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若いも老いもどっちもどっち

7歳と77歳。考えも見えている世界も全く異なるでしょう。
77歳が体験した7歳と、7歳が体験する77歳。
喜ぶこと、悲しむこと、楽しむこと、恥ずかしいこと、甘酸っぱいこと。
湧き上がる感情は同じでも、感情が湧き上がる場面は異なるでしょう。

川辺で光る蛍と、街で光るイルミネーション。
汽車に乗って隣町に行けることと、飛行機に乗ってアメリカに行けること。
思いを手紙に綴ることと、思いを一つのLINEスタンプで返すこと。

社会の変化と共に変わる生活様式。若年者と高齢者が本当に分かり合えることは難しいのかもしれません。それでも、難しいと分かっていても、互いに歩み寄ること、その気持ちが大切なのだと思います。ただ、歩み寄り方次第では、反対に互いの距離が離れてしまう可能性もあります。

並木を散歩していると、前方から恐らく祖母とその孫、そして恐らく孫の母と祖母の友人の4人組が歩いていました。すると恐らく祖母であろう人が、ふと樹皮がツルツルの木を見つけて立ち止まり、「若いっていいわよねー、ほら〇〇ちゃんみたい。」と恐らく孫に語りかけました。それに便乗した恐らく祖母の友人であろう人が「若いからあんなにツルツルなのよ。」と豆知識を披露しました。

そうなの?と思い調べたら、樹皮がツルツルな品種なだけで、若さは関係なさそうでした。そんな孫は、とても不服そうな顔をしていました。祖母と孫は物理的には1mほどの距離でしたが、心の距離は1km離れました。(完全な主観です)

若いから何でもできる、若いから羨ましい。お年を召した人にそう感じるかもしれませんが、若い人にとっては、歳をとっているから発言力があり、自由な行動を振る舞えて羨ましい。結局どっちもどっちだなと思います。(中には「もうおじさんだから。」と一気に自分の年齢を引き上げ、人生の余暇を味わおうとする22歳の大学生がいたことを思い出しました。自分が50歳になった時には自分をどう周りに伝えるのだろう。「わたしはもう魔王だから。」とかだろうか。)

”今”という時間を7歳で感じられるのは7歳だけ。
”今”という時間を77歳で感じられるのは77歳だけ。

それぞれが感じている”今”があることを理解すること、
それぞれが感じている”今”が異なっていることを理解すること、
それが歩み寄ることなのかもしれません。

分かり合えることをあきらめる、明らかにする。
ただただ、互いの視点を楽しむことが大切なのかもしれません。

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