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美しい神が支配する。

フィギュアスケートの世界選手権中な休日だが、私の大切な推しにして美しい神はアマチュアの場を離れており出場はしていない。
けれど私はフィギュアスケートが大好きなのできっとこれからも見続ける。

ただ私にとって大切な美しい神に等しい人はただひとりしかいない。

さて、たまたまテレビをつけたら大好きなドラマ、美しい彼シーズン1の2話、私にとって美しい彼に嵌まったきっかけの2話が再放送中だった。もう何回も見ただろと自分に突っ込みながら再び見る私。嗚呼、チャリに乗り水浴びをし花火をする清居が本当に美しすぎる。

「輝いてる、こんな美しいもの、他に知らない」

あまりにも美しい。
これは神様だと思ってしまっても仕方がない。

というかこのドラマ「美しい彼」こそが神だよ

私は2007年頃から長いこと推してきた人を5年ほど前に神の位置に置いてしまった人間だが、いくら彼は神ではないと分かってはいても、あまりにも圧倒的な美しいパフォーマンスを見せられてしまうとああ神だな!という思考回路にどうしてもなってしまう。

分かってはいる
神様ではない、ただの一人の人間だ。
彼が子供の頃から見てきたから分かってはいるはずだ、だけど彼は私にとっての「美しい神」だ。
姿形だけでなくその素晴らしきパフォーマンス能力
悩み苦しみもありながら前へ前へと進んでいく精神
すべてが美しい。

私は別に特定の宗教の神様なんて信じちゃいないが
彼は私にとっての美しい神だ。
どんな宗教の教祖や神様よりも彼のほうが私にとっては神様だ。昔、とある雑誌の煽りが

「奇跡なんて信じるな、羽生結弦を信じろ!」

というものだったが、まさにその通りだ。

彼が元気で幸せでさえいてくれれば世界は輝き
彼が辛く悲しんでいるなら世界は暗くなる。
生きる活力だ。

ドラマ「美しい彼」で神様のように崇められている美しい清居は自分を神みたいに崇める好きな人に
「俺は神様じゃねえよ」と一人の人間として見ることを求めた。普通であることを求めた。


私にとっての美しい神もまた東京ドームで

「あんたわかっちゃいない!」
 
というお気持ちを私たちファンにぶつけた。
わかってはいる。
理想虚像幻想を押し付け神様のように扱い特別な存在にして普通から切り離すのはかえって彼に迷惑なのだと、分かってはいる、分かってはいる…が、
私は本当のところわかっちゃいないんだと思う。

1ミリでも理解したいし分かりたいがすべてを理解など出来るわけもなく神ではないと分かっていると言い聞かせながらも結局神がかったスケートやパフォーマンスを見てしまうと神様だと思ってしまう。
私は駄目なファンなのだろう。

結局、彼は私の中で美しい神であり続けていく。


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