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難病だと発覚した義母の話9

2016年6月〜

O病院受診から、薬を減らしたのが良かったのか、昼間はちゃんと起きていられている様子が見られた。
夜しっかりと寝られているのかもしれない。

義父はがん治療の手術のため、5日ほど入院する事が決まったが、義母にまだ伝えられずにいた。
そのタイミングでG病院の封筒が義母に見つかってしまう。
中身は入院の案内だった。

義母は取り乱し、自室で泣いていた。
私の姿を見るなり
『じじ、ガンなんだって。どうしよう…どうしよう…』
義母の隣に腰掛けて、背中をさすりながら
『大丈夫だよ』と声をかける。

しばらくすると落ち着いてきたので
『お父さんは、手術すれば大丈夫なんだって。
病院の先生も、説明してくれた看護婦さんも、そう説明してるのにね、お義父さん、全く聞いてないの。死ぬ気満々なのよ。
本当に話聞かないよね。
お義母さんからもガツンと言ってやって下さいよ!』
あえて明るい感じで話すと、義母も笑顔になった。
『ほんと、じじは聞かないよね、私の手に負えないよ』
義母の声も明るい感じを取り戻していたから、大丈夫かな…と思っていたが、翌日の午前中に泣きながらG病院の事を聞きにきた、と義父から聞いた。

『耳鳴りがする』と不調を言い始めたし、しばらくは不安定な状態が続くかなぁ…と思っていた。

翌日様子を見に行くと2人で義父のG病院の入院準備をしているところだった。
様子を見ていると、義父が『嫌だ、不安だ』と弱音を吐いている横で、義母が『何言ってるの!』と鼓舞している。

おぉ?一度落ち込んだ事で吹っ切れたのかな?
最近はメソメソしている事が多かったから忘れてたけど、そう、お義母さんてこういう人だ。
お義父さんに対して、ばっさ、ばっさと切り捨てる感じ。

『そうだよ、グチグチ言っててもしょうがないですよね!』
私も2人の会話に加わり、入院の荷物の準備に加わる。
それで気がついたんだけど、義母は弱気になっている義父に強気な言葉をぶつけているのだけど、クリアファイルに入っている資料をずっと出したりしまったりを繰り返しているだけだった。

うん、やっぱり動揺はしているんだよね。
それでもしっかりしなきゃって思っていたんだろうな。

6月8日  O病院受診日

13時に迎えに行く事になっていたが、10時ごろから玄関をウロウロとしており、また出て行くんじゃないかと気になって自分も落ち着かなかった…と義父から聞いた。

病院では予告通り、脳波の検査を受ける。
検査が終わると、義母は廊下で待っていた私にどんな事をやったのか、事細かに教えてくれた。
薬を減らした影響なのか、先週よりしっかりと受け答えをしている様にも感じる。

C先生の診察では脳波の検査の結果、脳波の波が少し少ないので、動きが少し鈍いかな、と言える。
前回の脳のCTを他の先生にも見てもらった結果、やはり少し海馬の萎縮が進んでいるように見えるとの事。
認知症と取れない部分はあるけれど、『認知症』と診断してもおかしくない状態ではあるので『認知症』として治療を進めましょう。
治療を進めた結果、やっぱり認知症ではありませんでした…となるかもしれないけど、それは単に私の診断ミスって事にしかならないから。まずは早急に介護認定の方を進めましょう。
介護認定を受けられれば、さまざまなサービスを受けられるようになりますから。
デイサービスとか利用して、生活リズムを整える事が大事かな。

先生がそう診断を下してくれたおかげで、やっと話が進められる…と安堵し過ぎて、義母の気持ちを考える事を失念していた。

病院受診の翌日。
義母は自室で泣いていた。
『自分では何もできる気がしない。このままでは、母の様に認知症になってしまう』と。

義母の母は認知症だった。
姉のKさんが世話をしていて、義母はほとんど関わらなかった…と聞いているけど
『あんた、ダレ?』と母に言われたのが衝撃的でショックだった…という話は何度も聞いていた。

