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小鳥カフェ トリコヤ ⒊報酬はちみつレモン 連載恋愛小説

通されたのは防音室で、なにかの機材や楽器で雑然としている。
コンペがれるかどうかはこのデモで決まるけど、緊張はしなくていい。
ナゾのプレッシャーを与えられながらも、かの子は半分ヤケクソで歌った。
お手本のボーカロイドに引きずられたせいで、何度も修正を求められる。
難所の高音パートにいたっては、歌うたびに音程が揺らいで安定しない。

「あのーやっぱり素人にはムリで…」
「そのまま伸びやかに、まっすぐ」
口もとに手をやり、画面を見たまま鋭く指示。突如、鬼教官と化している。ボーカロイド版を使えばいいのでは…と強く思ったが、とても言いだせる空気ではない。

録音中、完成したはずの歌詞にも創史そうしは手を入れていた。
何かのスイッチが入ったようだった。
音とリズムに巧みに言葉をのせる。
繊細な作業のじゃまだけはしたくなくて、かの子は無我夢中だった。

***

終わったあと、ぐったりと放心した。
何時間もくりかえし歌うという慣れないことをして変なところに力が入り、体のあちこちがきしむ気がする。
世に出ることはない仮歌にも、ここまで精魂が込められているんだな。
知らない世界にふれるのは、新鮮だった。

はちみつたっぷりのホットレモンを入れてくれた創史が、無理させてごめん、とつぶやく。
なんとなく既視感を覚え、かの子は目を見開いた。
一刻も早く帰りたくなって立ち上がると、どういうわけか足もとがふらつく。

「酸素不足かも。しばらくじっとして」
頭を動かさないように腕をまわすから、自然とハグになっている。
意味がわからないので、押し返した。
「帰ります。おじゃましました」
逃げ足早いよね。真顔のコメントに、かの子はますます頭が混乱した。

(つづく)


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