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難病だと発覚した義母の話8

2016年5月末

義母がH病院で認知症とは診断できない…と言われたこの時、義父も紹介状を持ってG病院へと行っていた。
末期癌だと思い込んでいた為、息子(私の旦那)と娘(義妹)を引き連れて、この世の不幸を全部背負っているぐらいの顔をしてた。

病院ですぐに『癌疑い』の段階である事はすぐにわかり、検査に入ったりなんだりしたわけだけど、何かっていうと
『カミさんが認知症かもしれなくって、まだ死ぬわけにはいかない』だの『カミさんを1人にしておけない』だの、そんなことばかり言ってすぐに話を脱線させていたらしい。

癌の状態としては手術をして様子を見る。
今の段階では手術で治療が可能な段階…付き添いの2人はそう捉えて、ホッとしていたのだが、当の本人は死ぬ気満々で全く話を聞いていなかった為、後日、本人に再び説明して、納得させるのに苦労した覚えがある。

末期ではなかったものの、これから治療に専念しなければならない義父。
改めて、義母の病院関係やらそういったものは私が担当することになった。
そして、まともに話が聞けない事が発覚したので、義父の病院関係は義妹が担当することになったのだった。

義母の珍行動は相変わらず続く。
この頃よくあったのは、お風呂を溢れさせる事だった。
今は一般的になっている『風呂自動』ボタン。
ボタンひとつでお風呂が設定した温度、湯量で自動で止まってくれてとても便利。
旦那の実家でも、もちろんこのシステムが導入されており、少なくとも10年はこの方法でお風呂を沸かしているから、間違えようも無いのだけど…義母はボタンを押した後、わざわざ蛇口をひねってお湯を落とす様になった。

蛇口から落としたお湯が自動で止まるはずもなく、普段は自動で止まるお風呂の様子を見に行くわけもなく、結果としてジャバジャバ〜と湯船からお湯が溢れるところを義父が発見する…という日が何度かあった。

そして、ある日私は現場を押さえた。
リビングをふら〜っと出ていく義母に気が付き、何気なく見ていると風呂場に入っていく。
『お湯はりをします』という給湯器のアナウンスが聞こえ、ザパ〜と水の出る音。
あぁ、給湯ボタンを押したのね。
しかし、義母が風呂場から戻ってくる気配が無い。
風呂場を見てみると、蛇口からも水が出ていて、義母が出ている水の温度調整をしているところだった。

『お義母さん?お風呂のスイッチ押したらそっちは出さなくてもいいんだよ?』というと
『え⁉︎そうなの?知らなかった!』という。
そんな事無いはずなのに。

確かに昔はそうやって温度調整してお湯を張ってたよね。
止めるの忘れて溢れちゃったりしてたけどさ。
最近の事がスポッと抜けちゃったって事なのかなぁ。

そして、ちょっとホラーちっくな事も続いていた。
紹介してもらったO病院への受診の2日前の夜のこと。
『明日の病院はHさんが連れて行ってくれるんだって』と義母が義父に言ったらしい。
『え?H?そんなわけないじゃん、何言ってんの?』
Hさんは義父の弟で、数年前に癌で亡くなっているのだ。
『さっき電話が来て、明日迎えに行くねって言ってたわよ』
そう言って義母は自室に戻って行ってらしい。

少し前にあった、『お客さんが…』と言って布団を敷いていた件や今回の件…
やっぱりホラーな話だったりする??
義父とそう話、
『ははっ、そんなわけ…そんな訳ないよね〜』と2人で笑ったけど顔はお互いに引きつっていた。

2016年6月1日
O病院受診。今回も義母の姉のKさんが一緒に来てくれた。
担当のドクター受診の前にお話を聞かせてください、と言われ、義母の産まれた時の事から細かく話していく。

7人兄妹の末っ子。
小さい頃に火鉢が原因で右膝に大ヤケドを負って、今も少し痕が残っている事。
中学、高校はバレー部に入っていた事。
金融機関に勤めていた事。
24歳ごろ卵巣嚢腫。
結婚して、子供は2人。
スーパーで働き、PTA会長などもやっていて、かなり活動的な性格だった事。
40歳ごろ子宮がんで全摘。

この辺りの話は私も初めて聞く話ばかりで興味深く聞いていた。

『団地から一戸建てに引っ越しをしたが引っ越しをして10年ほど経った頃、家が火事になって全焼』
この辺りから義母の様子がおかしくなった。

そんなに衝撃的な出来事を全く覚えていなかったのだ。

あの火事から12年経っていたが、忘れられる様な出来事では無いと思うのだ。

火事の原因は漏電だろう、という事だった。
義母はスーパーの仕事に行っていて、義父が家の2階で仕事をしていた。

スーパーにご近所さんから
『あなたのお家が火事になっている』
と電話があり慌てて駆けつけたら家が燃え上がっていた…と当時聞いた。
そんな光景、忘れられる??

幸い、義父は顔などに火傷を負ったものの、無事だったが、飼っていたワンコは焼け跡からものすごい形相で亡くなっているのが見つかった。

ショックが大き過ぎて記憶から抹消した?
それとも、やっぱり認知症?

義母が泣き止むのを待って、火事のその後の話を続けた。

火事の後、今住んでいる家を購入。
パートは引き続きスーパーの仕事。
新たにワンコも2匹迎えて生活をしていた。

火事から約10年、雪道で転倒して骨折をきっかけにうつ病発症。
ちょっとした物音でヒステリーを起こし、『ドキドキする、死んじゃう』と助けを求めていた。半年ぐらいのスパンで悪くなったり良くなったりを繰り返してきた…という話をKさんから。
最近のよく探し物をしている話や、お客さんが来ていないのに、布団を敷いたりしている話などを私から話しした。

Kさんと私が話している間、義母はずっと俯いていて、こんなに落ち込んでいる本人の目の前で『認知症』を疑う様な出来事を話すのは心苦しかった。
何だか追い討ちをかけているみたいで…。

一通り話をしてから、本人は血液検査、CTを撮ってもらっていた。
私とKさんはその間に本人より一足先に担当のC先生と話をさせてもらう事ができた。
先ほど話を聞いてくれた先生が、『本人の前では話しにくい』雰囲気を察知してくれた様で、本人の前では話しにくかった話などを聞いてもらうことができた。

C先生はメガネをかけた40代半ばぐらいの物腰の柔らかい女の先生だ。

しっかりと話を聞いてもらい、血液検査やCT画像を照らし合わせた結果…
『H病院の先生と同様に、認知症なのかどうなのかの判断は難しい』
と言われたが、続けて
『CT画像では多少、海馬が萎縮している様にも見えるので、他の先生にも見てもらおうと思う』
『物忘れ、が何から来るものなのかを調べてみようと思うんですが、いいですかね?』と本人に確認を取った上で
『まずは来週、脳波の測定をしてみましょう』
と提案してくれた事で、

あぁ、この先もこの先生は診てくれるんだ…

相変わらず、認知症とは診断してもらえなかったけど、ものすごく安堵して、泣きそうになった事を覚えている。

今処方されている薬を急に変えるのは危険だから…まずは1種類だけ量を少し減らしましょう。
これによって不安定になる可能性はあります。困ったら連絡して下さいね。
そして、最後に義母に
『では、また来週。お待ちしてますね』
にっこりと、そう声をかけてくれた。

その後、このC先生は義母が施設に入居するまでの6年間お世話になることになる。





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