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短編小説を読んでみる⑥トルストイ『イワン・イリッチの死』死のかわりに光がある!

薄い本が好きでバッグにサッと入るくらいの文庫本を購入してきました。まだ読んでない本が本棚に何冊かあり、この機会に読んでみることにしました。薄い本とはここでは200ページ以内の本のこと。

さて、今回読んだのはあの大トルストイです。

『イワン・イリッチの死』

トルストイ作 米川正夫訳
          岩波文庫



トルストイは「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」などが有名です。いずれ読んでみたいと思いながらもどうしても薄い本に手が伸びてしまい、童話集(イワンのばか等)を読んでしまいがち^_^;
そして私がトルストイの童話集を読みながら、なんともいえない気持ちになります。

高校の国語の教科書に載っていたトルストイの最期は衝撃的でした。80歳を過ぎてから小さな荷物を抱えて家出をし、その4日後、汽車の中で熱を出しそのまま駅長の宿舎で亡くなりました。


今回合わせて読んだ「トルストイの生涯」(藤沼貴著,第三文明社)によると、トルストイ一族は当時のロシアでも名門で広大な領地を所有する大貴族。その中で彼は小説を書きながら自分の領地に農民の子どものための学校を開こうとしたり、農地解放、死刑廃止など社会運動も行っています。その過程で生きるとはどういうことかというトルストイの思想が書かれた「生命論」のテーマを小説の形で展開したものがこの「イワン・イリッチの死」ということです。

物語はイワン・イリッチの死を同僚が新聞で知る
ところから始まります。気の毒に、と言いながらその死によって自分の職分にどう影響するのか、転籍、移動をすばやく考え、イワンの親友だったピョートル・イワーノヴィッチもイワンの代わりに早速義弟を転任させようと算段します。葬式に出向き、イワンの未亡人から彼がいかに苦しんで死んだか、そして夫の死により国からさらにお金を得られるかどうか相談を受けます。
一般人の死が周りにどう受け止められるのか、トルストイは冷静に書いています。

では、イワン・イリッチ自身は自分の死をどう思っていたのか。最初は小さな事故で横腹を打ちつけたのがはじまりでした。やがて口の中に妙な味がし始め、痛みが徐々にひどくなり、当然家庭でも不機嫌な態度をとりはじめます。症状が悪くなるばかりなのにはっきり言わない医者や妻に対する猜疑心、やがては憎しみに変わり、恐ろしい孤独の中、死が近づくにつれてしきりに過去を振り返ります。そして社会的な地位を得るために奮闘した日々より、純朴な気持ちで過ごした幼年時代を何度も思い出します。

これまでの生活が間違っていたのか、間違っていたとして、そう思いながら世を去らなければならないのか、このような意識が最後まで彼を苦しめます。

やがて、死が近づきます。

古くから馴染みになっている死の恐怖をさがしたが、見つからなかった。いったいどこにいるのか?死とはなんだ?恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。
死の代わりに光があった。

「イワン・イリッチの死」より

苦しみ悶えながら向かい合った「死」は、結局なかった、ということです。だとしたら対比される「生」はどこにあるのか。「生」もないのか。

「生きることは、幸福をめざすことである。しかし、自分一人の幸福を求めても、幸福にはなれない。幸福になるためには、他人の幸福を願わなくてはならない。とすれば、幸福になること、つまり、生きることの根本は愛である」というのが『生命論』の基本的な内容である。

「トルストイの生涯」より

生きることの根本は愛である、といい、愛なき者に対し、トルストイは徹底的に闘いを挑みました。

国家や教会の権力との闘い、さらには妻との諍いもあり、トルストイの晩年は平穏とはいえませんが、突然の計画性のない家出の決定的な理由はわからないままだそうです。
もしかして、大トルストイも大きな邸宅など放っておいて、子どものように自由に何も持たず、のびのび過ごしたかったのかもしれません。その死に方ゆえにトルストイの生き方がさらなる光に包まれている気がしますし、なんだか人間味があるような気がします。

トルストイの妻、ソフィア夫人についてはいろいろ思うところもあるので別の機会に書いてみたいと思います。

ここまで
お読みくださり
ありがとうございました🌻

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