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【おはぎのおばちゃん】

ガラガラッと、牛頭町の玄関の引き戸を勢いよく開けて、「こんにちは~~」と言うが早いか、靴をバタバタと脱いで台所への暖簾をくぐる。


と、目の前のテーブルにある立派な黒い塗りのお重が目に入った。『あ、これはもしや!』と私はすぐにピンときて「おはぎ?!」と言うと
ケタケタケタッとおばあちゃんは嬉しそうに笑い「はなこちゃん、ようお越し。そうやし、よう

わかったな、吉本の姉さんにおはぎ沢山いただいたんやして、はなこちゃんも食べ。ここでも食べて、沢山あるから持って帰ってまたお家でも食べたらいいわ。」と言った。


「やった!嬉しい~~~!」と私が飛び上がり喜ぶ私の様子に、割って入ったのはおじいちゃんだ。


「あの~ちょっと、ちょっと、こっちで食べる分はあるんかいな?」と訥々といつもの座椅子に座ったまま心配そうにおばあちゃんに尋ねる。「ありますよって。お父ちゃんの分は別にとって置いてますさかいな」とおばあちゃんが顔を向けたレンジの

前にはお皿に取り分けられたおはぎがあり、おばあちゃんは私を見て少し肩をすくめて可笑しそうに笑い目くばせした。


『吉本の姉さん』というのは、おばあちゃんの長兄の奥さんで、牛頭町からほど近くに住んでいた。毎年お彼岸やお盆の時期には沢山のおはぎをこしらえて、家族だけでなく、親戚一同に振る舞ってくれるのだが、その『吉本の姉さん』のおはぎは、おじ
いちゃんが無くなるのを心配するほど美味しいのだ。

手のひら大に握られた餅米を粒あんでくるんでいるおはぎで、そのサイズ感といい、餅米の硬さといい、餡の小豆の残り具合に甘さ、塩加減とすべてが絶妙な、とにかく美味しいおはぎなのだ。

おばあちゃんに「これ、おはぎのおばちゃん一人で作ってるんかな?」と私の中では吉本のおばちゃんは『おはぎのおばちゃん』が通称になっていた。
聞くと、「そうやして、前にぼうちゃんが来た時に聞いたら、一人で全部こしらえてくれてるって、そう言ってたわ。」と言う。

ぼうちゃんとは、おはぎのおばちゃんの息子さんで愛称が『坊(ぼう)ちゃん』なのである。
母曰く、昔は小さい男の子を愛しんでそう呼んだそうで、坊ちゃんが皆から坊ちゃん坊ちゃんと、可愛がられ呼ばれていた様子が目に浮かぶ素敵な呼称だと思う。

「こんなに沢山大変やでなぁ~、私作り方教えて貰いに行こうかな」と言うと、おばあちゃんはキャキャキャと笑って「そんな、はなこちゃんが習いに行
くなんて」と真面目にとりあってはくれなかった。私はそれを『どういう意味だろう。毎日の私の様子を見て、食べる方がお得意なのにという意味だろうか』と一人左脳で思考している間に、おばあちゃんは、銘々皿におはぎを取り分け、フォークを添えてくれている。

「お父ちゃん、おはぎには何飲みます?」とおじいちゃんに声をかける。「そやな、おはぎにはお茶がええかな」とおじいちゃん。
「緑茶でよろしいか?」「ええな」
「ほな緑茶入れますわな。はな子ちゃんは何飲む?冷蔵庫にジュースもあるで」
「私も緑茶にする!」

そう言って、台所のおばあちゃんの横に手伝いに行くと「はな子ちゃん、棚から好きなお湯呑み出し。」とおばあちゃんが言う。
食器棚を見ると、目新しいお湯呑みが仲間入りしていた。
「あ、龍や!」食器棚を開けてすぐ目についたのが、青い龍が気持ち良さそうに空を泳ぐ横姿が少しコミカルな表情で描かれたお湯呑みだった。口縁は赤絵具でクルクル小さい渦巻きが描かれ縁取りされており、両手で持つと隠れてしまうくらいの小ぶりなお湯呑みだった。
「わぁ、私この龍にする!」と言うと「可愛らしいやろ」とおばあちゃんはニコニコ笑った。「これから、これ私のコップにしていい?」と聞くと、「ええよ、そうしたらいいわ。あ、おじいちゃんには、その青い大きいお湯呑みにしちゃって。これもこの前、龍と一緒にお爺ちゃん用に新調したんやし」と、見ると、おじいちゃんのお湯呑みは青・茶・白の色絵具で幾何学模様のような柄が手書きで描かれている総柄のお湯呑みにかわっていた。薄い飲み口が少し外に広がり、首の部分が少しくびれ、胴は茄子型の、タップリとお茶が入る、モダンで洒落たお湯呑みだった。


