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#004 少し明るいおはなしをしたい

ここまで続けて読んでくれた方たちに、きっとしんどい思いをさせてしまっているのではないかと思いました。
しんどい中、ここまで読んでくれてありがとうございます。
このあとも、しばらくは苦しい場面は続くのですが、そのあとは山あり谷ありながら、今の穏やかで、落ち着いた、彩りのある生活のお話に続いていきます。

「少し明るいおはなし」と題うってみたものの、何が明るいのかと、どうしても躊躇してしまうのです。
こんなにも、なかなかに暗くて、苦しいエッセイを書いているものの、普段の私は、お酒が好きで、毎週のように色んな人たちと楽しく酒を飲み、ダイエットしたいと周りの人に言いながらも友達とご飯を食べ、今日も推しの生誕ライブで暴れ回っていました。

きっとここまでエッセイを読んでくれた人の想像と全く違うのではないでしょうか。そこまで変われたことは、周りの人に恵まれたこと、そして、常に自分の状態をモニタリングする練習を重ねてきたことなどが功を奏したと考えています。

夫が亡くなった1ヶ月後、少し忙しい日々がさったある日、全く眠れない日が4日続きました。狂いそうになり、薬の服薬が始まりました。
その頃に残したメモはとても悲痛で、危機迫るものがありました。

今苦しい状態にいる人も、もしかしたら、何かに縋る思いで読んでくれているかもしれません。

私も苦しかった。
私も死にたかった。
どうしようもないことだけど、自分ばかり責めていました。

もしかしたら、傷つけてしまうかもしれないけれど、あえて伝えたい。
私は、何かきっかけがあって救われたんじゃないんです。
求められてる回答じゃないかもしれませんが、いきなり視野が開けて、誰かが自分を救ってくれたわけではないんです。
私は少しずつ、色んな感情と色んな瞬間を積み重ねて、少しずつ少しずつ変わっていきました。
衝撃的な出来事から、少し離れたなと思えるまで、期間の長い人もいれば、短い人もいると思います。人との比較ではないんです。まだ立ち直れないから、私はダメだ。ではないんです。ダメなんてことは、決してないんです。

ひとつ、産業医の先生から言われて、自分の中で少しずつ噛み砕いて、実践したことだけ、紹介したいと思います。この先生は、夫が亡くなる前、病気の激しい時から相談が始まり、結局私が会社を退職するまでずっと相談にのっていただいた方です。
夫が亡くなって3ヶ月くらい経った頃、「感情が波にさらわれて、大荒れで、海に沈み込んでるみたいに苦しいです。」と伝えました。苦しくて苦しくて、息が乱れるような日もある頃でした。
先生の回答は、「波に流されるのであれば、「流されているな。」とただ、そのまま感じてください。流されないようにと抵抗せずに、「あー、こっちに流されているな。」と感じるだけで、そのままいてください。」というものでした。
つまり、客観視してください。ということなんだと思いますが、難しく抽象的な、短い一言ではなく、あくまでも寄り添い、噛み砕いていただいたことで、スッと優しく染み込んでいきました。結果、比較的早い時期から客観視する癖がついていったように思います。

私は、自分の考えが暗い方に、悪い方に流されてしまいそうな時、暗闇に続いていく恐怖と一緒に、自虐的にそちらの暗い方に流されてしまいたいという、小さくて密やかな希望とが入り混じりました。暗い方に行けば、夫の気持ちがわかるかもしれない。という建前とは別に、もうしっかりと立っていたくなかったんだと今ではわかります。

そんな気持ちになっているかもしれない人へ。
あなただけではないです。どちらに流されようと、否定も肯定もせずに、ただ流されているなとだけ感じていてください。きっと、どちらにも本当に自分の求める答えはないと思います。どんな答えが来ても、自分が傷ついてしまうから。
だからこそ、何もしないという3個目の選択肢を、今ここに置いておきます。





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