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【現代小説】金曜日の息子へ|第一五話 サンとジュリア

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初めてジュリアを見かけたのは、プラッツバーグ校での初めての授業が始まる半月ほど前だった。

俺が入寮してわかったのだが、アジア人は俺だけではなかった。アメリカから招致される形でインドから留学生が一人いて、俺は彼と同室になったのだ。

彼の名はSanjeep Kumar(サンジープ・クマール)といって、ニューデリーの出身らしい。インドに、カーストという制度があった事実は君も知っているだろう。

カースト制度とは社会的身分制度のことで、廃止された今でもインド人同士の付き合いの中にはいまだ根強く残るものになっている。

だからインド人の姓は「どの身分に属する一族なのか」を表しているから、インド人の多くはあまり姓を名乗りたがらない。逆に、名前を尋ねたときにフルネームで答えるような人は、恐らく位の高い姓を持つ人物なのだろう。

また、名前を名乗るときに、姓にあたるところに「Kumar(クマール)」と付けるインド人も多くいると思う。

インド人と出会って、名前を聞くたびに「Kumar」と名乗る人ばかりなので、「Kumar」はインド人にとってポピュラーな姓なのだと勘違いしてしまうだろう。

実は「Kumar」は、ミドルネームにあたるもので、姓を名乗っている訳ではないのだ。だから姓を言いたくないインド人にとって、ミドルネームまでしか名乗らないのは普通のことなのだ。

インド人に無理やり姓を尋ねるのは、やめておくのが良いだろう。

察するに彼はカースト制度の中では、あまり高い身分ではないのだろうと思う。しかし、とても穏やかで自分を前面に押し出してきたりしないが、とても優秀であり成績も常にトップクラスだった。

そんな彼と同室であり、大切な友人にもなったのだ。そして俺は彼をサンと呼んだ。彼は俺をレオンと呼んだ。俺はキリスト教だったのだが、カトリックには洗礼名というものが与えられる。

その名前がレオンだったのだ。彼はイスラム教で宗教の違いはあったが俺はそこまで信仰に厚い人間ではなかったし、問題はなかった。

ある日、何かの用事で、ルームメイトのサンと一緒に大学本部へ立ち寄った帰りに、駐車場の方から歩いてくるジュリアとすれ違ったのだ。

1991年の夏はニューヨーク州はとても過ごしやすい日が続いていた。

プラッツバークの敷地内も緑が豊かで、優しい日が降り注ぎ視るものすべてが輝いていたのだ。

このときのサンと俺はまだ20才そこそこの世間知らずの大人とも言えない若者で、女性とは沢山遊んできたが本当の出会うべき相手と出会ってこなかった。

人生には忘れ難い瞬間というのがいくつかあるものだけれど、俺にとってはこの時がそうだったのだ。木々の木漏れ日から眩しい光がちらつく中、紫外線から守る様子もなく、ラフな服装で現れた彼女こそが、男子たちが噂している女性なのだと分かったのだ。

サンもアメリカに来たばかりぎこちない様子で彼女に手を振った。俺も彼に倣って会釈をすると、ジュリアは自然にウインクをしてきたんだ。そのしぐさにドキッとしたんだ。

痩身で背が高い彼女は、スペインのイビサからの留学生で、彼女もまだアメリカナイズされておらずラテンさながらの陽気な感じは、誰もが振り向く魅力にあふれていた。

そして俺もその瞬間に彼女が気になり出した。どう言ったらいいのか、まだ二十歳なのに、人としての充実が外見に滲み出ているといった感じなのだ。

彼女は大変な秀才だという評判だったし、一見しただけで、そうに違いないと思える知的なオーラに満ちていた。

でも、ひと目惚れしたなんて言いたくないのだ。ただ頭がよく、見てくれがいいというだけでなく、彼女にはもっと別の何かが備わってい るように見えたのだ。

俺はそれが何であるのかを知りたいと思ったのだ。

人生は宝探しに似ている、とある人が書いている。掘り下げていくほどに様々なものが見つかるのだ、と。君にもこの言葉を噛みしめてほしい。宝物である以上、そう簡単に見つけられるものではないかもしれない。君はもう見つけてしまったようだけれど。

この時に俺は、金塊はすぐそこに眠っているのかもしれないと思ったのだ。そうと知りながら、どうして掘り起こさずにいられるだろうか? 黙って彼女の前を通り過ぎるなんて、俺にはできない相談だった。

俺は ジュリアのことを知りたいと思った。どうしても知りたかった。そして彼女にも、俺という人間がいることを知って欲しかったのだ。それは十代の頃に経験した闇雲なひと目惚れとは違う、とても不思議な感覚だった。

「あの人がガルシアさんだよ」

すれ違ってしばらくすると、サンがそう教えてくれた。彼女はジュリア・ガルシアだ。彼女は大学本部でボランティアとしてガイドブックの翻訳をしていたのだ。

そしてジュリアは俺と同じ商学部の経営学科で、その熱心な生徒の一人だったのだ。

ジュリアに関する評判は、どれも驚くようなものばかりだった。

マドリッド自治大学で経営学科に在籍していた彼女は語学も堪能で、母国語のスペイン語をはじめとして、当然のようにポルトガル語とイタリア語、そしてフランス語を自由に使うことができるのだった。

それに大学本部ではロシア語でのガイドブックを書き上げ、十ヵ国語くらいは楽に話せるというのだ。

「語学も堪能でモデルみたいにスタイルも良くて、なんだか近寄りがたいよね」

俺がそう言うと、サンは自分で作ったランチを食べたばかりでスパイスの香りのする息を吐きながら「そうかな」と呟いたのだ。

これについては彼の方が正しかった。ジュリアは誰に対しても分け隔てなく、素敵なのだ。誰かのためにそうしているのではない。

大した用もないのに、それから俺はちょくちょく大学本部へ出かけるようになった。一人で行ってはチャンスがないから、そんな時は口実を作ってサンを誘った。

とにかく俺はジュリアと顔見知りになって、話をしてみたかったのだ。
話ができなくても顔だけでも見たいと思って、大学本部へ行くたびに彼女の姿を探した。

そこには俺と同じ目的で来ているらしい学生がいつも何人かた。

そんな奴らを見かけるたびに、もう来るのはよそうと心に決めるのだけれど、それでいて俺の視線はひっきりなしに彼女に戻ってしまうのだ。

邪気というものがまったくなかったサンは、何の疑念も抱かずに俺に付き合ってくれた。彼はひどく世間に疎い人で、校内で有名人に出会っても気がつかないことがほとんどだった。

学校のセレモニーが行われる直前に敷地内でドラマの撮影があった。有名人とすれ違った時も、サンは普通の人にするように軽く会釈をしただけだった。

俺が興奮して、あれが話題のドラマに出演している人だよといっても、頷きこそするものの、どこかピンときていない様子で、「もうじき秋だね、アメリカの秋は初めてだよ」などと言うのだ。

周囲の人たちはそんな彼のことを面白がって、あからさまにからかっていた。

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