牛頭町のおばあちゃんは、お花を見ること、育てること、お料理を作る事、日本酒(ビールももちろん嗜むが後年はビールよりカットレモンを加えたハイボールを好み)、食器を見るのもとても好きだった。


そんなおばあちゃんの楽しみは、母と二人連れだって、洋服や食料品を見るのはそこそこに、デパートの食器売り場を見て回ることだった。

ご近所の量販店の食器のフロアも漏らさずチェックし、セール時期には、ワゴンの中から『これだ!』と気に入ったものをお得に求め、お湯呑みやお茶碗、お箸等が新調され、食器棚に加わるのだ。


「おばあちゃんはどうする?どのお湯呑みにする?」と聞くと「そやな、その赤のにしてもらおうか」「え、このオレンジ色?上にお花が描いてるやつ?」「そうそう」
それらお湯呑みを出して、茶葉を茶筒から急須に入れる。以前ぶうわがお茶を入れる際にやっていたやり方を真似してみた。
茶さじを使って入れるのではなく、茶筒を少し揺らし、適量を茶筒の蓋に入れ急須へ茶葉を入れるというもので、その様子がとても慣れた感じで大人っぽく、通な感じに思え、私は意気揚々と真似た。

茶葉が入った急須に、ポットのお湯を入れると、湯気とともに、ふんわりと緑茶の良い香りが立ちのぼった。
「はぁ、良い香り」少し蒸らして、用意したお湯呑みにお茶を注ぎ、銘々皿にのせたおはぎと一緒におじいちゃんへともっていく。

おじいちゃんはいつもの席にいて、お茶とおはぎを出すと、「あ~美味しそうやな。お茶もえ~匂いや。さあさあ、はな子ちゃんもお食べ」と言った。
「うん食べる」と卓上にお茶とおはぎを置いていく。おばあちゃんも来て、揃って「いただきま~す。」と皆で一斉におはぎを頬張った。
「うーーーーーん、美味しい~~~」私は声を上げる。おじいちゃんを見ると、いつものように目を閉じてゆっくりゆっくりと食べている。
おじいちゃんは美味しいものを食べている時、必ず目を閉じる。モグモグモグモグゆっくりゆっくり味わって、租借する。
と、おじいちゃんは一言「うん」と大きく頷いて、「ええ味や」と言い、お湯呑みに手を伸ばし、ぐびりと一口緑茶を飲んだ。


私が大学に入ってすぐの頃だったか、いつものように牛頭町にいくとおはぎがあり、いつものように喜んで頬張っていると、「このおはぎな、もう終わりなんやて」とおばあちゃんが言った。
私はあまりに突然のことに驚き、おはぎを頬張ったまま目を見開いた。
「吉本の姉さん、もう高齢やろ。家族の皆から、作るの禁止されてしもたんやて。」とおばあちゃんは続けた。私は我にかえり「え~なんで、作らせてあげたらいいやん、こんなに美味しいのに」と正義ぶって言った。
「そやなぁ、姉さんも愛想ながってたわ。坊ちゃんも坊ちゃんの奥さんも、姉さんが作りたがるって。家族も皆させちゃりたいとは思っても、姉さん高齢になってきて、お料理は火を使うやろ、もし着てる服に燃え移ったり、火を消し忘れたりしたら大変
やし。」

「え~そんなん、家の誰かが見といてあげたり、一緒に作ってあげたらいいやんか」と私は言い、「一緒に住んでる家族も皆それぞれ仕事もあったりで忙しいやろ。ずっと付きっ切りでおられへんわし。」とおばあっちゃんは言った。

「・・・」私は二の句が継げなかった。


おはぎのおばちゃんも作りたいし、家族や周りの皆もかわらず作らせてあげたいのだ。


『あぁ、今食べているおはぎが最後だなて・・・』そう思うと、泣きたい気持ちになった。

「おはぎのおばちゃんのところに手伝いに行って、作り方を教えて貰おうかな」と気楽にエヘラヘラと笑って美味しい美味しいと食べていたあの時がその時だったのだ。

蒸籠でもち米を炊く段取りや、餡を作る作業が大変なことに薄々気づきながら、これまで一度も手伝いに行かなかったことが悔やまれ、情けない気持ちに拍車をかけた。


おはぎのおばちゃんのおはぎが、私が食べたくても、もう食べることが出来ない初めての味になった。後悔と、感謝と敬意と自分の不甲斐なさが渦巻く中、私は最後の一口を口に入れた。『うん、やっぱり美味しい』涙が出た。

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