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さよならだけが人生だ

おはようございます
明日も休みの日曜日の朝

毎週3連休だったらいいのに

能登の被害の全貌がわかるにつれて悲しみが大きくなる
今年もよろしくねって言い合ったばっかりなのに、、
行き場のない怒りと悲しみが湧いてくる

悲しいことは平等に起こるってわかったのが東日本大震災

わたしだけ特別ってことはまったくなくて

現実は容赦がない


ここからはもしかしたら震災の悲しみを直面化させたり思い起こさせてしまうかもしれないので読んでいただけたらありがたいけど警鐘

東日本大震災のとき私は山形で生活をしていて
友だち歴4年、付き合って3年の彼氏が石巻にいた

2年後に結婚する話をしていた


その人の職業は消防士で
市民を守る方だから勝手に大丈夫だろうと思っていた
『今から出動だからしばらく連絡できない』

最後のメールになった

大丈夫と信じながらツイッターで安否確認の情報を探したりした

連絡がつかないまま3週間が過ぎたころ
共通の友だちから電話がきた
いろんな人から情報を集めてくれていた

『落ち着いて聞けよ、職場も連絡ついていないんだって』

それを私に話すことにどれだけの勇気がいっただろうって
今ならその友達の痛みも想像する

そして書きながら自然と涙が出てくるくらい
わたしはあのときのことからまだ回復しきれてない


自分だけが安全な場所にいたことはずっと罪悪感になった

あのときからなんとなく雨の日がいちばん落ち着く天気になった
晴れも好きだけど雨が降ってると落ち着く

東北では今もときどき
「あのときどこにいた?」という話になる
「山形」っていうと被害は小さい人と位置づけられ
聞いてきた方の被災の話になる


それはそれで大切な時間だと思う

雑談のなかだとしても
対人援助職という職業もありしっかり聞こうと思う

今だから語れるようになることもある

でもわたしにもとっても悲しいことが起こったんだよって気持ちはずっと抑圧してきてしまった
良くも悪くもなかなかうまく自分をコントロールできるほうだと思う
(食欲以外


だから
被災地から遠くにいる目の前の人が被災地と関係のない人だと
決めつけないでほしいなって密かな願い

もしかしたらそこで親戚や友達やもしかしたらパートナーが大変な思いをしているかもしれないし
旅行とかで大切な思い出がある場所かもしれない
自分が安全な場所にいて罪悪感を感じている人かもしれない

むずかしいけど
少しだけそんな配慮を頭に置いてもらえたら
みんな安心につながりやすいのかなと思ったりしている

311以来わたしはあけましておめでとうと簡単に言えないでいる
いつだれが喪中かわからないからだ
家族に限らず気持ちが喪中ということはありえる

そこまで考える必要ないでしょ
知らないことがあって当然って思われるかもしれない
でも誰がどれだけの悲しみを背負っているかわからないから
わたしがそうしたくてそうしている

だがしかし今年の元旦
小学生のおいっこと保育園のめいっこの全力の
「あけましておめでとうございます!」
がとっても気持ちが良くて
こんな無邪気に言い合える日々が最高だと思いながら
小学生のおいっこからお年玉が少ないとぶーぶー言われた

まったくもう!
そんなかわいい君たちの笑顔全力で守りたいよ

大事な人との死別に
去年は大事な人との離婚を経験して
ほんとにさよならだけが人生だなってしんみり思うようになった

そのぶん今周りに存在する人やモノのありがたみ
自分の経験を尊びたい

能登のこともそう
また今年も3月が近づいてくる

誰かの痛みに寄り添う2024年でありたいと同時に
自分の痛みももっと和らげていきたい

感情豊かに過ごしたい


ここまでもし読んでいただいていたら
本当にありがとうございます

あのときからの日々
生き延びるために必要だったこの曲をおいて







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