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ナポレオン・ハント 薬屋探偵編

こんにちは。架空書店「鹿書房」店主、伍月鹿です
本日はナポレオン・ハント第二弾です

ナポレオン・ハントとは

主旨
 文芸作品の中に登場するナポレオンを記録します
目的
・楽しい
・ナポレオンのパブリックイメージを紐解けるかもしれません

ハント対象
・ナポレオンを題材にしてない文芸作品に記載されたナポレオン一世の名前やイメージ
・ナポレオンに関連して名前を残した同世代の人物(exミュラ、ネルソンなど)も含む

・ナポレオン一世との比較でない限り、ナポレオン三世等の子孫は含まれない
・ナポレオン本人との比較でない限り、ナポレオンパイ、ナポレオンコートなどの物の固有名詞は対象外
・仕事術等の自己啓発本はいまのところ除外


高里椎奈「薬屋探偵妖綺談 悪魔と詐欺師」

「ヘラね、今は病院に棲んでるの。永康総合病院って言って、相模原じゃ結構大きい病院で入院患者も多いの」
「へえ……」
 相槌を打った秋の顔色が、心なしか鈍色に濁った。
(中略)
 秋は短くなった髪が不揃いな項を指で掻いて、背もたれに寄り掛かった。
「続けて?」
「うん。だけどこの間、院長が死んじゃって。それから変なの。人間がね、夢を見なくなっちゃったの。深ーい眠りに入っちゃって、浅瀬まで引き上げようとしても効かないんだよ。絶対おかしいってば」
ナポレオンでも来るのかな?」
「つまんない冗談よして。マザーグースは嫌いなの」
「それはまた失礼。夢を見ないのは院内全員?」
「あら、瀕死の人間から生気が摂れるわけないでしょ?」

「悪魔と詐欺師」第三幕 夜鬼

薬屋探偵妖綺談シリーズは、1999年講談社ノベルスより刊行された第11回メフィスト賞受賞作品です
2024年現在もシリーズは続いていて、現在は2部「薬屋探偵怪奇譚」として数年に1回のペースで新刊が登場します

そんなシリーズの1部3巻にあたる「悪魔と詐欺師」は、シリーズを通して活躍するキャラクターが多数初登場する、ファンの中でも人気が高い一冊です

ちなみに店主はこの薬屋探偵シリーズのオタクです
登場人物の一人である座木のファンで、彼の豊富な紅茶の知識に憧れて自分もお茶を販売する仕事に就いたという経歴があります

閑話休題。ナポレオンハントに戻ります

会話をしているヘラは妖怪関連の厄介ごとを解決してくれる「深山木薬店」に訪れたドイツ出身の妖怪
聞き役となっているのは深山木薬店の店長・深山木秋です
彼は見た目こそ愛くるしい少年のようですが(詳しくは文庫版の表紙等を参照ください)

中身は何年生きているのかもわからない正体不明の妖怪
人間とは異なる感性や特性を持ち、手品や巧みな弁術で人を戸惑わせるのが好きな性格です
しかし探偵業や本職である薬店には真面目で誠実な面も見せ、人種問わず相談相手を必ず救う頼もしい人物です

上記シーンも彼が好んで使う相槌の方法
一見、関連なさそうな言葉を急に挟んで読者や会話相手を惑わせますが、よくよく意味などを調べてみると彼なりに意味が通っていて、知らない世界を覗く気分になれるやりとりです

今回は、唐突に登場したナポレオンの意味をひも解いてみました

まずは、ヘラという人物

「どこから見ても君は『ヘラ』には見えない。空を飛んで富や幸福をふりまく妖精にはね」
「そんなことないわ。ヘラだって、」
「実は、本物の『ヘラ』達に会った事があるんだ」
(中略)
「……名前として使ってるの。放っといて」
「了解。惹かれないのは君に魅力がないせいじゃないから、それだけは安心していいと思うよ。そこまで考えの至らない子供と、同系種族だから」
「嘘! クラキってインクバスじゃないわ」
「ってことは、君はサクバスか。似合わない物つけてるね」

「悪魔と詐欺師」

上記シーン、子供には「リベザル」同系種族には「ザギ」というルビがふってあります。ヘラの魅了が物語の主な語り手であるリベザルと、座木(ザギが本名、クラキが日本名)には効かなかったけど、それは君のせいじゃないよ、という話で種族が判明します

シリーズ中、正体がはっきりと語られるキャラと、曖昧にぼかされているキャラは半々くらい
作者の高里先生曰く、はっきりと種族がわかっていてもすべての特徴が当てはまるわけではないとのこと
座木も人間を惑わすガンコナーですが、彼はガンコナーらしくない面も多く持つ性格で、亜種と明言されています
人間と一言で言っても色々あるのと同じようなものなのでしょう

とはいえ、サクバスであるヘラが夜眠りについた人間から栄養を得るのは知っての通り
その特性が冒頭の引用とつながります

これだけだと、眠った人間が深い眠りに落ちる→ナポレオンが来る、のつながりがまだ不透明です
しかし、その次のセリフがヒントとなっております

「つまんない冗談よして。マザーグースは嫌いなの」

「悪魔と詐欺師」

マザーグースといえば日本では「不思議の国のアリス」でおなじみ
イギリスなどに伝わる伝承童謡を連想します

注目すべきは、ヘラはイギリス出身ではないという点
本国に伝わる歌ならば好き嫌いを語るのは無理がありませんが、ドイツ語を母国語とする彼女がする発言にしては少し違和感
つまり、ここで言うマザーグースは特定の童謡ではなく「子守歌」というものそのものを「嫌い」と言っているのではないかと推測できます

