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─ソフィア、その愛─ソフィアは本当に悪妻だったのか?

薄い本が好きでバッグにサッと入るくらいの文庫本を購入してきました。まだ読んでない本が本棚に何冊かあり、この機会に読んでみることにしました。薄い本とはここでは200ページ以内の本のこと。


さて、前回はトルストイの『イワン・イリッチの死』の読書感想文を書きました。

今回はトルストイの妻、ソフィアについて書いてみたいと思います。wikiによると彼女は日記を残しているようで、残念ながら邦訳はされていないようですが彼女を知る手掛かりとして『才女の運命』という本を読みました。

*  才女の運命 男たちの名声の陰で   インゲ・シュテファン著
 松永美穂訳 フィルムアート社

トルストイとソフィア夫人, 1910年 
RUSSIA BEYONDより

ソフィア夫人。正式にはソフィア・アンドレイエフナ・トルスタヤ伯爵夫人。上の写真は1910年に撮られたもの。この年にトルストイは家出をし、亡くなっている。この時トルストイは82歳。
いかめしい顔のトルストイに対し、ソフィア夫人はじっと夫の顔を見つめている。
旦那の顔をこんなに見つめるって、どういう気持ちなのでしょうか。晩年のトルストイは、このソフィア夫人を非常に煩わしく思っていました。トルストイの家出はこのソフィア夫人が一番の原因だとされてますからね。ではソフィア夫人はどうだったのか。


ソフィアは1862年、18歳で結婚。このときトルストイは34歳。結婚前、トルストイは自分の日記を彼女に読ませます。そこにはトルストイの過去の女性遍歴が書かれていました。

隠し事をしないというトルストイの決意の表れでしょうが、あまり知りたくないかも。18歳のソフィアにはショックだったでしょうね。

トルストイはかなり性的欲望が強く、自分でも持て余していたようです。

結婚してからのソフィアは毎年のように出産します。

1863年 長男 セルゲイ誕生
1864年 長女 タチャーナ誕生
1866年 次男 イリヤ誕生
1869年 三男 レフ誕生
1871年 次女 マリヤ誕生(1906年死亡)
1872年 四男 ピョートル誕生(1873年ジフテリアで死亡)
1874年 五男 ニコライ誕生(1875年脳水腫で死亡)
1875年 三女 ワルワーラ誕生(早産で死亡)
1877年 六男 アンドレイ誕生
1880年 七男 ミハイル誕生
1881年 八男 アレクセイ誕生(1886年死亡)
1884年 四女 アレクサンドラ誕生
1888年 九男 イワン誕生(1895年猩紅熱で死亡)

また妊娠してしまったという嘆きが、彼女の日記のあちこちに見られる。ソフィアと医者たちとはトルストイに、育児制限をするよう説得したが無駄であった。自分で避妊したり、望まない妊娠を中絶しようとする彼女の試みもうまくいかなかった。夫はそのことに対して非常な怒りと嫌悪感を示した。

『才女の運命』より

トルストイは執事や乳母を置きたがらなかったのでソフィアは大勢の子供を育て、教育し、家庭を整え、さらに領主として農地の経営の管理なども行っていました。またトルストイの秘書のようなこともしていて小説原稿の清書などもしていたようで、『戦争と平和』は7回も書き直したそうです。

えー待って待って!『戦争と平和』って文庫でかなりの分量だったはず。なんとまあ献身的なこと!

結婚後、妊娠と出産の連続ながらもソフィアは安定した家庭の中でトルストイの秘書の役割を果たし、『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』という大作が生まれます。しかし徐々にトルストイの心境が変化していきます。


1880年にトルストイは『懺悔』を書き、過去の自分の人生を否定し、それ以降、貧富の差や貧困層の労働が搾取される現状を批判し倫理的、道徳的に生きることの重要性を説き始めます。その思想はトルストイ主義と呼ばれ、トルストイ主義者と呼ばれる支持者が増えはじめます。

正直、こういう偉大な、社会に影響力ある父親を持つと大概、家族が大変になりますよね。ましてや過去の生活を否定することから始まるわけで、それはソフィアや子供達との生活を否定しているのですから、家族にとっては到底受け入れ難いものだったでしょうね。

