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スター、それとも悪質ないじめ?


軽いノリの「〇〇ハラスメント」

 最近、〇〇ハラスメントという言葉を聞かない日はないというほどよく聞く。今日もラジオをつけた途端「それってカスハラ(カスタマーハラスメント)じゃん!」というラジオパーソナリティの声が飛び込んできた。リスナーさんからの投稿で、職場でお客様からクレームを受けて落ち込んだという内容に対しての反応だったようだ。
 いったいどのようなクレームだったのかは触れられていなかったため、本当にカスハラにあたるのかは不明だ。こういった場合、第三者が「〇〇ハラスメントだ!」と決めつけていいのか、まるで囃し立てるように言うことが良いことなのだろうかと、疑問に思うことがある。

名前を違う読み方にしてみたら…

 というのも以前、職場で小学生の頃の思い出を語った際に不可解な反応をされたことがあったからだ。
 それは、私が小学校4年生の時の国語の授業だった。自分の名前を音読み、もしくは訓読みに変換してみたらどうなるかやってみよう、というもの。おそらく教師は、漢字には様々な読み方がある事に興味を持って欲しかったのだろう。
 ほとんどのクラスメイトが自分の名前がどうなるのかワクワクしながら変換し、それをお互いに教えあっていた。その時、私の斜め後ろに座っていた男の子の音読みがちょうど流行っていたガンダムに似た音になり、ほかの男子生徒たちから「かっこいい!いいなぁ」と歓声が上がった。ガンダム好きの本人もかなりご満悦な様子。

普通の男児、一躍スターの座に

 そのクラスメイトはそれまで、友達もそこそこいるがそれほど目立った存在でもない、ごく普通の生徒だった。それが一躍、スターの座に躍り出たという感じで、授業の途中から急にクラスの人気者になったのだ。
 本人のもともとの明るい性格もあったのだろう。漢字の音読みがそのままあだ名になったことを気にしないどころか、むしろクラス中から存在を認められ、中心人物の一人になれたことに嬉しそうだった。それから卒業するまで、その子はクラスの人気者としてみんなから好かれていた。
 このことがなければ、その子は目立つこともなく普通の生徒で終わっていたかもしれない。ひょんなことで、急に注目を浴びるようになる。一瞬にして流れが変わることを体験した授業だった。

それは教師によるいじめ?

 何がきっかけだったか、その時のことを4~5人の同僚を前に話したことがあった。当然、私としてはあの時のクラスの雰囲気と同じ、良い反応になると思っていた。ところが、である。かえってきた言葉は、
「何それ、ひどい。教師によるいじめじゃん」
「最低な教師だね」
「バカな教師」
「その子がかわいそう」
「よそどひどい学校に通ってたんだね、教師が率先して生徒をいじめるなんんて」
であった。どうしてそうなるの?

状況を知らない人間は受け止め方も全く違う

 彼女たちの反応にめんくらったのはこちらだ。賞賛されずとも、少なくとも否定されることはないと思っていた。ところがいくら言葉を変えて説明をしても、彼女たちの散々な評価は覆らなかった。
 それほど年齢の違わない彼女たちの反応を見て、状況を良く知らない人に話すと、ひとつの物事がこうも違う受け止められ方をされてしまうということを目の当たりにした。もちろん、受け止める側の理解力やこちらの伝え方にも問題があるのかもしれないが。
 その頃は「セクシャル・ハラスメント」という言葉がちらほら聞かれるようになった頃の事。多くの「〇〇ハラスメント」という言葉が存在するいまだったら、彼女たちはもっと騒いだだろうか。

言葉の概念はあってしかるべき。でも第三者は…?

 「〇〇ハラスメント」という言葉が定着し、訴える場ができることはよいことだと思う。言葉が認識されることによって、自分の置かれた立場をより理解できるようにもなる。言葉ができることで楽になることもある。
 だがしかし、状況を良く知らない第三者が、もう一方の言い分を聞く機会も得ずに「それは〇〇ハラスメントだ!」と一方的に決めつけるのはいかがなものか。
 むろん、冒頭のラジオで紹介したリスナーさんの投稿と、私が体験した内容とでは違いがある。とはいえ、よく知りもしない第三者が状況を決めつけるという点においては同じである。
 言われたりやられたりした本人とは全く関係のない第三者が、囃し立てるように言うのは、やはりちょっと違う。そう感じるのは、私だけだろうか。

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