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2023.4.17 読書記録『街とその不確かな壁』

本の情報

(タイトル・著者・出版社)
街とその不確かな壁・村上春樹・新潮社

読書期間

2023/4/15~4/17

感想

著者の作品を読み始めたのは2年くらい前からで、文庫版でしか読んだことがなかったが、今回村上さんの小説を読み始めてから初めて新刊発売に立ち会うことができたため、発売日の翌日に本書を購入。
土日を使って早速読んだ。

この読書記録は読み終わってすぐに書き始めているので、色々考えがとっちらかっているが、読み終えたばかりの記憶や考えていることなどを逃したくないので、乱雑ながらもポチポチ書いていきたいと思う。

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本書を通して感じたのは、人間がこの世界を生きていく上でのかすかな希望みたいなもの。

”高い壁に囲まれた街“を心の中に作り、その中に逃げ込み、あらゆる現実世界、怒り、悲しみなどのあらゆる感情から逃れたくなる瞬間は、おそらく誰しもが持っていて、その中には、その壁の中に永遠に閉じこもってしまう人もいる。自分が自分として生きている実感を得られず、物理的にも精神的にも社会的にも、繋がりの”綱”(時にはそれは生命)を自ら絶ってしまうような形で。

"私"は、一度街に入るが、自身の"影"を壁の外に逃し、自身は街に残った。
完全に現実世界と遮断してはいないが、現実と逃避の狭間で揺れている人間を想像する。

壁の外に逃れた私の意識は、子易さんという死者と出会う。
子易さんも、影をもたない街の住人である。
子易さんは、愛する息子と妻を相次いで亡くすというこれ以上無い深い傷を心に負った。子易さんは"私"にとって、これ以上生きられないくらいの深い悲しみを経験した先人のような役割として、"私"と様々な対話をしていく。
そして、その対話の中で、街の持つ意味を伝えていく。

そして、イエロー・サブマリンの少年。
彼は”高い壁に囲まれた街“こそが自分の生きる世界であると考え、自分は街に行かなくてはならないと主張する。
そして、少年は"私"自身である。
つまり、私が現実世界に戻るためのいわば身代わりのような役割として出現した意識なのかな。


また、気になったのが、街の世界でも、もう一つの世界でも度々描写される「川」について。

壁に囲まれた街に住む"私"は、図書館の彼女を必ず家まで送り届ける。
彼女の家は、川の上流側。そして"私"の家は下流側。
毎日川の上流側へ行き、その後下流側へ帰っていく。

そして、クライマックスのあたりで、"私"が川の中を素足で上流に向かって歩いていき、上流に向かうにつれどんどん若返り、彼女と再会するシーンが描かれる。

水は上から下に向かって流れる。つまり、時間の流れを表す。
上流側に逆行することは、時間の流れに逆らうこと。過去に戻ること。
そして過去に戻って再会した彼女は、過去の悲しみの象徴のような存在。
過去に失ったものを取り返したい。そのために"私"は何度も過去をさかのぼる。


物語のラストで、"私"は壁の外に出て、自身の分身と再び一つになることを決意する。
つまり、壁の世界に生きることをやめ、川の上流をさかのぼることをやめ、過去に失った大切な”彼女”にさよならを伝え、過去の悲しみを乗り越えて現実世界で再び生きることを決意する。
そのときに必要だったのは、「自分を信じる」ということ。

現実世界で生きていると、打ちのめされて立ち上がれなくなるほどの深い傷を負うことがある。
震災、戦争、感染症など、大切な人を失う深い悲しみは、心を麻痺させて無の境地へといざなってしまう。

しかし最後に自分自身をつなぎとめておけるのは「自分自身」である。
自分を信じることが、生きることの一番大切なことだというメッセージを感じることができる。
この物語内では、いくらでも時間はある、と書かれている。
時間はどれだけかかっても、自分を信じることを諦めないで、生きていくことを続けてほしい、そんな筆者の想いが感じられた。

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村上さんの長編小説は全て読んできたが、これが一番良かったかもしれない。
物語全体の没入感もすごかったが、物語を一貫して流れる「大切なもの」の描き方が洗練されていて、多分全部拾い切れていないだろうに、バシバシ伝わってきた。

また年を重ねて読んだら、違った見方で物語を感じることになるんだろうか。

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