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【おおばあちゃんの憂い】

牛頭町のおじいちゃんの母は「くに」さん(以下おくにさんと云う)と言い、私は残念ながら直接あったことは無いのだが、仏壇の遺影の丸顔がおじいちゃんとあまりにそっくりなので、私は見る度に可笑しくてニヤニヤした。

おくにさんが、大工の棟梁だったおおじいちゃん(牛頭町のおじいちゃんの父)の元に嫁いで来た頃の牛頭町の家は、玄関を開けると土間があり、そこには沢山の人工さんが居て、食事をしたり休憩を取ったりと、入れ替わり立ち代わりごった返していた
らしい。その人工さん達の食事の世話から事務仕事等も引き受けていたのがおくにさんで、牛頭町のおばあちゃんがおくにさんの事を話す時にはいつも、少し肩をすくめ、体を小さくして神妙な顔つきになるので、おくにさんがいかに厳しかったのかが容易に想像できた。

おおじいちゃんが先に亡くなり、おくにさんは母が中学生の頃まで存命だったが、晩年は体調を崩し、寝ていることが多くなっていたそうだ。
当時は今のように老人ホームやデイケア等はなかったので、医者に往診してもらい自宅で養生していた。寝ているおくにさんは、何か用があれば鈴を鳴らし、鳴ると大抵ぶうわが御用聞きに寝室に向かう。おくにさんにとってぶうわは女の子の初孫だったからか、特に可愛がられ、おくにさんが元気な時には、よく買い物や散歩と出かける時にはいつもぶうわを連れ立ち、ぶうわもおくにさんが大好きで、おくにさんのふとんで一緒に寝ることも多かった。

夜の就寝前の鈴がなると、おばあちゃんはぶうわを呼んで、水差しをセットしたお盆を持たせ、寝ているおくにさんの元に届けさせた。
「これおばあちゃん(おくにさん)とこに持っていったげて」ぶうわがそろりそろりと持っていくと、おくにさんはいつも嬉しそうに体を起こした。

私が小学校の中学年になる頃だったか、おおじいちゃんの何回忌かの法要が牛頭町で営まれたことがあった。最後の法要にするというので、狭い牛頭町の和室リビングには喪服を着たおじいちゃんとおばあちゃんの家族、親戚が集まった。

お坊さんの到着を待つ参会者は全員、私が見知った顔だった。私がそれだけ牛頭町でお世話になることが多かったことと、牛頭町には仏壇があることもあったが、ご先祖様の月命日とは関係なく、どの人の「近くまできたから」と言って、牛頭町のおじい
ちゃんおばあちゃんの元をよく訪ねてくれていた。

おじいちゃんの姉弟夫婦、おじいちゃんのいとこ夫婦、おばあちゃんの妹二人とその夫。と、そこに、ももこおばちゃんとともに、見知らぬ女性が入ってきた。ももこおばちゃんも他の人と同様によく牛頭町に来てくれていたので私は良く知っていたがその女性の笑顔はももこおばちゃんにそっくりだった。

「この人誰やろう・・・」と思って見ていると、視線に気づいたのはももこおばちゃんで、私を見つけるとすぐに傍に来てくれ「やあ!はなこちゃん、あら~~~もうこんなに大きくなって~」と優しく微笑み、前に会った時の身長はこのくらいだったと、ももこおばちゃんの胸あたりで手をユラユラさせた。ももこおばちゃんは私がいると、いつも優しく声をかけてくれるので、私はそんなももこおばちゃんが大好きだった。

おじいちゃんの弟の萬蔵さんは、何かしら集まる時には、いつも
「はなこ、こっちおいで、ここおいで」と自分の膝を打って、私を呼び自身のあぐらの上に私を乗せてくれるのだが、その時の萬蔵さんは違った。
「さくらこ、こっちおいで~」とその女性を呼んだのだ。さくらこさんはももこおばちゃんにそっくりで、笑うと口角がキュっとあがり、目が三日月になった。その愛くるしい笑顔は、こちらまで笑顔になるようで、綺麗なツヤツヤの長い黒髪が、萬蔵のおっちゃんの隣に座り笑う度に肩から落ちるのを、時折指でそっと戻す仕草は美しくて、子供ながらに萬蔵のおっちゃんをとられたように妬ましくもあり、大人の女性の美しさを羨ましくもあり見つめていた。

