街歩き #007 | 東京都調布市の旅 ②
東京都調布市
こんにちは。本日ご紹介する街は「東京都調布市」です。前日に続いて調布市の2日目。主に調布市の西部エリアを訪問しました。
調布は漫画家の水木しげるさんが暮らした街。ちょうど今年が生誕100周年ということで、「水木しげるが見た光景」展に行ってきました。そして、調布は新選組局長・近藤勇の出身地でもあります。近藤勇ゆかりの場所にも訪れてきました。
石造仏が独特な祇園寺・秋祭り開催中だった国領神社・鬼太郎ゆかりの布多天神社・興味深い展示が多かった「水木しげるが見た光景」展・おしゃれなもみじ市が開催されていた多摩川・近藤勇墓所のある龍源寺・調布飛行場を望む武蔵野の森公園など…。
今回は「東京都調布市」を、京王線調布駅を中心に調布飛行場周辺まで街歩きします。
祇園寺(天台宗)
調布駅からバスで10分。緑に囲まれたお寺が祇園寺です。
730年又は750年満功上人開山。1908年中西悟玄住職は自由民権運動の犠牲者を弔う追悼法要を開催。境内の赤松はその時に板垣退助が植樹したものと伝わります。本堂左手には日本野鳥の会創設者・中西悟堂の歌碑。悟堂の養父が住職の悟玄でした。
深大寺と同じ満功上人開山のお寺です。本堂向かって右に閻魔堂・左に薬師堂があります。境内に入ってすぐに見える石人像は大陸由来の雰囲気のある像ですね。
国領神社
祇園寺から祇園寺通りを真っ直ぐ下り徒歩10分。甲州街道沿いにある神社が国領神社です。
創建不詳。1640年多摩川のほとりにあった第六天社と神明社が別当寺の常性寺(薬師寺)と共に甲州街道筋に遷座。第六天社は第六天神(薬師如来の守護神十二神将の中の第六番目)を御祭神としていました。1870年の神仏分離で神産巣日神を御祭神に変更。1876年第六天社から国領神社に改称。1963年旧神明社の社地に両社を合祀。
こちらは " 千年乃藤 " と呼ばれる御神木の藤の木が有名な神社です。境内には藤棚が広がっていますね。5月の連休前くらいの開花時期は見事な咲きぶりのようです。この日はちょうど"国領秋まつり"が行われていて、境内にはステージと出店が並んでいました。
常性寺・調布不動尊(真言宗豊山派)
国領神社の裏手にまわり、歩いてすぐの場所にあるお寺が常性寺です。
鎌倉時代に多摩川沿いに創建。慶長年間に旧甲州街道沿いの現在地へ移転。御本尊は本堂に安置されている薬師如来像。江戸時代に祐仙法印が成田山新勝寺より成田不動尊を勧請して中興。本堂である薬師堂の前に不動堂があり、調布不動尊として知られています。
他にも、調布七福神の布袋尊が祀られていて、新春の調布七福神巡りの時期には多くの参拝者で賑わうお寺です。
天神通り商店街
常性寺から旧甲州街道を10分歩いたところに天神通り商店街があります。布多天神社への参道で旧甲州街道と甲州街道をつなぐ商店街。メインストリート・電通大通りの一本裏手にあります。
商店街のあちこちに妖怪たちのオブジェが置かれている通称"鬼太郎通り"。近くの旧甲州街道沿いには"妖怪ポスト"まであるんですね。
布多天神社
天神通り商店街を5分ほどまっすぐ歩くと布多天神社に到着します。
旧郷社で延喜式内小社。創建不詳。垂仁天皇の御代(古墳時代)の創建と伝わり、927年制定の「延喜式」にも名を残す古社です。1477年多摩川の洪水を避け、現在地に遷座。甲州街道の布田五宿(上石原・下石原・上布田・下布田・国領)の総鎮守として古くから栄えた神社です。
境内の"親子けやき"は父・母・子が寄り添っていますね。水木しげるさんが描いた疫病封じの妖怪・アマビエの御朱印を頂きました。
調布市文化会館たづくり
布多天神社から徒歩10分。調布駅前広場から少し入ったところに調布市文化会館たづくりがあります。
1995年開館。調布駅近くにあるホール・図書館・展望室を備えた文化施設。かなり立派なビルですね。"調布"と書いて"たづくり"と読ばれていたことが施設名の由来。調布市名誉市民・水木しげるさんの生誕100周年ということで、11月30日まで"水木しげるが見た光景"展を開催中です。
< 水木しげるが見た光景 >