子守歌を意味する「ララバイ」には、子供の命をこっそり奪うと信じられた悪魔リリスを追い払うヘブライ語 「リリスよ。去れ!」に由来するという話もあるそうです
リリス、つまりサクバスの女王や女性悪魔を象徴する存在を払う子守歌を、ヘラが嫌う……というのは推測はなかなか説得力があるのではないでしょうか

ナポレオンが来る=子守歌の図式から調べてみると、ある曲がみつかりました

https://www.napoleon.org/en/magazine/period-glossary/bogeyman-boney/

ナポレオン情報サイトNapoleon orgに紹介されている子守歌
ナポレオンの侵攻を恐れ、揶揄した風刺の一種で、反抗的な子供に対して「ボギーマンが迎えに来るぞ」が脅したもののようです

歌詞はボナパルトが来るから早く寝なさい、ボナパルトは怖いんだよ、ということを歌っているようです
夜更かしする子供にあんまり起きていると怖い人物がやってきて、おまえに襲い掛かるよと脅す子守歌らしいもののようですね

'Baby, baby, naught baby,
Hush! you squalling thing, I say;
Peace this instant! Peace! or maybe
Bonaparte will pass this way.
Baby, baby, he's a giant,
Black and tall as Rouen's steeple,
Sups and dines and lives reliant
Every day on naughty people.
Baby, baby, if he hears you
As he gallops past the house,
Limb from limb at once he'll tear you
Just as pussy tears a mouse.
And he'll beat you, beat you, beat you,
And he'll beat you all to pap:
And he'll eat you, eat you, eat you,
Gobble you, gobble you, snap! snap! snap!'

bogeyman, boney

つまり秋は「怖い人がやってくるから、それを恐れて皆は夢も見ずに深い眠りに落ちてしまうようになったのかな?」という「冗談」を言ったことがわかります

しかし、無数に子守歌が存在する中、なぜ急にナポレオン感はぬぐえません
作品のオタクである店主だからこそはっきりといえますが、秋の言葉の意味をすべて理解することは不可能です。それが秋の魅力で、作品に深みを持たせる要因で、多くの中高生を夢中にさせたシリーズの魅力です

ここからはわたしの願望や思い込みも含む推測ですが、
唐突に登場するナポレオンと眠りを明確に結びつけるのは、上記知識が必要となります
でも、もしナポレオンのことを深くしらない人間が引用の文章を読んだとしても、なんとなく「ナポレオンでも来るのかな?」=(侵略者が来るなどの)「何か怖いことが起こる」ということは察せるのではないでしょうか
そこにナポレオンが使われた意味があるように思います

世界には様々な怖い存在がやってくると脅す子守歌が存在するようです
国によってワシだったりオオカミだったり、得たいの知れない何かだったり
とはいえ、いくら秋が知っているからと言っても唐突に「カニでも来るのかな?」と言ったところで読者にはなんのこっちゃとなりかねない

しかし、ナポレオンという誰もが知る人物の名を使うことで、
余計な雑音とならないまま話が進んでいくことに成功しています
そのように共通のイメージを皆が持つ存在としての使われ方をしているのではないか、というのが今回の結論です

また「夢を見れない」という言葉にもなんとなくナポレオンの存在とのひっかかりのようなものを感じます
わたしがナポレオン関連の書籍を読むたびに思うのが、ナポレオンという存在は必ず終わるのがいいなと
頂点に上り詰めたあとに陥落し、流刑されて生涯を追えます。そこまでが彼の歴史として語られることに、栄枯盛衰、諸行無常のようなものを感じられて、何度彼の死を見届けても毎度満足感のようなものを覚えます
壮大な夢を見た末に夢に溺れてすべてを失ったナポレオンと「夢」というワードをを関連付けた、とまで見るのはこじつけな気がしますが、可能性のひとつとして記させていただきました


薬屋探偵シリーズには、上記のように一読しただけでは意味を掴むことができない文章がときおり挟まれています
それをファンの方と考察するのも楽しいし、ずっとわからなかった意味が、ある日、別の知識をつけたことで急にわかることもあります
わたしは「双樹に赤 鴉の暗」に描かれる言葉の意味をずっと考えています

「お褒めに与かり。さて、ザギはフレイヤかロキかそれとも嫉妬に狂った恋多き彼女の崇拝者か。不粋だけど小人を探すしかないね」

「双樹に赤 鴉の暗」

作中、座木の持ち物が壊れてしまい、彼が非常に落ち込む姿が描かれます
しかし、その理由や由来などを話してくれない座木
秋は悩むリベザルに「ブリシンガメンかな」と語ります
豊作の女神の首飾りをめぐる物語に、過去を秘める座木を重ねた描写で、なんとなく言いたいことの意味は知ることができます

その上で、座木がフレイヤである可能性を疑うってどういうこと???

というオタクの妄想含む深淵がここにあります
いつか自分で納得できる説明を見つけたいです

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