牛頭町は皆が集まるとよく写真をとったが、その日は、萬蔵のおっちゃんの隣はさくらこだった。萬蔵のおっちゃんはさくらこと肩を組み、仏頂面の私以外、皆が満面の笑みで記念写真におさまった。

法事の後、母に聞いたところ、さくらこちゃんはももこおばちゃんの娘さんであることが分かった。私は「あ~だからそっくりなんや」と納得し、その日を境にすぐに忘れてしまった。

その年の瀬、牛頭町の女四人が牛頭町の2階でホットカーペットの上にまるく輪になって座っている。帰省していたぶうわと、母と私とおばあちゃんだ。
皆の円座の真ん中にはおばあちゃんがベランダから取りいれた洗濯物が山になっていた。

洗濯物を畳みながら、おばあちゃんが、「おおじいちゃんの法要も無事に済んで良かったわ」と話しだし、それをきっかけに、私はふと、「そういえば、ももこおばちゃんとさくらこちゃんはどうゆう親戚になるの?」と聞いてみた。
母、ぶうわ、おばあちゃん3人が揃って、「おおじいちゃんの娘やし」と言う。

「えーーーーーー」私は驚いた。
ももこおばちゃんは親戚の一人で、いとこかなくらいを予想していた。
ぶうわも母も牛頭町のおばあちゃんも「え、はなこ知らんかったか?知ってると思ってたわ。」と口々に言って、話は続いた。
おおじいちゃんは大工さんで、当時はかなり広く商売をしていた。羽振りもよく、接待には深川の料亭を使うことが多かったそうだ。
そこの芸者さんと深い仲になり、娘さんが生まれいた。それが、ももこおばちゃんだった。ももこおばちゃんの家には母と一度行ったことがあり、スッキリとした日本家屋で、使われている木材は白系でとても綺麗だったのを覚えていた。
大工のおおじいちゃんが家を建て、そこで暮らしていたそうだ。

その時、「あ、姪っ子になるんや。さくらこちゃんは萬蔵のおっちゃんからしたら姪っ子。」と言うと、ぶうわも母も口々に「そうやで」と相槌をうった。『姪っ子、可愛いいはずやん!』と法事の時の事を思い出して私は妙に納得した。

おばあちゃんが下に降りて、ぶうわと母と三人で洗濯物を畳んでいると
「私、おばあちゃん(おくにさん)に可愛がられたやろう、よう一緒に夜におばあちゃん(おくにさん)のとこで寝たりしてな。おばあちゃん(おくにさん)も呼ぶんやし私を。」と言うぶうわに、「そうやったなぁ~」と母は何度もうなずいている。
「私、ほんまに可愛がってもろたから、よう色々連れってもらったんよ。で、ような、おばあちゃん(おくにさん)と、ももちゃんとこに行ったこともあるねん。多分あればおじいちゃんの着替えとかを持っていってたんかなぁ
その帰りやったか、宵闇におばあちゃんと二人で牛頭町に帰るのに歩いてたんやし。
で、私おばあちゃんにふとな、聞いたんや「ももちゃんのおばちゃんはどうゆう関係?」って。
そしたら、おばあちゃんがな、暫く黙って
「それは、おじいちゃんしか知らんやし」って、それだけ。ただその一言だけ言ったんよ。

私それ聞いて、あ、そうなんやって、それ以上何も聞かなかったわ。そんなことがあった。」

牛頭町の2階、女3人が女として思いを馳せた。

母は続けて「おくにさんが死んでからも、ももちゃんやさくらこちゃんを、何か家族で集まる時は呼んで、そうゆうお母ちゃんも偉いと思うわ。」と言った。

その人の出生や性差や立場に関係なく、我慢を強いられたりせず、その人がその人らしく在れると良い。私自身、親や社会の常識からの影響は最小限に、ニュートラルに、その人を感じられると良い。ももこおばちゃんが大好きな私でいられるのも牛頭
町のおじいちゃんおばあちゃん、ぶうわや母から先入観を植え付けずにいてもらえたお陰でもあるのかなと思いながら、私は残り少なくなった洗濯物の山からタオルを一枚引っ張り出した。

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