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アルゼンチンの歴史 経済に注目して

ウルグアイの記事もまとまっていませんが、年末にアルゼンチンに行きました。アルゼンチンは為替レートが複数存在して、ブルーレートと呼ばれるもの、MEPレートと呼ばれるもの、VISAなど大手決済会社が設定しているレート、公式レートと様々あります。ちなみにブルーレートが一番よいです。(これからアルゼンチンに行く人はきれいな100ドル札をもっていくとよいです。ただ最近はカード会社のレートも悪くないです。)アルゼンチンは経済大国から経済危機を経験する国でした。
*こちらで現在のレートをチェックできます



19世紀後半から20世紀前半まで 移民の時代 経済大国の時代

 イタリアとスペインを中心とするヨーロッパ各国からのアルゼンチンへの人の移動は19世紀半ばに始まり、1856年から1932年の間に約640万人が入国しました。
国勢調査のデータによると(*外国人人口)45年で外国人人口が10倍になっています。※大規模移民による先住民の影響については今回ふれません

1869年 174万3353人 (  211,991人*)
1895年 395万4911人、(1,004,527人*)
1914年 788万5237人 (2,350,000人*)
出典http://www.ajel-jalas.jp/nenpou/back_number/nenpou035/pdf/ohba2015.pdf

 広大な肥沃な土地をもち農業大国として台頭していました。世界中でアルゼンチン産のコメや牛肉が消費されている時代でした。努力すればよい仕事、よい教育を受けれる環境が整っていました。

第一次世界大戦中も順調に経済をのばしました。

フアン・ペロン政権

 1943年の軍部によるクーデターにより実験を握っていたフアン・ペロンが1946年に政権を握り、政策を進めました。「ペロン主義」に基づいた貧民救済および福祉政策を推し進めます。完全雇用も達成したともいわれていますがバラマキ政策によってか経済成長率も停滞し、ポピュリズム(大衆迎合)という批判もあります。ですが、貧困率が減少したこと、外債の大部分を返済したことを踏まえると他の見方もできそうです。ただ自分自身で納得いくほど詳しくわかっていないのでここでは多くふれません。

https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/zk051/zk051h.pdf

1976年再び軍事クーデター ホルヘ・リベラ

資本と輸入の自由化、思惑とのうらはらに
外債が増えました。1975年78億ドルの外債が1983年には450億ドルにふくれあがり、増加。外債を返すためにまたお金を借りるという悪循環に。

フアン・ペロンの労働法に手を付け、労働者の権利を弱めるため組合を弾圧したり最低賃金制度を廃止しました。

アルゼンチンの賃金は一年で最低となり、貧困率も急激に増加しました。

そんな大変な中でも1978年にw杯をアルゼンチンで開催(賄賂を贈ったという説もあります)。なお、FIFAに対する批判についてはNetflix FIFAを暴く(邦題)を興味のある方はみてみても面白いかもです。

レオポルド・ガルチェリ フォークランド戦争

 軍事政権に対する不満が高まるなか、イギリスと領有権の問題を抱えていたフォークランド諸島(当時イギリスが実効支配)を取り戻すべくしかけます。当時サッチャー首相であったイギリスから反撃をうけ、アルゼンチンの敗北で終わってしまいます。ガルチェリ失脚の要因ともなりました。

ラウル・アルフォンシン

 軍事政権からラウル政権に代わり、様々試みましたが貨幣価値が下がり1989年には5000%のハイパーインフレが起きました。ドミンゴ・カバロ経済大臣は米ドルとペソを固定する兌換法で借金を返そうと試みましたが、アルゼンチンの製品が相対的に高くなり、輸出が大幅に減少してしまいます。
 逆に輸入品は安くなりましたが、それを利用した人はドルを海外に流出させ続けたのです。(なんらかのことを試さなければならなかったので彼を責めることは必ずしもできません)

フェルナンド・デ・ラ・ルア大統領

インフレを克服するための緊縮政策を行う。経済成長率も低下を続ける。このしわよせが来るのが国民です。2000年IMFに救済を求め、140億ドルの救済資金を支援しましたがそれと引き換えに緊縮政策を続けることを求めましたので、経済成長率はマイナスを続き、アルゼンチンの経済はマイナス成長を続けます。
 そんな中、ドル流出の事件をきっかけに12か月間の全口座凍結措置を行いました。それがきっかけとなり、国民の反発が起きました。


アドルフォロドリゲス臨時大統領


経済危機に陥ったアルゼンチンが2001年12月23日(現地時間)、一時支払い停止(モラトリアム)を宣言しました。アルゼンチンの債務不履行(デフォルト)規模は、史上最大の1320億ドルに達し、世界経済にかなりの影響を及ぼしました。

20日に辞任したフェルナンド・デラルア大統領の後を受け、同日アルゼンチンの臨時大統領に選出されたアドルフォ・ロドリゲス・サア(54)
モラトリアム宣言、どんどん下がる

キルチネル夫妻

ネストルキルチネル大統領が減税などの刺激政策を施工したため、経済は少し回復。その後新大統領はクリスティナ・フェルナンデス・デ・キルチネル氏。世にも珍しく、夫から妻へと大統領職が民主的に引き継がれました。

その後

マウリシオ・マクリ、アルベルト・フェルナンデスが大統領となり、現在、「アルゼンチンのトランプ」の異名をもつハビエル・ミレイ氏が2023年12月より大統領に就任しています。

関連レポートはこちら

https://www.dlri.co.jp/report/macro/302137.html

おわりに

南米の歴史は非常に奥が深いです。事実誤認などありましたらご指摘いただけると嬉しいです。

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