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「独学ですか?」と聞かれた話。

 女性のお客さんに言われました。
「マジック凄かったです!ところで、マジックは独学で覚えたんですか?」と聞かれた。

 僕は『独学では無いですね。特に師匠が居た訳では無いのですが、手品を教えてくれるビデオがあったり、教えてくれる会があったりして、そこで教えてもらったりしてるので、独学とは言い切れないですね』と答えた。

 するとそのお客さんは「でも特定の師匠が居ないって事は独学ですよ!凄いですね!」と言ってきた。

その後は、それとなく会話をしてお客さんを見送ってから考えてた。

 そのお客さんは手品で喜んでくれて、僕を独学の凄いマジシャンにしたかったのだろうと。

 それにしても何故“独学は凄い”と思うのだろう?
日本人特有の考え方なのでしょうか?
何故か独学を凄いと思う様です。

その前に、独学の線引きが難しいですね。

 調べてみると、師匠や先生等、特定の人について、教わってない人を独学と言うようです。
特定の人につくと言うのが、どれくらいの時間、または期間なのかは不明。

そうなってくると、かなりの人が独学になりますね。

 今では動画配信もあるので、かなりの人が独学になりそうです。

むしろ師匠が居てるって人の方が圧倒的に少ないのになぁ。

マジックと言うと、覚えるには師匠が居てるイメージがあるのかも知れませんね。

 たまにマジシャンで独学をアピールしてる人を見ると、『この人は“凄い”と思って欲しいんだなぁ』なんて思ってます。
 多くのマジシャンが独学なのに、独学=凄い という感覚を利用する為にあえて独学をアピールして、より凄いと思って貰えるようにしているのだと。

 それに関しては良くもなく悪くもなく、繰り返しになるが、ただ“そういう人”なんだなぁと思うだけである。


 個人的な意見としてはあまり好きでは無い。
 確かに僕は特定の人の弟子になる事は無かったのですが、出会った人や一緒に働いた人、レクチャーに行った人、本やビデオでその人の作品に触れた事等、色んな形で覚えました。
 僕の中で“独学”という表現は、誰にも教わらずに自分で考えてやってきた様なイメージがあります。
 間接的、あるいは直接会って教えてもらった事もあるのに、独学と表現してしまうのは、教えてもらった人に対して申し訳なく感じてしまいます。
 教えてくれた人たちは、自分の為ではなく、僕の為に教えてくれた。
その気持ちを台無しにしてしまっている様な気がしてなりません。

 そんな教えてくれた人たちの気持ちを無視して、ただ自分が❝凄い!❞と思ってもらいたいが為に、わざわざ自分から独学をアピールするのは、どうなのかと思ってしまいます。

 独学のイメージは、僕の勝手な思い込みかも知れませんが、人の作品や気持ちは僕の宝物なので、大切にしたいです。

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