水木しげる生誕100周年記念と同時に調布市平和祈念展と銘打たれた特別展。水木さんは妖怪に関する作品の他にも、ご自身の経験から戦争の実態を描いた作品を多く残されています。
水木さんの原画を中心として、”戦争・調布・言葉”の3つの切り口から展示をまとめた構成がいいですね。会場の所々に配置されたお言葉の垂れ幕が印象的です。
調布の街を愛した水木さん。よく調布の街を歩かれていたということで、調布の名所を描いた原画のコーナーもありました。鬼太郎が深大寺や布多天神社を歩いていますね。
会場の一角に疫病退散のアマビエの絵。そういえばアマビエも"妖怪"でしたね。
調布市郷土博物館
調布文化会館たづくりから徒歩15分。住宅街の中に調布市郷土博物館があります。
1974年開館。調布の歴史を紹介する郷土博物館。各種展示の中でも見どころは近藤勇に関する展示です。入り口に展示されている近藤勇像は西光寺山門脇の銅像の原型だそうです。2004年”新撰組!”の大河ドラマ館に展示されていたもののようですね。また、展示室中央には近藤勇生家・宮川家の復元模型が展示されています。
あとは、前日に訪れた深大寺城跡に関する展示も興味深く拝見させていただきました。
角川大映スタジオ・調布映画発祥の碑・映画俳優の碑
調布市郷土博物館から徒歩5分。入口に大きな大魔神の像が置かれているのが角川大映スタジオです。
京王多摩川駅近くにある角川大映スタジオ。入口にある大魔神像はかつての大映映画を代表するキャラクターですね。中に入ることはできないので、外観だけ拝見しました。
近くの児童公園にはカメラの形の調布映画発祥の碑と多くの名優が刻まれた映画俳優の碑が建てられています。
万葉歌碑・多摩川白衣観音菩薩
角川大映スタジオから多摩川方面に徒歩10分。多摩川堤通り沿いに万葉歌碑と多摩川白衣観音菩薩があります。目の前は多摩川河川敷です。
2003年建立。狛江の玉川碑と同様に " 多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき " が刻まれた万葉歌碑です。多摩川で晒した布を調として納めたのが調布の地名由来です。調布と書いて " たづくり " とも読むのでしたね。1910年の多摩川洪水で流れてきたという白衣観音の祠もあります。
多摩川・もみじ市2022グリーン
万葉歌碑の前から多摩川河川敷を歩いて5分。もみじ市のイベントが開催されていました。
京王多摩川駅近くの多摩川河川敷で開催。"大人の文化祭"と銘打って行われたイベントです。作家のアート作品が主体の出展でおしゃれな感じですね。緑の芝生が広がっている場所で、秋を感じながらぶらぶらするだけでも楽しいイベントでした。
鬼太郎ひろば
多摩川河川敷から徒歩20分。鶴川街道と京王線が交差するところにある公園が鬼太郎ひろばです。地下化されている京王線の上に作られた公園です。
2019年開園。"ゲゲゲの鬼太郎"などの水木作品の妖怪やキャラクターが設置されています。一反もめんはベンチに、ぬりかべはボルダリングとして設置されていますね。鬼太郎の家の滑り台は子どもたちに大人気。街中の公園ですが家族連れで賑わっていました。
金山彦神社
鬼太郎ひろばから京王線沿いに徒歩5分。住宅街の細い路地にある神社が金山彦神社です。
1600年頃創建。刀鍛冶ゆかりの神社。住宅の間の細長い参道の先に祠があります。旧甲州街道沿いの柿の木がある場所が " 近藤勇新選組馬止めの地 "。1868年甲陽鎮撫隊として甲州に赴く途中、出身地の上石原村に入る際に身なりを整えた場所と伝わります。
覚證寺(浄土真宗本願寺派)
金山彦神社から徒歩10分。住宅街の中にあるお寺が覚證寺です。
1561年釋宗龍が京都に建立。1594年江戸へ移転。明暦の大火・関東大震災・調布飛行場建設などで度々の移転の後、1944年現在地に移転。
こちらには調布在住だった水木しげるさんの墓所があります。11月30日の命日 " ゲゲゲ忌 " には墓参の参拝者で賑わうお寺です。
西光寺(天台宗)
覚證寺から徒歩15分。旧甲州街道沿いにあるお寺が西光寺です。
