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【現代小説】金曜日の息子へ|第十二話 意味ない話を囀る人、それに頷く人

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そういえばつい先日、病院内の人事が決まって俺の担当医が神戸の病院へ転出することになった。俺はそのことが少し嬉しかった。しかし、俺以外の同じ病棟にいる少なからぬ人にとっては残念な出来事に感じているようだった。

神戸といえば俺も仕事で1年ほど行き来をしたから馴染みがあるし、医療の街を掲げているだけあって充実している。先生にとっては栄転だったのではないだろうか。

俺の担当医は子供たちの人気者で、子供たちにプレゼントされたのか、子供が使うような可愛らしい手帳に病棟の子たちの生年月日を書きつけていた彼女は、子供たちの誕生日が巡ってくると、夜更けにやってきて枕元に一人ひとりに宛てたメッセージカードやぬいぐるみを置いていくのだ。

後から知ったことだが、祭りの日には『あんぱんまん』のスタッフがプレイルームに現われたのも、彼女が日本テレビに勤める友人に繰り返し頼んだ結果だった。

子供たちはぬいぐるみを着たキャラクターにひどく興奮し、母親たちの何人かはまたしても涙ぐんでいた。その様子をiPhoneで撮影しながら、俺の担当医も涙ぐんでいるようだった。

この病棟に彼女が来るたびに、子供たちは喜び、病室で両親の訴えに耳を傾けていたのが印象的だった。でも、思いやりというのは仇になることも多いのだ。彼女が小児科の担当医とやりあっているのを俺は何度も目にしたし、融通が利かない人だという評判さえ耳にした。

それは、あながち不当な評価とばかりは言えない部分もあるのだろう。理想を持つことは大切だけれど、実際には理想主義者の隣人ほど、はた迷惑なものはないものだ。

いずれにせよ彼女はがんセンターを去り、神戸の病院へ行くことになった。それが栄転なのかどうか確認がてら、神戸の大学でも出たのですかと訊ねてみると。

彼女は「はい、神戸で生まれて震災の時に両親につれられて、こちらへ引っ越してきたんですが、いつかは神戸へ戻りたいと考えていたんです」と答え、子供たちの母親から贈られたという流行りだというハンドクリームを見せてくれました。

彼女の子どもたちを優しくなでる手の動作はとても優雅で美しい。

「先生は宮崎が長いんですか?」

俺がそう言うと、彼女は「ご推察の通り」と言って淋しい笑顔を見せました。

「今度のことで一つはっきりしたことがあります。私は小さな頃に宮崎へ連れてこられて、神戸での生活について、あまり記憶はありませんが、やはり郷愁のような気持ちがずっとあって、ようやく自分の居場所へ帰れるような気がするんです。」

世の中には不思議なことがいくつもあるよね。君の会社ではどうだい? 不思議なことの一つに、この日本で会社という組織ほど不可解なものはない。これは何も俺の方が凄いとか思っているということではなくて自然に感じるのだ。

自治体の長から企業の役員に至るまで、どうしてと言いたくなるような人ばかりがその椅子に腰かけている。若い頃の俺は周囲の人たちを心密かに軽蔑していた。そのことは前にも記録したけど、当時の俺は主に知的な面で彼ら…先生や周囲の大人も含めて見下していたように思う。

財産相続で争う親戚たちや自分よりも知的ではない人たちに共感を覚えることができず、俺はいつも通知簿に「協調性が足りない」とか「〇年生では友達をつくろうね」とか書かれていた。俺は大きなお世話だと感じていたし、まるで2年生くらいのクラスに紛れ込んだ中学生のような気分でいたのだ。

「あなたの年齢は?」

学生時代や社会人になりたての頃なんかは、相手に対する軽蔑を抑え切れない時、俺は軽蔑すべき人にそう訊ねることがあった。三十だとか四十だとかという答えを聞いた後、俺はよくこう言ったものだ。

「あなたの知能指数を聞いているわけではない」

これは一つのジョークとして受けたけど、それを言う俺は心底では怒っていたし、本気でそう思っていたのだ。

あの頃の俺は一体何に可立っていたのだろう? 実力が不相応な人間が主要な地位を占め、威張りくさっていることに対してだろうか。それとも二世三世の代議士が、運転手付きのセンチュリーに乗っていることに? そんなことはどうでもいいはずだ。

