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人に紛れて21年

たかだか21年しか生きていない男が、人生の後悔なんてたいそうな言葉を使うのもおこがましいかもしれないが、ふと思ったことがあって衝動的に書いている。

そもそもいまの自分がメンタル的に地の底にいるとも言えるからかもしれないけれど。

もう気づいたら10年の付き合いにもなる友人に最近抱えている、自分がほんとに利己的な人間すぎて辛いということを相談してそのままなぜか自分の写真フォルダを見返していた時である。

中学生のころのLINEのアイコンに使っていた、高校野球の選手に格言みたいのがついてるやつ(懐かしいけどいま考えると恥ずかしい笑)を見てまず、中学までで野球を辞めてしまったことへの後悔がでてきた。

もちろんその後に始めたバレーボールはすごい楽しいしその選択に間違いはなかったと思うけれど

それとは別に単に野球も続けていれば良かった、部活ではなくても関わり方はあったんじゃないのかっておもってしまった。

単にこれだけの話でそれ以上でもそれ以下でもないけれど、自分にとって野球は割と大きいことで。

やりたいポジションを聞かれて初めて自己主張をした小学校2年生。あまりにも打てなくて悔しくて毎週バッティングセンターに通って手がボロボロになって、バットも使い込みすぎて塗装が剥げるくらい努力した小学校6年生。

辛いことも楽しいことも成長する楽しさも全部ここで初めて知れた。自分を形づくる1個の大きい存在だった。

でもそれ以上にここで歳の離れた先輩であったり、後輩であったり、さらには保護者の方だったりと関わることが今のある種仮面を被ったとも言える自分を作ったのかもしれない。

最初は単に周りと上手くやろうっていう気持ちで本来の自己中心的な態度を隠していたと思う。正直それくらいならみんなしてるし社会の中ではそれが普通とされているとおもう。

でも段々と仲が良くなってくると、少しずつ自己中心的とまではいかなくても我を出して来る人は多い。

自分はそれがうまくできなかったせいで、周りからとてもいい子みたいなイメージをつけられてしまった。

それが周りから期待される人物像として自分にのしかかってもう逃げられなくなってしまった。

最初のうちなら逃げられたろうに、ほんとうの自分の1部すらもさらけ出せず来てしまったせいで、期待される自分になりきるしかなかった。

それが爆発したのが高校生だった。自分はなんなんだろう、ほんとはどんな人なんだろう。そんなふうな疑問がずっと出てきて、

なんとか学校には行けていたけれど部活は休部していた。

正直答えが出たわけではなかったが、部活っていうひとつの人との関わりを一定期間休めたおかげで心も回復して

ひとまずは息抜きさえ出来れば期待される自分を演じ切れるっていうことはわかった。

そのまま大学生になったわけだけれど、そこでは今までの自分を知る人がいないからこそ変われるチャンスなのに変わりきれなかった。

そして大学3回生、なんで今になって気づいたんだろう。ほんとうはわかってるいるけれど、正直心がつらくてそこまでは書くことが出来ない。

いまは衝動的に書きたいことを書いているだけだから、いつか落ち着いたらこのことも書き記しておきたいけれど、いまはそのときじゃない。

自己中心的な自分がほんとの自分だし、でもそんな自分はいやだと感じる自分もいる。でもそう感じる自分はほんとの自分じゃなくて、周りから期待される自分じゃないのかって考えてしまう自分もいる。

じぶん、じぶんって何言ってるか分からなくなるかもだけどとにかくいまは自己嫌悪ってことは言える。

きっと予定つめつめで、人ともずっと関わっていて、研究もしなきゃ、就活もしなきゃでいまはパンクしているのかもしれない。

SNSからは少し距離を取ってみようとおもう。

周りの人との関わりも出来れば減らしたい。

まずは息抜きから。

ゆっくりなりたい自分像を見つけられたらいいな

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