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祖母と戦争、ときどきデカビタ

僕には2人の祖母がいる。

片方は父型の方でどちらかというと放任主義というか、あまり僕に干渉してこなかった。自由人で世界中を旅しながら元気に暮らしている。

もう片方の祖母は戦争体験者で旦那である祖父も戦争に駆り出されていた。(祖父は見事生還したという)

こちらの方は戦時中の話になると変なスイッチが入り、「あの時はこうだった〜」「質素だった〜」という話をしだすと止まらなくなり、そこに”防空壕”という単語は必ず登場していた。

戦争経験者がいなくなってる今となっては貴重な話だが、当時ゲームボーイ命の小学生にしてみたらこの話は退屈で仕方なかった。まぁ年寄りの昔話とはそういうものだ。(失礼)

なので、なるべく戦争の話はしないようにしていたが、うっかり当時図書室で読んだ
<はだしのゲン>の話をしてしまい、戦争トークの火種をつけてしまった時は自分のドジさを悔いたものだ。

学歴や筆記試験に対するこだわりも強く、成績優秀だった母は相当なプレッシャーをかけられていたという。

試験のある日は学校へ母を見送るその背中に

☝️

というポーズを掲げていたらしい。
「成績1番を取ってくるのよー☝️!」
という意味らしいが、我が祖母ながら正直ドン引きである。

当時の母は体が弱く、病気がちだったみたいだが、こんなプレッシャーを日々かけられたなら体よりも先に心がやられると思うのだが。(また、そのオーダー通り本当に1位を取ってきていたという母も大概すごいと思う。)

ただ、2人とも孫の僕には相当期待してたようで、僕が東大に入ることを期待していた。受験勉強の過酷さを知れば知るほどそんな浅はかなセリフは出なくなるのだが…

ちなみに僕の近親者に医者や高学歴がいるわけでもない。一体何をもって僕が東大の門をくぐると思ったのか。子や孫にそんな夢を見るのは万人共通とは思うが、少し度が過ぎてると思う。

↑まさにこのセリフ通りである

病に侵され、息も絶え絶えだったときでも、当時高校生だった僕の受験の心配をしていた。   

祖母「〇〇(僕の名前)は国立に行けそうなの?」
僕「いやーちょっと厳しいかもね」

これが祖母との最後の会話だ。
すごい執念である。

結局祖母は僕の大学入学を見届けることはできなかった。(僕が東大へ行くこともなかった)

なんだかイジってるようにもディスってるようにも聞こえるが、ものすごく可愛がってくれたし、愛情を注いでもらったという感覚は強い。亡くなった時はもちろん食事は喉を通らなかったし、墓参りもそこら辺の人よりも足繁く通ってるつもりだ。

幼少期にその祖母とよく一緒に祖父の墓参りに行ったのだが、いつも墓地にあるサントリーの自販機で「デカビタ」を買って一緒に飲んでいた。昨今レッドブルやモンスターなど色んなエナジードリンクがコンビニに並んでる。好きでよく飲んでいるが、とりわけデカビタへの思いは強い。

時は経ち、ブラック企業でボロボロになった深夜の帰り道に少しでも元気をつけようと、いつかのようにサントリーの自販機でビンのデカビタを飲みながらふと

「ばあちゃん、どこかで見てるかな」
「こんな姿みたらガッカリするかな」
なんてセンチな事を思いながら夜空を仰いだ日を今でもはっきりと覚えている。

時代は移り、デカビタはビンよりも缶の方が主流になりつつあるが、時々ビンのデカビタを自販機で飲むと、思い出すのである。
僕の中で茶色いビンといえばデカビタで、これを見ると祖母の顔が浮かぶ。

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