ネガティブのロジックと、自己矛盾

玄徳です。

ネガティブはなぜ辛いのか。

なるべく簡潔に伝える記事を書きたいです。

それは、自己矛盾しているから。
もっと言えば、
「自分はダメだ」
「自分なんてどうせ」
「自分が嫌い」
「自分の存在を否定する」
「死にたい」
そう、思っていながら、
いわゆる「ネガティブな人」は、立派に生きているからです。
雑に言うと「死にたい」って言いながら生きてる人って、矛盾してますよね。
辛くて死にたいのは自分を理解してくれる人がいないからで、本当は生きたくて理解者を探しているのだと、自分は解釈しています。

自分にとって「ネガティブな人」とは、自分に自信がない人、と言い換えられます。
その感覚は、自分と他者に不必要なほどに大きな壁を作ることがあります。そして孤独を感じていきます。これが極端になると、孤独な私は、生きていても仕方がない。だれも幸せにできないし、迷惑をかけるだけ。ならばいっそ…というわけです。

ここから見えるのは、「生きるためには他者との関わりが必須である」という一般的事実です。誰しもたった一人では生きられない。
それは歴史が、生物史が、証明済みのことかと思います。

有名な人が「社会とは、人と人との関係性である」と言っていた気がします。全てのコミュニティ(社会)は、二人以上の人間によってできるのであって、決して一人では生まれません。

ネガティブの程度が重くなると、社会を拒絶しながらまた社会を求める、というジレンマが発生します。
心の表面上では、自分なんてダメだ、人に迷惑をかけてしまうから、関わらないほうがいい、人から褒められたけれど素直に受け入れられない、とかなるんですが、本心では、実は誰よりも自分を理解してくれる人を求めている
苦しい自分を分かってくれて、受け入れてくれる。その上で、そばにいてくれる人を求めている。「あなたは私に何かを与えてくれるよ」とか「あなたのおかげで私は元気になった」とか、そして「あなたは生きていていいんだよ」って言ってあげられる人が必要なんです。

なぜかって、その人たちは本当に不安だから。
本気で自分を他者の下に置いていて、自分で自分の価値を低く設定しているから。
それを態度で「そうじゃない」って伝えるのは難しいので、自分は直接言うのが一番かなあと思います。

そんなわけで、自分も軽度とはいえ「元ネガティブ人間」としてネガティブに押しつぶされそうになっていたり、戦っていたりする人の力になりたいな、と最近は思っています。
多分一年前はあんまり思ってなかった。

正直その変化に自分自身戸惑ったりもしているのですが・・・。
これまで通り、人にあんまり迷惑をかけない程度に、自分の気持ちに従って正直に生きたいと思います。それがネガティブな人のロールモデルになるかもしれないですし(調子がいい)。

「自分全然ネガティブじゃないよ〜」って人も、いや、そういう人だからこそ、「ネガティブ」への理解は大切なものだと思っていて、少しでもこの文章で気づきが得られていれば幸いです。


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