【極超短編小説】そういう人の靴下
ドン!
そんなつもりはなかったのだが、飲み干したショットグラスをカウンターに置いたとき、大きな音がした。少し飲み過ぎたようだ。
この『東』のショットバーに来るたび思い出して、つい飲み過ぎてしまう。彼女の問い。『靴を脱いだ後、何をする?』
「なんだそりゃ!」
思わず出してしまった自分の声に驚く。気まずくて辺りを見ると、2席分離れてカウンターに座っている男がこちらをちらりと見ていた。
「すみません。驚かせてしまって」
そう言って頭を下げると、その男は気にしてませんよ、と言うように軽く手を振る。
何気なく男を見る。チビリとショットグラスからウィスキーを舐めると、火の点いてない煙草を鼻の下にあてがう。そしてチビリとウィスキー、煙草を鼻へ。繰り返している。
「煙草、火を点けないのですか?」
つい話しかけてしまった。
「僕はこうして香りを嗅ぐのが好きなんです」
「煙草の銘柄は?」
「ラッキーストライクです」
彼女が吸っていたのも確かラッキーストライクだった。ふと思い立ち、男に尋ねてみる。
「突然、おかしなことを聞くようですが‥‥」
「どうぞ。どんなことでしょう?」
「家に帰ったとき、玄関で靴を脱ぎますよね?」
「ええ、脱ぎますね」
「その後、靴を脱いだ後、何をしますか?」
どんな答えが出てくる?男の横顔を凝視してしまう。
男はこちらを振り向き、
「靴下を脱ぎますね」
即答だった。
「靴下‥‥ですか‥‥」
思いもよらなかった。靴下。
「はい、靴を脱いだ後、靴下を脱いで玄関を上がります」
男はどの単語も強調することなくにスラスラと言う。
「なぜ、靴下を脱ぐのですか?」
「なぜ、靴下を脱がないのですか?」
「‥‥」
答えに詰まってしまう。
「すみません。問いに対して問いで答えてしまいました。僕はそういう人だから、というのが答えでしょう」
男は軽く会釈して店を出て行った。
頭の中は、『そういう人』の『靴下』で一杯になっている。スコッチをダブルでオーダーしよう。
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