『認知症になってしまう。怖い』

なってしまう…?そう、認知症だったね…怖がっている義母にそうとも言えず
『治療をしていけば大丈夫だよ』
なんて、そんな言葉しか出てこなくて、ひたすらに背中をさすってあげることしかできなかった。

『認知症じゃなかった、でも認知症になってしまうかも、怖い』
と電話で話していた…と後日Kさんから聞いた。

今だにあれは、そう思い込んでいた…のか、そう言われた記憶を丸ごと忘れた…のか、勝手に記憶を良いように改ざんしたのか…わからないけど、自分が認知症だと思っていない義母は

『認知症になってしまう、怖い』

と繰り返し、耳鳴りを訴えるようになってきた。


このまま、毎日家に閉じこもっていてはダメだ。早く話を進めよう。

私は地域包括支援センターへと行き、義母の事を相談し、介護認定を受けたい事を伝えに行った。
まずは家に行き、本人、同居家族である義父と面談したい…との事だったが、義父の入院&手術の日程が近かったため、それが終わったら…という事になった。


6月14日 義父入院日

義父の入院には旦那と義妹が付き添い、私は実家で留守番を任された。

義父が家を出発する時にはまだ起きていなくて、義母が起きてきたのは昼前だった。

自分がいない間、食事に困らないように…と義父は義母が食べそうなものをたくさん用意していたので、それを食べながらテレビを見ておしゃべりをした。
義母から義父の事を聞いてくる事も無く、至って穏やかだった。

夜は旦那が泊まって様子を見てくれる事になった。
最近は夜も落ち着いている…と義父から聞いていた通り、特に何事もなく一晩を越したのだった。

6月15日 O病院受診

前回の受診から1週間。
『表情が明るくなりましたね』と先生が言う。
本当に、と私も思う。
義父が入院中は落ち着かなくなる事を予想していたけど、至って落ち着いているし。

耳鳴りがひどくなる事がある事を先生に話すと『漢方薬を試してみましょう』と処方される。
調子も良さそうなので、次回は2週間後にしてみましょうか。
もし、調子が悪ければ来週来ても大丈夫ですからね。
C先生は水曜日だけの非常任の先生なのだ。そこだけ、ちょっと不安ではあったけど、C先生の対応は優しくて、安心できた。

その日の夜は一緒に夕飯を食べてから
『何かあったら電話してね、すぐに来るから』
そう声をかけて帰ってきた。

翌日、朝の10時に訪れると、1階のシャッターなどが閉まっていて、ちゃんと戸締りをして寝た事がわかり安心した。
すぐに義母が起きてきて、一緒に朝食を用意して義母が食べている間、テレビを見ながらおしゃべりをした。
薬を飲んでいるところまで確認して
『夕方また来るね』と帰ってきた。

夕飯時には義母のところに居てあげたかったから、自分の家の子供達の夕飯は早めに用意していた。
当時娘は小6、息子が中3で、ご飯さえ用意してあげれば自分達で食べてくれる様になっていたので助かった。

家のご飯の準備をしていると義母から電話がかかってきた。
心がザワッとした。なにかあった?

ところが、予想に反して義母は落ち着いた声で
『今日の夕飯は自分で用意できるから大丈夫、来なくて大丈夫よ。子供達のそばにいてあげて』
というものだった。

『わかりました。でも、困った事があったらすぐに電話してね』
そう言いつつも薬を確実に飲んだ事を確認するために行くつもりだけどね。

ほんの少し時間をずらし、もうご飯を食べてるかなって頃合いに行くと、義母はホッとした様で、少し泣きそうな顔をしていた。
この日もお薬を飲んだところまで見届けて帰った。

父の退院まであと2日。
案外父がいない方が、義母はしっかりするのかも…なんて思っていたけど、やはり頑張り過ぎていた様で…しっかりとしていたのはここまでだった。





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