前回でもふれたように、トルストイ一族はロシアでも由緒ある家柄の貴族です。ソフィアの実家だってモスクワの皇室付きの医師ベルスの息女。広大な土地の領主として生活してきて、いきなり領地を農民に明け渡せと迫られても毅然と断るしかないですよ、そりゃ。トルストイは自分の良心から、イズムに忠実に突き進みたいだろうけど、大勢の子供のために財産を残したいというソフィアの考えはごく普通だと思います。そんなソフィアに対し、トルストイの信奉者達は批判的でした。

トルストイは1890年に書いた作品をきっかけに性的に禁欲であることを提唱し、自分も実践します。しかしなかなかコントロールできず、性欲を発露させる原因となる女性をやがて蔑視するようになっていきます。その嫌悪する、女性の象徴がソフィアとなりました。


あれだけ、自分の身体を欲した男が徐々に自分に触れなくなる。自分から離れていく。文学から離れたトルストイは信奉者とともに過ごす時間が増えていきます。子供も大きくなり、自分を軽んじているように感じられてくる。周囲の人間も自分を悪者のように思っているのではないか、こうした不安からパニックに襲われるようになります。
このソフィアの孤独。


「彼はわたしを計画的に殺してしまう。わたしを彼の人生に関わらせようとはしない。このことでわたしはとても傷ついている。時折わたしはものすごい絶望におそわれる。そんなときわたしは自殺したい、どこかへ逃げたい、誰かに恋をしたい、などと思う……。もしももうこの人と一緒に、くらさなくてもよいのならば。わたしはこの人を一生の間愛してきたけれど、この人を理想化していただけだったこと、彼が徹頭徹尾強い性欲に支配されていた人だったということがいまではわかっている。いまわたしの目は開かれ、わたしの人生が、めちゃめちゃにされてしまったことを理解している。」

『才女の運命』より

二人はお互い自殺を仄めかし、相手を脅しました。こんな風になるとお互い顔を合わすこともなくなっていくと思います。家には始終トルストイに頼みごとをする者や、とりまきが出入りしていて、二人とも日記に憎しみをぶつけ合うといった感じだったようです。

トルストイが家出する当日の日記です。

「また足音、そっとドアをあけ、かの女(ソフィア夫人)が入ってくる。なぜかわからないが、それが私の心に抑えきれない嫌悪と怒りを呼びさました。眠ろうとしたが、眠れない。一時間ほど寝返りをうって、ろうそくをつけ、すわった。ドアをあけて、妻が入ってくると、『お具合はいかが』とたずね、私の前にろうそくがともっているのを見て、なぜ明かりをつけているのか、と驚いている。嫌悪と怒りが高まり、息が苦しくなる。脈を、はかると、九十二。寝ていられなくなり、家出の決心を固める。かの女に手紙を書き、いちばん必要なものを荷造りする。ともかく、家出をしさえすればいいのだ」。

藤沼貴著『トルストイの生涯』第三文明選書より


トルストイが小説などのものを書く時は、なんらかの実践・実行の前触れだとみていい。ものを書くことがフィクションで終わらない人だと思います。
言行一致の人というか、書行一致の人なのだと思います。だからこそ、死刑反対運動や農民が平等に教育を受けるための学校を開いたり、常に具体的な行動を行なってきました。
だから、ソフィアに対する怒りを書き続ければ、それは心の底からの憎しみを呼び起こしてしまう。

一方のソフィアはどうか。日記の中に夫に対する憎しみを書いても、書いて吐き出してしまえば一旦はスッキリしてしまうのではないか。とりまき連中が帰り、夜になれば、夫は自分の部屋に納まり、ベッドに眠りにつく。夫に近づき、しげしげと顔を眺める時間など昼間はないのだからトルストイが眠っている時間だけでも二人で過ごしたかったのではないか。

険悪な関係であっても具合が悪ければ相手を心配するし、実際のところソフィアという人は表向きの顔と内心と全然違う人だったのではないでしょうか。


不器用な愛の表現の人。

もう一度、二人で映った最後の写真を眺めてみると、一心不乱に夫を見つめるその目には少しばかりの狂気とともに、
「あなた、私はここにいるのよ。私をちゃんと見てちょうだい」
と訴えているようにもみえます。

いつか、『戦争と平和』を読むことがあったら、壮大な物語に酔いしれながら、その話を7回も清書した女性を思い出すでしょう。

ここまで
お読みくださり
ありがとうございました🌻

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