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居眠り猫と主治医 ⒔ 桜の甘酒 連載恋愛小説

お酒で飛んだ記憶が、ある日まるっと戻ってきて、はじめて病院以外で祐と言葉を交わしたのは、春だったと気づく。
「桜を見て泣いてる女、はじめて見た」
泣いてないですよと唇を動かすと、目じりから数滴こぼれ落ちた。

青空に映える薄紅の花びらが風に揺らめく。
院長厳選の穴場スポットは、地元の花見客がちらほらいるだけで、夜のように静まり返っている。
このまま異世界に迷いこみそうな、不思議な空間。

***

「その飲みかた、やめたほうがいい」
文乃を現実に引きずり戻す、重い声がした。
胃にものを入れたほうがいいのはわかっていても、のどを通らないのだからどうしようもない。
「液体しか受けつけないっていうか…」

姿が見えなくなったと思ったら、コンビニまでひとっ走りしてきたらしい。甘酒で割ったホットミルクなる、体に良さげなものを手渡してくる。
「…え。お店のレンジでわざわざ?」
ベンチに座る横顔を見つめてみても、表情はまったく変わらないし息も乱れていない。

「そっか、お医者さんて体力あるんだ」
「いや、そこ職業関係ある?」
両手でコップを抱きしめる。
肌寒い春の日に、冷たい缶ビールはキツかったのだと気づいた。
自分を罰するクセがついているせいだろうか。

「ふいー、なんかやさしい味。なごみますな」
お金を払おうとしても固辞されたので、何かお返しさせてくださいと食い下がる。

***

兄の結婚式に招待されず、存在しない扱いを受けている。
ここまであからさまだと絶望を通り越し、虚無しかない。
出席したらしたで、居場所がなくて悲惨だろうけど。
「うとまれるレベル超えてません?」
ハハハと笑っても、もちろん相手は笑わない。

「家族のことはわからないけど」
「うん」
「自分を責める必要ないのでは?」
泣かしにくるなあと腕をバンと叩いたら、彼はひとつまばたく。

「あったかいですね、とことん。さすが懐が広い。…ん?大きい?」
「なんかツッコミどころが…」
「ねっ!やさしい」
にっこり笑いかけて、本人に同意を求める。
懐が深い、が一般的だそうだ。このお医者さんは国語教師もできるのか。

(つづく)






















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