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マティス展への道

美術館の変化


東京都美術館で行われている、「マティス展」に行こうと思った。
まあ、上野公園にある美術館等は規模も大きく、企画展もさまざまであり、よく訪れるというのが本当のところ。
しかも、障害者はすべて無料なのだ。行かないなんてもったいない。

「マティス展」は、美術館の3フロアすべてをマティス作品150点余で埋めた、マチスの生涯全体を知ることのできる、なかなかのものだった。
しかし、日本の美術館・博物館は、ちょっと写真に厳しすぎるのではないか。
一方、すこしずつ変わってきているのか、今回の展覧会では3フロアのうち1フロアは写真撮影OKだという。だいたい年代順に作品は並んでおり、なぜ1フロアだけ写真撮影OKなのか理解できなかったが。

MOMAでの衝撃

私はほとんど欧米に行ったことがないが、もう、30年以上前だがニューヨークに2週間ほど滞在したことはある。その時、多くの美術館・博物館をまわった。
ニューヨーク近代美術館(MOMA)で、階段を上がって作品のある2階に上ると、目の前にピカソの「アビニヨンの娘たち」がむき出しで展示されていた。柵もガラスもないのである。
私の動きが不審だったのか、警備員が警戒して近づいてはいた。しかし、近づいただけだった。
そして、館内はすべて写真撮影はOKだった。(もちろん、フラッシュは不可)
日本の美術館等に慣れていた私は、そのむき出しの展示に驚いたことを友人に伝えた。
友人は、「だから、日本の国立近代美術館の事件は、世界の美術関係者に衝撃を与えた」と教えてくれた。

1980年、国立近代美術館で起こった、梅原龍三郎作品を中心に38点の作品が鉄パイプで破壊された事件である。
犯人はわずか懲役3年。それもどうなったのか、調べても動機もわからない。

「大きな赤い室内」1948年
切り絵に移る前の晩年の作という

それ以前にも、1950年には金閣寺が放火された。室町時代からの舎利殿が全焼したのである。
日本では放火は罪が重い。しかし、懲役7年。5年で出所。この時の犯人の動機を慮って、三島由紀夫など、いろいろな文学者が作品にしている。さぞかし、犯人は満足であろう。
ちなみに、明治期の修理の際に詳細な設計図を作っていたため、忠実に再現されたが、放火前の金閣寺は金箔ははげ落ちていて、簡素なたたずまいだったという。金箔については、修復の際の創建当時の古材調査により金箔の痕跡が検出され、「創建時は全体が金箔で覆われていたという有力な推論が得られた」と、現在の姿になったという。なんと、ほとんどの時代の人は、金ぴかの金閣寺を見ていなかったのだ。現在のような姿は、1955年再建以降の、「有力な推論」による姿なのだ。 諸君、思い知ったか。

ヨーロッパで吹き荒れる、名作へのエコテロ

最近、ヨーロッパでは環境テロリストによる、名画汚損事件が多発している。まあ、環境のためなら人間が死んでもいいという連中である。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」、ゴッホの「ひまわり」、モネの「積みわら」、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。卒倒しそうな名前の名画が、この1年ほどの間につぎつぎに汚損されている。もちろん、ガラスケースに守られている。
ガラスケースから出ることはもうないだろう。
ちなみに、1974年「モナ・リザ」が日本に来た時に、ガラスケースに入ったうえに柵があり、目の悪い棟方志功は「俺にはなんにもみえねぇ」と言った。
いやぁ、そりゃそうだろう。きっと、「先生、おやめください」と周りも必死だったろう。

被害者のことはあまり考えず、犯罪者にはやさしい日本だ。いずれヨーロッパで起こっていることが形を変えて、日本でも事件が起きてくるだろう。
なにせ、殺人テロリストの意向にそって、法律まで改正してしまう国なのだから。

初夏の上野公園は気持ちが良かった。
そんな単純な一日はいい。
大道芸のPayPayは、「やるなぁ」と感心し、うれしくなった。

《夢》 1935年


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