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「グリット」やりぬく力、粘る力

9日前に「(これからは)今日のことを書く」という記事を書いたのに、
3日前に「人生でとても嬉しかったこと2つ」という記事を書いた。

僕が精神科にかかるころ、最後まで私をどうにかしようとしていた人は、私のこういうところを許せなかったのだろうと思う。一貫性がない。少し前に見ていたyoutubeで知った言葉を使うと、私のこういう特徴を「グリット」が低いというそうだ。

今、ググったら「やりぬく力」「粘る力」と和訳されていた。なるへそ。

精神科にかかった後、このグリットの低さで叱られたりしたことはあったろうかと振り返ると、叱られたわけではないけれど、損はしたことはあったように思う。せっかく落ち着いてきたバイトを辞めてしまうとか、音楽にしろ、読書にしろ、思考にしろ、深まらないし、広がらないとか。「関心が3日坊主」だ。

自分にこんな特徴があると気づいたのは最近だ。治そうか?治すまいか?治すのなら痛みが伴うし時間がかかることを、今の自分は知っている。そして、残りの人生を賭けてもたぶん根っこからは治らないことも知っている。

しかし、グリットの高い生き方の方が、得るものは多いだろうと想像もしている。

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