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【岡谷さんとおじいちゃん】

牛頭町の家のはす向かいには、『岡谷さんのおばちゃん』が住んでいた。


Mrs.Okayaさんである。岡谷さんだけで良いのだが、私たち子供の間では『岡谷さんのおばちゃん』が通称になっていた。


岡谷さんのおばちゃんはとても細い小柄な人で、白髪混じりの細い毛質の髪を、瓶付け油で撫で後ろで小さくひっつめて、お団子にしていた。


普段から着物や浴衣を着ていることも多く、よく、紺やグレー地に黒の細かいな格子柄の着物を着て、繰った襟には白い手ぬぐいを織り込んでいた。長谷川町子さんのいじわるばあさんを初井言榮さんにしたような、そんな感じの人だった。


夕飯時には、えんじ色の鼻緒のついた草履を履いて、着物にはたすきを掛け、長めの前掛けをし、玄関先で団扇を持ち、七輪でサンマを焼いたりしていた。

夏の暑い日は、白地に紺の浴衣生地のムウムウを着ていることもよくあった。岡谷さんが自身で仕立てたものだ。


夏の夕方、お風呂上りには、玄関先に簡単な椅子を一つ持ってきて、腰かけ、麻生地のノースリーブシャツに手ぬぐいを首に掛け、ウエストはゴムにしてある薄手のシースルー生地の涼しげな紺色のスカートを履いて、団扇でゆっくり仰ぎながら涼をとって

いた。そのスカートももちろん岡谷さんのお手製だ。夕焼けには少し早く、ギラリとした太陽の光がまだ残っていた。足元には蚊取り線香をくゆらせ、スっと立ち上った白い煙が、岡谷さんの仰ぐ団扇に

あわせ左右に揺れていた。


岡谷さんは、子供だからと言って猫っかわいがりすることはなく、悪いものは悪いと容赦なかった。


岡谷さんの家の隣が空き家で、その前に小さい石門が神社の狛犬の台座のように、一対設置されていて、私や弟、いとこ達は牛頭町に来るといつも、石門横の背の低い塀をつたい、その石門によじ登っては、何度も何度も飛び降りて遊んでいた。


その石門は子供が飛ぶには少し高かったので、飛ぶ前に一瞬勇気が試される瞬間があり、着地の際には勢い余って突っ伏し、両手を道路についてしゃがみこむこともあったので、私たちはそれが楽しくて、何度も何度もキャ―キャ―言いながらよじ登って

は飛んでいた。

とそこに、岡谷さんの家の引き戸が開くが早いか、

「あんたら、いい加減にしとき!!!!!」と岡谷さんのおばちゃんの一喝が轟きわたり、本人が飛び出してきた。


岡谷さんは子供の中で一番年長の私の目の前にズンズン迫り、『ギロリッ』と睨むその目は、眼光鋭く、初井言榮さんの女優魂に負けないくらいの

目力だ。と、そこへ、岡谷さんの一喝を聞きつけたおばあちゃん、母とぶうわも家から飛び出

してきた。


「やぁ~も~すみませんよ~~~、、うるさおましたやろ、や~ほんまにすみません」おばあちゃんが一番先に間髪入れずに謝る。

謝るおばあちゃんに合いの手を入れるように、ぶうわや母も口々に謝っていた。

岡谷さんは、ムムッと少し罰が悪そうに「ちょっと騒ぎすぎやと思いましてな」と言った。


「やぁ~も~ほんまにすみません」おばあちゃんは謝り続け「あんたらも、ごめんな

さい言い!」とブウワに促され、ぶー垂れた顔でいる私たちに、ぶうわが「も~あんたら、中入り!」と退場させ、その場の幕は下りた。


そんな私たちが遊び場にしている牛頭町の家の前の道は、軽自動車が1台通れるくらいの道幅で、闇市を突っ切るように走っていて、両方の道の先には酒屋さんやスナックが軒を連ねていた。


ダイニチでソフトクリームを買って帰る道すがら、スナック側の細道を通ると、よく日中からカラオケを気持ちよく歌っている男の人の声が漏れ聞こえていた。「あ、郷ひろみ」とか「あ、これは何だっけ、氷雨や」などと思いながら通るのだが、夜の牛頭町の前の道は、酔いの回った男の人達が通ることが多かった。


気持ちよく酔いがまわった人達は良いが、道で騒ぐ酔っ払いや酔っ払い同士のけんかが始まることも多く、騒ぐ酔っ払いには、岡谷さんは「あんたら、どうゆうつもりや!」と、いの一番に出ていくのである。酔っ払い二人に対して岡谷さん一人の時もあり、酔っ払いが三人いることもあった。


酔っ払いと一緒にいる連れの男の人が「まぁまぁ」ともう一人の酔っ払いを制して、事なきを得ることもあったが、それで引き下がる酔っ払いは少なく、絡んできた酔っ払いにも、岡谷さんは一歩も引かずにかかっていく。


おじいちゃんはというと、寝間着姿のまま、箒やバット等、その時に家にある棒状のものを掴み、家の玄関まで行き、玄関の中で聞き耳をたてている。


岡谷さんのおばちゃんと、酔っ払いの攻防が続き、もうこれは殴り合いになる、とその瞬間、おじいちゃんは観念し、棒を後ろ手に、玄関の戸をガラガラと開けるのだ。

「ちょっとあんたら、あんたらも、もうそのへんにしときなはれ」と酔っ払いに言うおじいちゃん。

「何言うてんねん、こいつが〇△□#$%&~~」酔っ払いが何か叫んでいる。

「岡谷さん、あんたももう、引いとき、殴られるで」とおじいちゃんは岡谷さんを制すが、

「何を言うてますんや、酔っ払いには灸をすえなあかんでっしゃろ、皆夜中に迷惑してるんや」と岡谷さんは引かない。


やぁやぁわぁわぁひと悶着ありながら、おじいちゃんは最後の切り札「警察にきてもらいまひょか」を出す。その時は何とか警察を呼ばずに収まったようだが、おじいちゃんは翌日、


「も~えらい目におうた、岡谷さん、あの人はも~一歩も引かへんのやから。も~これは殴り合いになる、行くしかないとおもて、行きたくなかったけどもやな、勇気出して飛び出していったんや。いやぁ岡谷さんにも困ったもんやで、酔っ払いやのにや

な、負けんと食って掛かっていくんやから。も~こっちは怖いしやなぁ、いやぁ参ったで」と事の顛末を目を白黒させながらおじいちゃんは話してくれた。


そんなある日、岡谷さんの家から白髪のおっちゃんがランニングにステテコ姿で出てきたことがあった。足取りがおぼつかず、岡谷さんのおばちゃんがすぐ後に出てきて、手を差し出し肩を貸す様子を見て、驚いた。『このおっちゃん誰やろ・・・』


牛頭町でお風呂に入っている時にふと思い出して母に「岡谷さんのおばちゃんところから、知らんおっちゃん出てきてびっくりした。」と言うと、母は、岡谷さんの旦那さんが長く体を壊し、自宅で療養していることを教えてくれた。

湯舟につかりながら、小さい岡谷さんが岡谷さんより大柄なおっちゃんを支える姿を思い返した。




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