり、少しずつ強くなれるんだと思う。

結局、人と繋がって生きるこの社会で上手く生きたいと切望している人は、どれだけ打ちひしがれても《人が嫌い》というわけじゃなく、《上手くやれない自分》や《思い通りにならない結果》が嫌いなだけなんだろう。それさえ変えてしまえば、ちゃんと健全に胸を張って生きられると思う。

もちろん競争社会って理不尽で、醜悪な制度もあるから、見るに堪えない争いもある。誠実が食い物にされて、才能や努力が食い潰されて、どうあがいても日の目を見られないこともある。

だからこそすべての結果に満足もできず、すべての人を愛したりもしなくていい。そんなことができたら人間じゃない。あたいらは聖人なんかになる必要はない。

あたいら一般社会を生きる等身大の人間は、社会の生きづらさをみんなで考え、改善していくのと同時に、まずはこの社会での生き方も考え抜いて、避けられない勝敗を上手く利用してできる限り気持ちのいい勝ち負けにしていくことが最善策だと思うの。

じゃないとすべての戦いに挑んでしまえば自分の身を滅ぼすことも、する必要がなかった争いに身を投じることも、不本意ながら人を傷つけてしまうこともある。

ブラック企業や学校内のいじめ、職場でのイザコザに家庭内の不和──。

この世の中には環境を変えづらい争いが蔓延しているけれど、そこで個人として身を守るのと同時に、自分自身も人も傷つけてしまう刃や武器を持っているのなら、みんなにはそれを放棄して欲しいと思う。競争にただ興じる生き方は、きっとどこかで耐えきれないダメージを負うことも避けられないだろうから。

そのためにも、自他を守る武器である《ずる賢さ》をみんなで得られたらとあたいは考えてる。

さてさて、じゃあ《ずる賢さ》の説明に移るわね。

◇ 次回はあさって24日(木)に公開予定です! ◇

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もちぎ『ずる賢く幸せになる』

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ずる賢く幸せになる 表1