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【極超短編小説】遺言

 公園のベンチに座って、私はタバコを吸いながら思い出に耽っていた。30年近く前、遠い昔の記憶。あの日も、今日のように夏が少し残っていて、冷気を含んだ風が心地よかった。
 「わっ!眩し!」
 夕日がちょうど目線の高さまで傾いた頃、私の横に男がどさりと腰掛けて言った。
 「ここ、いいっスか?もう座っちゃってるけど」
 続けて言ったその男はサングラスをかけていた。20台半ばだろうか、初老に近づいてきた私と比べれば、まさに青年と言えた。
 「どうぞ」
 あの日の思い出に耽っていたのを中断させられたが、その青年に嫌悪感は持たなかった。不思議と懐かしさを感じた。



 「あ、ラッキーストライクっスか?同じっスね」
 青年はポケットから出したラッキーストライクに火を点けた。
 「昔からこれでね」
 私は指に挟んだラッキーストライクを見せた。
 「あの鉄塔、どのくらいの高さなんスかね?結構高いっスよね。50メートルくらいかなぁ」
 青年は沈みかけた夕日の横に見える鉄塔のシルエットを指差した。
 「いや、そんなに低くはないだろう。数百メートルはあるんじゃないか」
 私は青年の唐突な話題が可笑しくて、笑って応えた。
 「子どもとかいるんスか?」
 青年は私の方を見て聞いた。
 「いや、いない」
 サングラスからはみ出すほど山なりにした眉毛が可笑しくて、不躾な問いにも私は笑って応えた。
 「奥さんとかは?」
 青年は興味深そうな顔で、再び不躾に尋ねた。
 「いや、いない。独り身だ。君は?」
 私は青年につられて、聞き返した。
 「子どもも嫁さんもいないっスよ」
 「そりゃそうだろうな」
 「なんか、それって失礼っスね」
 青年は笑いながら言った。
 「そうだね。これは申し訳ない。悪かったね」


 「死んだお袋が言ったんスよ。このベンチに座ってタバコを吸ってる男の人と話せって」
 青年はベンチにもたれかかって言った。
 「君のお母さんが……」
 私はその唐突な話題に興味を引かれた。
 「そんな男の人なんて、いくらでもいるだろうって言ったんスよ」
 「それでお母さんは?」
 「男の人はラッキーストライクを吸ってるって言ってました」
 「ほう、私も吸ってるのはラッキーストライクだな」
 「時間は夕方だって」
 「今、ちょうど夕方だな」
 「それから、今日の日付を言ってました」
 青年は前屈みになって、私の顔を覗き込んで言った。
 「つまり、君のお母さんが言ったのは、今日の夕方に、このベンチでラッキーストライクを吸ってる男と話せってことだね。それで、その条件に合っていた私に、君は話しかけたわけだ」
 私もサングラスをかけた青年の顔をじっと見て言った。
 「そういうことっス」
 「それで、お母さんは話しかけたあと、君に何をさせようとしたんだい?」
 「何も。あとはオレの勝手にしろって。お袋はいつも冗談言って悪戯好きだったし、多分適当なこと言ってからかいたかったんじゃないすっスか」
 青年は苦笑しながら肩をすぼめた。


 私とその青年はそれから暫くの間、気軽に他愛のない会話をした。彼は話の中で母親はごく普通の母親だったけど、とても優しくて良い母親だったと言った。それは彼の人となりから十分に感じられた。愛情を十分に受けて育ったのだろう。
 「オレ、明日この町出ていくんスよ」
 オレンジ色の夕日が沈む頃、青年がポツリと言った。
 「そう。知り合えたばかりなのに残念だね」
 そう言った私の言葉に嘘はなかった。彼とはもっと話してみたかったし、また会いたかった。年齢差はあっても話していて楽しかったし、和む感じがしていた。
 「お袋が言ってたことが、今日果たせてなんだか肩の荷が下りた感じでよかったっス。遺言みたいなもんだったんで」
 青年は立ち上がりながら言った。
 「私も君に声をかけてもらって嬉しいよ。」
 私も立ち上がりながらそう言った。そして別れの握手をしようと手を伸ばした。
 青年も手を伸ばして私と握手した。彼の手は若いが故か、まだ線が細い感じがして柔らかかった。これから色んな事を経験して一人前の大人になっていくのだろう。彼の将来を思って私は思わず笑顔になった。
 「それでは。ありがとうございました」
 と言って青年はサングラスをはずし、深く会釈した。
 私はサングラスをはずした青年の顔に目を見張った。その顔は若い頃の私だった。
 遠い昔の今日、この場所で彼女と初めて出会ったときの光景が鮮やかに蘇った。少しひんやりとして心地良い風の中、私は立ち去っていく青年の後ろ姿を見つめ続けた。

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