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「私とМさんは別の人」「人間とは「間」じゃないか?」

*私と父・Мさんは、別の人だ。

別の人だから、興味も特性も物事の好みも違うのだ。しかし、私は大きく影響を受けている。私は、今更ながら、二人を区別したい。これからしようとしていることは、①生きる基本を身に着ける事。➁自分に集中する事。の二つで可能なように思う。

①生きる基本を身に着ける事。例えば、朝起きて、夜寝ること。歯を磨くこと、シャワーを浴びること等。出来ていることを継続し、出来ていない事を積み重ねていこう。

➁自分に集中するとは、他者でなく、自分の人生に集中する事。

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*人間とは「間」じゃないか?

演劇をしていた20代、「演劇は間だ」という言葉を時々聞いた。「人間は、人と人の間に生きるから人間と言う」なんて言葉も、どこかで聞いた。意味が、分かったような、分からないような感じで受け止めていたのだけれど、今日ひらめいた。演劇でも歌でもスポーツでも、演じている人と見ている人の間に、よい場面で存在する何かを「間」と呼んでいるわけだ。仲の良い友達とのおしゃべりなんかでも「間」は生まれているだろう。この「間」は、エネルギーとか愛とか呼ばれているものと同義じゃないだろうか。この「間」に人は惹かれる。場が活気付いたり、落ち着いたりする。多くの人が、この「間」を欲してやまない。この「間」を求めて、人は劇場に足を運ぶし、コンサート会場に通う。映画監督は映画館に「間」を生み出すべく頭を絞り、作家は読者が読了した時「間」に包まれるようキーボードを叩く。

「間」は、自分一人でも生み出すことができる。ぐっすり眠ったり、おいしいものを食べたりても「間」はできる。それは、自分と自分の間にうまくコミュニケーションが取れた結果のように思う。サンマが食べたいと思っている時にサンマが食べられたとか、壁に好きなアイドルのポスターを張って眺めてるだとか。「間」を自分で生み出す事は生活技術だと思う。

自分の「間」を持っている人になりたいし、そういう人に学びたい。

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