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#002綻びはじめたのは。(後)

「中程度うつエピソード」
夫が初診で言われた診断名だ。初診できちんとした診断がつくわけではない。そのことが、今だったら少しわかる。夫が本当にうつ病であったかどうかはわからない。ただ、その時は、医療機関に繋がったこと自体に少し安心したのを覚えている。私も夫と同じく福祉関係の相談業務に携わっていた。だからこそ、医療機関に繋がらないことの難しさを知っていたからこそ、医療機関に繋がったこと、そして診断書を貰って、夫が少し会社を休めることに安心したのだ。
本当にバカだった。休むことが夫をさらに苦しめるとは、その時は全くもって考えていなかった。6月中旬にかけて、夫の病状は全く回復しないまま、1度目の谷底に転げ落ちていく。

6月中旬。夫が初めての自殺未遂をした。
夫が休職に入ってすぐ、私は新しい部署に異動していた。周りのメンバーに少し慣れてきた頃で、部署も繁忙期を過ぎて、少しゆったりと過ごせている時期だった。
ある日の夕方、夫から数分おきに十数回にわたって着信履歴が残っていた。しばらくしてから気付いて、折り返すものの電話に出ず、ラインも既読がつかない状況だった。職場に家庭の事情は伝えておらず、そのまま仕事終わりにすぐに帰宅した。
夫は寝室で横になっており、返事はなかった。
少し背の高い健康器具、ドアノブ、クローゼットの取手など、さまざまな場所に紐やベルトがくくりつけられていた。ゴミ箱には、くしゃくしゃになった遺書が捨てられていた。最初に身体が固まってしまったのはこの時だった。遺書にたまたま気付いたその時、耳が少し遠くなって、少し現実から離れた感覚がした。なんとしても、夫を守りたいと思った。

部屋をきれいに片付けて、未遂の痕跡も消して、部屋を明るくして、ご飯の準備をして待っていた。夫は、8時半ごろに起きてきて、テーブルの私の前に座った。
「おはよう」と私が言って、「おかえり」と夫が言う。ここ1ヶ月でするようになった新しい挨拶の形だった。ご飯を食べてから話した。私からは何も言えなかったから、夫が「ごめんなさい」と言って会話が始まった。
「死にたかった」と。「自分のせいで私を困らせている。」と。「離婚してほしい。」と。一番最初に「離婚」の言葉を言ったのは、夫だった。
何より私を悩ませたのは、「私と一緒にいるのが辛い。」という一言だった。おそらく、全てが心からの言葉だったのだろう。また、耳が遠くなった。二人とも何も話せず、会話は終わった。その日も、お風呂で一人で泣いた。



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