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学校で勉強するのがイヤ?そりゃ押し付けられればそーなるさ

 ↑このnoteにも書いたけど、義務教育とはそれ自体が押し付けである。
 誰からの押し付けなのか、そこは今回は説明しない。だって、本題からズレまくるからね。

不思議なあるある(主に社会人)

 さあ、このnoteを見てくれている君よ。こんなあるあるを聞いたことがないかな?

「学生だったときは、勉強するのが嫌で嫌で仕方がなかった。」

「でも、社会人になって働くようになってから、勉強がしたくなった。」

 社会人という言葉は大っ嫌いだが、ともあれこうなる大人たちが割と多いらしい。

 なんでこーなるのか?
 今回は不思議なこの現象について考えてみようかね。

「勉強?やりたくない!」(by学生)

 逆に聞くけど、「やれ!」って命令されてやりたくなるやつっておるの?
 いや素朴に。

 しかもさぁ、「なんで勉強するの?」って聞いてもまともな答えが返ってこんのよ。というかこれに答えられる大人自体、ごく少数よ。
 だって、

 そもそも大人も、なんで勉強するのか分からないんだから。

 そうやって、勉強の意義も教えずに「やれ!」って命令されてやるかって言われたらねぇ…。本人にとっての必要最低限しかしないよね。当然やけど。

学生と社会人の、勉強に対する熱意


 つまるところ、答えはとてもシンプルなのだ。
 自発的なのか、そうでないか。それだけなんよ。

 ところで話は変わるが、啓発って言葉を知ってるかね?
 「何も知らない無知な羊ちゃんを教えて導いてやって、目を開かせてやる。」これが啓発の意味。

 啓発の語源は、論語の『憤せざればせず、悱 (ひ) せざればせず』という一文なんよ。何を伝えたい一文なのかと言うとだな、

「学問に対して、ふるい立つほどの情熱をもたない者には、教え導くことはしない。わかっていながら、それを口に出せないで、もどかしく思うほどの積極性を示さない者にも、教えることはしない。」

 教える側だけでなく、そもそも教えられる側の生徒にも相応のものが求められるというわけ。具体的には、やる気と貪欲さか。

 かなり厳しく聞こえるかもな。けどさ、これって当たり前じゃない?

 学ぶってのは本来、公から、外部から押し付けられればいいもんじゃないの。自発的に、自分からやろうとするもんなの。

 残念ながら、日本政府はこのことを分かってない。あるいは、分かってて知らんぷりしてるわ。

 何も考えず、ベルトコンベアの流れるままに進路を決めて、奨学金という借金を重しにして、税やら健康やらを搾り取られて死んでいく。
 残念ながら、この現状の方が、盲目の人間が多い方が都合のいいことも多いやろうからなぁ。

 たかが一個人ではあるけど、この流れを少しでも変えれたらと心から願うよ。

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