自分がポジティブになった話 【浪人生編】

玄徳です。

今回は、この記事の続きの話になります。
まだの方は、先に読んでからこちらをお読みください。
(めちゃくちゃ間空いてごめんなさい!!)

・・・前回は自分のネガティブについて説明した気がします。
ざっくりいうと、自分への自信のなさであったり、無力感的な、自分を認められないって話でした。でも何かを作る楽しさっていうのも確かに感じていて、という感じの高校生でした。

話を続けます。
一番ひどかった高校三年生当時の自分の状況をまとめます。
前回も少し触れましたが、PC中毒→睡眠不足→日中ほぼ疲労状態、という負のサイクルに飲まれていたことに加え、三年生の文化祭に有志として参加(文化祭の最初と最後に全校生徒が体育館に集まって行うイベントの担当。それまで二年間担当していた自分は、参加するならリーダーになることが確定的だった。さらに、一、二年の時は自分含めて二人いた映像メンバーがおらず、参加すればこれまでにないほどの負担、つまり勉強どころじゃない夏休みになることは明らかだった)することを決めた時、自分は現役合格を諦めた、ということがあります。
そこで諦めたことで受験の中で一番緊張感のあるシーズンに一番モチベがない状態になってしまったことが大きいです。端的に言うと文化祭の終了とともに完全に燃え尽きた(しかも一部は意図的に)ということです。

そしてもう一つ、母についてを話題にしなければ当時の自分は語れません。

正直今はあまり思い出したくもないですが、昔から母は自分をあまり褒めない、でも自分のできないことや苦手なことへの指摘は厳しい人でした。
・・・まあ今もそこはあんまり変わってないですが。
自分は母のそういう部分が、自分の根っからの「ネガティブさ」とか「自信のなさ」に大きく影響したと考えています。

そういう色々なことの積み重ねによって、当時の自分はネガティブだったわけですが、ほんの少し賢かったのは「自分は今考えられる状況じゃない」ということが分かっていたということです。

どうしようもなく何もできない自分に辟易しながら、今日も何もできない。
そんな日々の中で、自分は転機を探していた、というとかっこつけすぎかもしれませんが。
ともかく自分は卒業後、つまりひとまず学校に行く必要がなくなる春休みの時期に考え直そう、と思ったのです。

で、受験は公立一本。大阪市立大学にめでたく落ちまして。
高校を卒業して、浪人生としての生活が始まる三月の間、自分は主に親戚の元を訪ね、いろいろと話を聞いてきました。
そして以前からなんとなく感じていた「母親への疑念」がある程度「確信」に変わるようになり、自分を信じて頑張ってみよう、と思ったわけです。

それから、この辺りは忘れている部分も多いのですが、当時の自分は「これからの生き方」について考えていたように思います。
いろいろ考えて、「自分は作る人になるのか、それとも作らない人になるのか」という問いが全てだと思った。それが自分が生きている上での「迷い」だったんですね。だからそこに決着をつけて、そこを軸に人生を選んでいけば後悔することはないだろう、と考えたんです。

自分にとって「作ること」は、リスクでした。
つまらないものを作るくらいなら、作らない方がいい。
作ることやその結果、誰かを傷つけるかもしれないなら、作らない方がいい。
でも。
作ることで生まれること、それは例えば誰かの楽しみであったりとか、驚きや、感動であったりとか。そしてそれを受けた自分、作ることで何かが変わっていく自分。そういった経験を並べて、振り返って、考えてみると自分には選択肢は一つしかなかった。
といってもやっぱり、何も作らない人生は考えられなかったんですよね。
二択で与えられたら、「作る」を選ぶしかなかった。

そんなわけで、自分は「作る人」になりたいと思った。
そのためには、ポジティブに、生きやすく生きる必要があると思ったし、大学にもいく必要があると思った。あと、母にはあんまり文句を言われないようにしないとな、とも少し思ったりした気がします。
なんにせよ、そうやって「なりたい自分」を描いて、自分は浪人生活に臨んだのです。

もう大切なことは全部話してしまって、浪人生活それ自体にポイントはほぼないんですがw
浪人生なのに一日3、4時間しか勉強できなかったこと。
でも自分を責めずにマイペースを貫いたこと。
浪人生なのに授業をサボって寝たこと。
デレステは事前登録からリセマラまでやりきったこと。
年末、初めてステージで、知らない人たちの前で演奏を披露したこと。
センター試験で現役とほとんど変わらない結果を残したこと。
初めての私立大学受験は前期全滅したこと。
大事な公立前期試験の前日に犬塚小春ちゃんに会いにいったこと。
当日彼女のことを思いながらなかもずに行き、ぼーっとした頭で帰ったこと。
近畿大学の後期受験の間の時間に大阪府立大学の合格発表を見たこと。
雨の中疑心暗鬼で帰ったこと。
帰宅して間も無く、少ししっとりした合格通知書類が届いたこと。
母と握手して顔を上げたら、その目には涙がにじんでいたこと・・・。

もちろん本当はもっといろいろあって、これだけ見るとなんで合格したのかって感じですが、そんな感じなんです。
自分でも不思議でした。
でも、だからこそ、自分は大学で頑張らなければならないのだろうなと思わされたのが正直なところです。

それから丸3年ですか。
それだけ経って考えてみると、自分ってどうだったんでしょうね。
まあそういった振り返りは別のところですることにしましょう。

結局「ポジティブに転換する」ということは、「自分を信じて行動するかつ、その行動が一定の成功を収める」ということに近い気がしているのですが、自分の場合は本当にまぐれ要素が強いので、成功のための秘訣みたいなものはありません。
ただ、その前の自分自身で考える、ということなら少しは言えるかもしれない。自分にとって大切だったのは、「物事を絶対視しないこと」「人と話をすること」「状況を分析して、解決策を考えること」だったように思います。
これらはあくまで自分がやっていたことで、今の自分が比較的得意としていることです。きっと人それぞれ得意なことがあって、それに合ったやり方があるのだと思います。
でも、もしこの辺りの経験や言葉が参考になるなら、それはきっといいことじゃないかなって思います。

またいい感じの表現があればまとめ直したいですね。
わかりにくいとかあったら遠慮なく言ってください。
自分の諸々の経験についてお付き合いいただき、ありがとうございました!

これからもよろしくね!!


基本的に投げ銭待ちスタイルです。 よろしくお願いしたりしなかったりしています。