1396年石原聖天坊創建。元は修験道寺院でした。江戸時代に甲州街道・上石原宿の中心寺院として現在地移転。
上石原は近藤勇生誕の地。甲陽鎮撫隊として甲州に赴く際に立ち寄り、境内で休息を取ったと伝わります。山門脇に近藤勇銅像があります。現在、山門は改修工事中。
野川公園
西光寺からバスで15分。調布・小金井・三鷹の3市にまたがる広大な公園が野川公園です。
1980年開園。元は国際基督教大学のゴルフ場でした。調布・小金井・三鷹の3市にまたがる広大な公園。公園の6割以上が調布市にあります。調布側は木々と芝生が広がる緑地。元ゴルフ場と言われればなるほどと思える景色ですね。
龍源寺(曹洞宗)
野川公園から南に歩いてすぐのところにあるお寺が龍源寺です。こちらのお寺の所在地は三鷹市になります。
江戸時代初期に箕輪将監開基・家山東伝開山。江戸時代には鷹狩に訪れた徳川将軍家が休憩所としていたとも伝わります。
御朱印を頂戴した後、気さくなご住職と少し立ち話。" 近藤勇の墓所が墓地の中ではなく本堂裏手近くにある理由 " について " 斬首者は墓地内に葬れなかったので、当時墓地外だった本堂近くにあるのですよ " と教えて頂きました。勉強になります。山門近くには銅像と碑があります。
近藤勇生家跡
龍源寺から歩いて5分。人見街道沿いにあるのが近藤勇生家跡です。
近藤勇は1834年多摩郡上石原村の豪農・宮川久次郎の三男として生まれました。久次郎は屋敷内の納屋を剣術道場とし、出稽古先として天然理心流・近藤周助を招きました。
生家は1943年調布飛行場の進路で取り壊され、今は産湯の井戸のみが残されています。
調布飛行場
近藤勇生家跡から歩いて5分。武蔵野の森公園から見えるのが調布飛行場です。
1941年開設。陸軍や米軍の管理を経て74年に全面返還。現在は伊豆諸島への空の玄関口として空港利用されています。
武蔵野の森公園から見る空港の景色が素敵ですね。都心近郊と思えません。近くにある掩体壕は軍用機を敵の空襲から守るための格納庫でした。
武蔵野の森公園
調布飛行場の周囲にある公園が武蔵野の森公園です。
2000年開園。調布飛行場に隣接した南北に分かれた公園。調布・府中・三鷹の3市に跨がります。公園の半分が調布市です。
展望の丘からの風景は光の関係で印象派の絵画のようですね。緑の芝生が広がるウォーキングにぴったりな公園です。
小さな旅の終わりに
前日に続いて調布市へ。調布市ゆかりの人物といえば、漫画家の水木しげるさんと新撰組局長の近藤勇。水木さんの作品 "星をつかみそこねる男"。同じ調布の偉人・近藤勇の漫画も書いていたんですね。
布多天神社裏の御神域は立ち入り禁止になっていますが、この雑木林が鬼太郎が棲む森のモデルとされています。水木さんの命日である11月30日は ” ゲゲゲ忌 ” として、調布の街をあげて水木さんを偲ぶイベントが毎年開催されています。
晩年まで駅周辺をよく散歩していたという水木さん。92歳で一心不乱にハンバーガーにかぶりついた逸話が好きです。鬼太郎ひろば公衆トイレのマークにも注目。
鳥羽伏見の戦いで敗戦後、近藤勇は勝海舟との話し合いで、新選組を甲陽鎮撫隊に名を改めて甲州に向かいます。旧甲州街道沿いにある西光寺は近藤たちが休息をとったお寺と伝わります。近藤の出身地・上石原宿で村人から大いに歓待を受けたという話は、大河ドラマ”新選組!”でも描かれていましたね。
近藤勇生家跡は調布飛行場の北側にあります。今は産湯の井戸が残るのみですが、井戸の脇にある小さな祠が近藤勇を祀る近藤神社です。
ユーミンが ♪ 調布基地を追い越し ~ と歌った調布飛行場。この道は青空に続く滑走路ですね。
国領神社で開催されていた"国領秋まつり"。境内から流れてきた曲が、Taylor Swiftの " Shake It Off "。神社と洋楽はちょっとミスマッチな感じもしましたが、地元の子供達が曲に合わせてダンスを披露していました。
この曲は、2014年にリリースされたTaylor Swiftの言わずと知れた代表作。カントリーからポップにイメージを大きく変えた曲ですね。