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#005 悪者のいない地獄

1回目の自殺未遂から、夫の病状は大きく波を打つことになる。1週間のうちで元気な日は、釣りにいきたいと出掛けていったり、夜中に友達と遊んだりする。元気のない日は、食事もほとんど摂らず、家でぼーっとしていることも多い。
そんな中で一度目の自殺未遂以降、大きく変わったことがあった。
私への攻撃だ。しかも、非常に激しかった。他の人からそのような話は全く聞いたことがないので、おそらく私だけだったのだろう。

仕事中に何度も着信が入ることが増えた。出れなければ、折りたたまれて表示されるくらい長文のライン。内容は、私に対しての攻撃ばかりだった。
「お前のせいで俺は病気になった。」「自分ばかり楽しく暮らしやがって。」「離婚する。」「お前ばっかり…。」「お前のせいだ。」「消えろ。」「お前のことなんか好きじゃなかった。」
そんな言葉を何回聞いてきたか。私も家に帰るのがしんどい日も多くなっていった。それでも、帰らなければ。
そして帰宅すると、だいたい夫は泣いていた。高いところにくくりつけられた紐は、いつの間にか日常化し、それをまた隠す日々だった。

ある日、帰宅すると夫がキッチンに座り込んでいた。目の前には、包丁を3本並べている。咄嗟に、包丁を取り上げて隠した。
ある日、帰るとコルクの鍋敷きに包丁が垂直に刺さっていた。
ある日、一緒にテレビゲームをしていると、首をやんわりと絞められた。徐々に力が入って、そして力が抜けていった。
夫はいつも私の前では泣いていた。私の心は、おそらくこの頃に壊れてしまっていたんだろう。夫の前では、ほとんどが無感情で、優しく夫をなだめ、たまに夫の見ていないところで、苦しみが吹き出して、泣いた。
表面上の対応と夫も気づいていたんだろう。そのあと怒りが何倍にもなって返ってきたり、私に怒りをぶつけてしまった罪悪感から大きく体調を崩す日が増えていった。
毎日がジェットコースターで、綱渡りだった。


私は、怖いという感覚が麻痺していた。
朝起きて、仕事に行き、帰宅して家事と夫のケアをする。下手に感情を持っていては、成り立たなかった。もちろん一番大切な人だからこそ辛くて、悲しかった。けど、その悲しいという感情を表現する場所もなく、夫を守るためには、夫が乱れないように気を使い、日々を送るしかなかった。
いつも自分に無感情を言いくるめ、平静を装い仕事に行き、平静を装い夫と対話する。そんな私を、夫は本当にひどく嫌った。何度も怒鳴っていたし、その後で泣きながら叫んだりもした。その頃から、夫は癖のように、何度も何度も、壁に頭を打ちつけた。
本当に地獄だった。
けれども、私は一切、腹が立つこともなく、どうしたら守れるのかばかり考えていた。どうにか2人で脱出する道はないか考えた。むしろ、そう考えることで、目の前の現実を見ないようにしていた。


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