当時の俺は、とにかく何かに苛立っていた。でも、50歳になって死を迎えようとする自分には、その苛立ちがもっと別のものに向かっていたことがはっきりと分かるのだ。

その地位に就くべきでない人たちの横暴を見て見ぬ振りをし、それどころか、むしろ彼らに忖度しながら付き従い、正しくもないことを正しいとして生きている人たちにこそ、俺は苛立っていたのだ。

もうずいぶん前のことになるけれど、ある出版社から小説の執筆を依頼されて、打ち合わせを兼ねた会食に招かれた晩のことを思い出す。板橋の居酒屋で会った担当の編集者は、はなから緊張しているようだった。といって、彼は俺に会うことで緊張していたのではない。

彼と顔を合わせるのはこの時が初めてだったのだけれど、彼とはそれ以前から何度も電話やメールのやり取りをしていたし、同じ横浜で育ったことが分かってからちょっとした地元の話などもし合って、俺たちは互いに親近感さえ抱いていたはずなのに。

彼は、なぜ今日に限って緊張したりしていたのだろう? その時は不思議に思っただけだったけど、少し経って理由が分かったのだ。彼は少し遅れて現われることになっていた自分の上司である編集長を恐れていたのだ。

40代半ばの編集長は実によく喋る人だった。

最初のうちは話題が豊富な人くらいに思いながら聞いていたのだけれど、しばらく彼の話に耳を傾けていると聞こえてくるのは、ほとんどが自分の自慢話なのだ。とはいえ、そのこと自体は特に気になったわけではない。他の人が何も言ってくれない以上、自分で言うしかないのだろうから。

全身の毛が逆立つような感覚にさせられたのは俺の担当の態度だった。もう何度も聞かされた自慢話にいちいち頷き、時折、「どうしてそんなことができたのですか」などと、さも感心したように合いの手を入れるのだ。そして、それに気をよくした編集長が、またしても誰も知らない「あの時」や「あの瞬間」の話をし始めるのだ。

これは一体何の場なのだろう?呆れ果てて、俺はひたすらお酒を飲んでいた。俺がその自慢話に圧倒されて飲み続けているとでも思ったのか、若かりし頃、数々の新人作家を育て上げたという編集長は、その後も上機嫌で喋り続けていた。

結局3時間も意味のない昔話をしてやっと打ち合わせと称した飲み会はお開きとなった。その間、隣に座る担当はしきりに頷くから、俺も面白くなって申し出を受けることにした。

この時点で、俺が書く小説のタイトルもすでに決めていた。『意味ない話を囀る人、それに頷く人』だ。

家に帰った俺は、早速この夜の出来事を書き、担当宛てにメールで送信をした。書き上げた原稿を読み返し、夜中に何度も思い出し笑いをしてしまったが、俺も相当に根性が悪いな。

少しは設定を変えたものの、基本的に好きなことを自由にしていいというのだからそうしたのだ。翌日、電話をしてきた担当は明らかに困惑していた。色々と遠回しな物言いをした挙げ句、最後に彼はこんなことを言ったんだ。

「この業界というのは歴史が長くて、いろいろなジャンルの色んなレベルの人が玉石混交してきたんです。でも、それで今日までうまくやれてきたんですよ」

この業界の歴史や、レベルに関する説明はともかく、うまくいっているというのは明らかな嘘だ。編集長と担当の間にまともな会話が成立していないような出版社が、いい書籍を出版できるわけがないのだ。

この担当は、恐らく編集長に「カラスは白色の鳥だ」と言われても頷き、ずっとそうした小説を作ってきたのだろう。何のためだ? 生活のため? それとも出世のため? でも、そんな出版社で出世したって仕方ないじゃないか。

同郷の担当にそう言ってやりたくなるのを堪えて、「では、ボツにしてくださって結構です」と俺は答えた。その一言を待っていた彼は、挨拶もそこそこに電話を切ってしまったんだよね。彼にとって、目先の問題の一つが解決したのだから。

でも、すぐにまた似たような問題に直面するであろうことに、この担当はどれほど自覚的だったのだろうか。

その後、彼がどうなったのか俺は知らないし、別に知りたくもない。いまでもその出版社は書店でみかけるので、編集部ではいまも似たような芝居が繰り返されているのだろう。

権力を楽しむ人は、曖味な実力よりも好悪の感情を優先させるものだけれど、それにしても彼らを律していた秩序というのは何だったのだろう? 当時の俺にはそれがよく分からなかった…というか、敢えて分かりたくなかったのだろう。

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